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自分の就職活動について⑨

☆ ☆ ☆

そんな最中、面接が進む会社が一つあった。

当初、その会社は他の会社の「サブ」で受けている部分が大きかった。第一志望ではなかった。途中で「選考辞退のメール」を送ろうとしたくらいだ。最終面接でも、たわいの無いやりとりをしたことを覚えている。「何かをオススメしてください」と言われたので、スピッツの歌詞の意味の無さについて熱を込めて語ってみた。面接官のおじさん達にはややウケした。

そして、めでたく、私はその会社から内々定を貰うことが出来た。

いざ内々定を貰い、このまま夏採用枠も視野に就活を続けるか、この会社に決めるかの選択を迫られることになった。繰り返すが、当初は自分の入社へのモチベーションは低かった。しかし逆に言えば、その状態で話すこともさほど練らずに面接をこなし内々定を貰えたのだから、相当会社との親和性が高かったのではないかと考え始めた。また、「自分がやりたいことが出来る会社なのでは?」と思えたことも大きかった。始めは微妙だと思っていた会社が、考えてみると魅力的に思えたのだ。

消極的な理由にもしっかりと触れておこう。私はこれ以上就活を続けるべきではないと思ったのだ。就職留年をして1年後に先延ばしにすることも出来たが、それに耐えられるメンタルを私は持ち合わせていないだろうと感じ始めていた。自分は浪人や留年という「学年を一つ落とすイベント」を経験せずに21歳まで過ごしてしまったこと、就職活動で精神的に大きな壁を感じていること、故にこの状態のまま留年しても徒に時間を過ごしてしまうだろうという予感が、就職活動の継続を選ばせなかった。

そうして、私はその会社に内々定の承諾を行った。勿論、不安が無かったわけではなく、むしろ様々に悩んだ末での決断だった。最も大きかった不安は私に言語化して自分の考えをまとめることを促し、自分のnoteの初投稿の題材にもなっている。

かくして、自分は就職活動を終了させた。本当に今考えても、就職活動の過程はズタズタだった。しかし得られた結果は、この酷い過程にしては、自分にとって割と良いものだと思えるのだ。

ただし「変化」もあった。就職活動を経て、僅かながら自分のモノの見方や考え方は変化してしまった。どこか俯瞰的/静観的/厭世的な態度が常に自分の中に存在するようになったのだ。それは誰にも指摘されたことは無い程度の本当に些細な変化なのだが、就活前/後でハッキリと分かれていることが自分には分かる。私は就職活動と向き合うことで、気付かないうちに「『何かに理由も無く打ち込める青年期』の終わり」のを経験してしまったのかもしれない。とにもかくにも、私(の自意識)は生まれ変わってしまった。

私に対して「もっと良い会社に行けただろう」という言葉をかけてくる人がいる。それはきっと半分は正しいのだろうが、半分は正しくない。私は、あの当時の自分の精神状態やこれからの「東大生」性の負担を考えた時に、「今の会社に進む」という最善の選択を取ったと信じている。もっと遡ればターニングポイントは幾らでもあったとは思うが、そこまでいくとキリが無いし、そんな「たられば」はそもそも意味がない。自分は未来を生きたいのだから、何の責任も持たずに過去の話をいつまでも持ちかけないでほしい。そんなことを聞いてくる人には、この一連のnoteを小1時間かけて話してやる。

自分が選んだ選択には、自分で責任を持つ。「東大生」の看板を下ろそうとした時、生まれて初めて自分にそんな気持ちが芽生えた。皮肉なことだ、だが悪くない。自分は 様々なコンプレックスをはち切れるほど抱えているが、今の人生に満足していないわけではない。相反する気持ちを抱えながら人間臭く生きる姿が、とても私らしいじゃないか。

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⑩に続く。いよいよラスト。

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