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フワフワしたクリエイターってアリなのだろうか

まるで日曜日みたいに仕事をした。のんびり、お茶を入れて、眉毛の脱色をしながら業務開始、メールを見て、パソコンで出来る業務のみをこなして、ちょっと休憩して、LINEが来たらすぐ返して、パソコンでリサーチして、また休憩する。

テレワークなんて集中出来るわけがないのだ。そもそも家は休む場所だし、家で仕事ができるなら最初からそうしてる。って思うけど、「意外に家の方が効率よくできるー!」なんていう知り合いもいるから、「ふうん、そうなんだ」と思う。

私が書く文は、「と思う」が多い。日常も、「そうじゃない!…と思う」みたいに生きている。


否定するのが苦手だ。だってみんな違うって心から思うから。肯定する方がよっぽど楽だ。てか否定ってなんのためにあるんだっけ。

「20世紀少年」の台詞で「悪人は大変だ。正義のヒーローの方がよっぽど楽だ」みたいな台詞があるけど、それを思い出す。そんな感じで、悪くいう方が疲れる。だから否定して自分の意見をズバズバズバーーーって言って貫き通してキメる人はすげぇ!って思う。

自分の意見を言う事自体は苦手じゃないし普通に言えるけど、後から「でも〇〇さんの意見もいいと思います。だって〜だから。」とか付け足しちゃう。そっちにはそっちの言い分がありますもんね、わかりますって思ってしまうからだ。

私には、明確な意見がいつも無いような気がする。

こうして独りよがりに文章を書いたりしていると、意見がある人のように思われるし、自分でもこれが私なんだ、とか一瞬は思うけども、

実際無いんだ。決定権も、絶対と言える意見も、強くて硬い意思も。だからフワフワしている。

優柔不断かと言われたらそうでもない。「どっちがいい?」って言われたら「こっち!」ってすぐ言えるし、つまり自分だけのことなら決断は早い。

他者を巻き込むシーンになった途端に、私は「そちらの言い分も汲み取れます女」になってしまう。良いか悪いかは別として、そういう仕様の思考になっている。



ところで私はデザイナーなんだけど、自分の意見がこんなフワフワしたクリエイターって良いのだろうか…????

最近、自分がデザイナーである事に、現実味が無いと感じる。デザイナーになったばかりの時と同じ気持ちになっている。

いやもう3年やってるんだけどさ。「仕事何してるの?」「デザイナーでーす!」って感じなんだけどさ。

デザイナーは楽しいけど、この仕事が好きだけど、辞められない!辞めたくない!ほどでは無い。と思う。また思う。

やめてもやめなくても3億円あげますって言われたら多分やめるし。1億円でも、5000万円でもやめるかも。

きっと、服はまた作るだろう。創作自体はどんな形でも続けてしまうだろう。こうして文を書いてみたり、何でもいいから想像したり。でも、デザイナーを週5日もしなくても良いや、と感じる。つまりある程度は、稼ぐためにデザイナーをしている。


先日観た映画「Red」で妻夫木くん演じる鞍田さん(建築デザイナー?)が「たまにこうして自分の作りたい物を作るんだ。依頼人の希望ばかり応えていると、自分が本当に作りたいものが分からなくなってしまうからね」的な事を言っていた。

なんかこう、自分に何かを問われているような気がした。

ちょっと話は逸れるけど、この映画はドロドロの不倫映画で、不倫をしてしまう夏帆(母子家庭出身、子持ち)にも、モラハラ夫の間宮祥太郎にも、不治の病を抱える不倫相手の妻夫木くんにも、夏帆の母の台詞「人間どれだけ惚れて死んでいくかじゃないの?」という名言にも、見事にひとつも共感できなかった。

すっごい、共感できなかった。

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こんなに共感できない映画にさえ、「そもそも登場人物に共感する必要って無いしな」「不倫をしてしまう程たまらなく好きなんだろうな」「確かにこの妻夫木くんはどエロ過ぎて沼なのかもな」「モラハラ夫にも譲れない思いがあるんだろうな」とかまたみんなの言い分汲み取り女になった。だからFilmarksの評価も、アホみたいに低い点には出来ない。意見と言える意見が無い、フワフワのレビューしか書けない。


話は戻して妻夫木くんの台詞「依頼人の希望ばかり〜」に対してなんだけど。

私は依頼人(顧客)の希望に応えるデザインも楽しい。喜んでもらえるなら誇りだ。

けど、私はデザイナーにどうせなるなら、自分の作りたいものを作るデザイナーになりたかったんじゃなかったっけ?違ったっけ??

何になりたかったんだっけ?今の私は、どうしたいんだ??

ああ、もう。

なんでもいいや。

ってなった。だってどっちもいいじゃんか。

顧客に喜ばれるデザインをひたすら考えるデザイナーも、自分の世界を大いに表現するデザイナーも、どっちだって素敵だと思うから。

妻夫木くんのグサっとくる台詞を響かせてもまた、フワフワした決着を付けてしまった。




自分の気持ちほど、不確定なものは無い。こんな根がフワフワ思考なクリエイター、私はあんまり出会ったことが無い。

クリエイターというのは、「オレ、ツクル、ジブンノツクリタイモノ、ヤル、ジブンノヤリタイコト!」みたいな人のことだと思っていたし、今も思っている。岡本太郎とか、ピカソみたいな、芸術は爆発だ的な、そういうのをクリエイティブだと思う。

少なくとも心の中にそういうもののけ姫の猩猩達みたいなおっかない奴を宿している人間を、我が道を行く強い意思を持つ者を、クリエイターと呼べるんじゃなかろうか。

私の周りの先輩たちは優しいけど、意思や意見の強さとか、芯みたいなものを感じる。その芯が猩猩達なんだと思う。

私も身近な人に「芯があるよね」と言ってもらえるけど、そもそも芯というのは何なんだろうか。

私の中に本当に、猩猩達がいるのだろうか。





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めちゃくちゃ迷子なんだが???



こんな私はデザイナーとして大丈夫なんだろうか。

私は果たして、クリエイターと呼ばれるような人間なんだろうか。

本物のクリエイターとして、社会に存在していたいのに。



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