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ポシェットの中の物語

縄文の研究というのは、普通の考古学とは違った性格のものなんだ。生活を想像することなんだよ。わかるかな?三内丸山遺跡(注1)を見下ろす丘の上で岡田さんは言った。わかる気がします。と、僕は言った。そして静かに目を閉じた。これはいまから4000年くらい前の時代の話だ。

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炎は、どれだけ眺めてみても飽きることがない。いろんなかたちの炎があり、いろんな色の炎がある。それは生きもののように自由自在に動きまわる。生まれ、つながり、別れ、滅びて消えていく。

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炎を見るたびに僕は15年前の土器焼きの儀式のことを思い出す。彼女をはじめて見かけた土器焼きの儀式のことだ。熱い炎の向こうで彼女は音もなく踊り続けている。その背後にはどこまでも暗闇が続いて、何も見えない。それでも海岸はすぐ近くにあって、ほのかに潮の香りがする。

この15年で僕のまわりのライフスタイルはすっかり変わってしまった。土器型式は円筒式から大木式へ。変わったのは土器ばかりではない。冬は毎年少しずつ寒くなって、我々に幸を与えてくれた海はずいぶんと遠のいてしまったみたいだ。それにみな三内丸山を出て、まわりのムラへと離れていった。「ほら、アホウドリをつかまえたよ」と叫んで回る子どもたちもいなくなったし、儀式のときにうやうやしく持ち出される男根の形をした刀剣がクジラの骨からできていることを知っているのは、今では三軒となりで暮らす偏屈なおじいさんくらいしかいない。

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僕は三内丸山の集落を見下ろす小高い丘の上に腰をおろし、ポシェットからニワトコの酒(注10)を取り出し、口に運ぶ。僕は静かに目を閉じた。そして土器焼きの炎のことを考えてみる。

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炎のそばで、彼女はまだ踊り続けている。「やあ」と僕は声をかけてみる。

「こんにちは」と彼女は言う。

「ニワトコの酒でも飲まない?」と僕は誘ってみる。

「いいわね」と彼女は言う。

そして、僕たちは丘の上に並んで座り一緒にニワトコの酒を飲む。丁寧に結われた彼女の髪が僕の肩に触れる。かすかに潮の香りがする。それから盛土の匂い。

「たしか15年前にも君を見かけたよ。同じ場所で、同じ時間にね」と僕は言う。

「ずいぶん古い話じゃないこと?」

「そうだね。でも君は僕のことまったく気づかなかったみたいだ」

「ダンバー数って知ってる? ひとりの人間はだいたい150人くらいしか関係を結べないものなの。その頃、三内丸山には500人くらいの人が暮らしていたでしょ?」

彼女はニワトコの酒を一息で半分飲みほした。

「でも会ったかもしれないわね。15年前でしょ? えーと大木式の土器を初めて見たころね……うん、会ったかもしれない」

彼女はまるで琥珀に閉じ込められた昆虫のように、あの頃のまま歳をとらない。

「君は誰の手もとらず、たった一人で一心不乱に踊ってばかりいた。髪の毛なんてずいぶん逆立っていたよ」

「あり得るわね」と彼女は言った。そして彼女は僕のポシェットの中の栗クッキーに手をのばす。とてもなめらかで自然な動きだ。まるでその栗クッキーが最初から彼女のものであったように。

「ねえ、これいただいてもいいかしら?」

「いいとも。ほんとうはムササビか野ウサギのコンフィでもあるといいんだけれど」と僕は言った。

「あら。私は栗クッキーが大好きな女の子なの。知らなかった?」

「知らなかったな。でも、君はあれからずっと踊っているんだろう?」

彼女は何も言わずに微笑む。

「からだが疲れたりもしない」

「そう。私のからだはとても形而上学的にできているから」

彼女は立ち上がって、からだを見せてくれた。たしかに素晴らしく形而上学的なからだだった。平たく言えば、空想の中でだけの理想的なからだだ。僕は彼女のヘソのふくらみにそっと指を触れてみた。熱くもないし、冷たくもない。ただただ僕自身の体温を確かめることができるほどの、形而上学的なヘソのふくらみだった。

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彼女と僕は何も言わずにニワトコの酒を飲んだ。月はぴくりとも動かなかった。時間さえもが止まっていた。土器焼きの炎の中に吸い込まれてしまったようだ。

「君のことを考えるたびに、僕は土器焼きの炎のことを思い出すんだ」

「どうしてかしら?」

僕は懐からそっと板状土偶を取り出した。

「これは君を見かけた翌年の土器焼きの儀式のときにつくったものなんだ。実は君をかたどったものなんだよ。ちょっと見ただけではわからないかもしれない」

僕は板状土偶をそっと彼女の手のひらにのせた。

「たしかにこの板状土偶、私によく似ているわね。なんていうのかしら。私の主体をつかまえている気がする」

「ありがとう」と僕は言った。

「人間の本質は客体ではなく、からだの中に取り込まれた主体にあるのよ」

「ふうん」とぼくは言う。彼女の言うことの半分も理解できていればいいほうだ、の「ふうん」だ。

「とにかく生きることよ。生きる。そしていのちを繋いでいく。それだけよ。私はただの、形而上学的なからだを持った女の子なの」

そして彼女はお尻についた砂を払い、立ち上がる。「ニワトコのお酒と栗クッキーをどうもありがとう。おいしかったわ」

「どういたしまして」と僕は言う。「また会えるかな?」

「きっとね。でも……」と彼女は言う。「明日の朝、小牧野の近くに引っ越すのよ。5人の子どもたちと一緒にね」

「やれやれ」と僕は言った。

「そのヒスイのペンダントとてもよく似合っているよ」

「ありがとう。いつそれを言ってくれるかずっと待っていたのよ」

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時々、僕らは小牧野のストーンサークルの儀式で出会うことがある。そのたびに彼女は「あのときニワトコのお酒をどうもありがとう」式の微笑を僕に送ってくれる。あれ以来僕らはもうことばは交わさないけれど、それでも心はどこかで繋がっているんだという気はする。どこでつながっているのかは僕にはわからない。きっとどこか遠い世界にある奇妙な場所にその結び目はあるのだろう。あるいは土器の文様の上に。

取材・文/松岡宏大・編集部 写真/松岡宏大

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この短編小説は、縄文ZINE5号に掲載されたものからの転載です。

三内丸山遺跡の終わりくらいの一時代を切り取った物語となっています。本誌では本文中に(注)が入りますので、よければそちらも見てください。

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なぜ村上春樹風になっているのかは、ごくごく真っ当で無理のない理由がちゃんとある。だけど、そんなこと誰も興味がないだろう。

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