MikarU

夜が好きな20代半ば/私の人生整理場/お酒は飲めませんが眺めるのは好きです

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最近の記事

ドラマチック戦争

夜に息が吸える。 自分が生きていると感じるのは夜だ。 静まりかえった時間にやっと主人公になれる気がするのだ。 昼間に居場所はない。 喧騒、人は酸素を吸っては平気で嘘を吐く。 夜は明かりの元にだけ人が集まる。 見なくてもいいものは見なくていいのだ。 自分には、日差しは煩すぎる。 夜は選ばれたものだけが明かりを選べるのだ。 強制力はない。 そんな自由が好きで好きでたまらない。 涙は重力に逆らえないけど、やけになって飲んだお酒は逆らって喉元を往復するのだ。 そんな無責任

    • ね ん ま つ

      今年もあっという間に終わってしまう。 でも、私は好きだ。 この終わりと始まりが隣あっているこの感覚。 切なさとドキドキが入り交じる。 1年が早かったなぁと感じるのはとても幸せなことなのかもしれない。 長いと退屈なだけ。 死んだような生活を送ったことがある私はスピードが早く感じることに大して喜びを感じている。 来年の今日は何を思っているだろうか。 平成最後の大晦日。 良いお年を。

      • 最後の電話

        年の瀬のことだった。 『あと9分しかない。』 チャットで知り合ったタロさんは、電話越しにポイントの残りを呟いた。 9分。これでもう最後なんだ。 『俺、もうここ辞めるんだ』 数日前に告げられていたことだけれど、タイムリミットがわかると寂しい。 最後に電話がしたい。 そうお願いしたのは私だ。 タロさんとはまだ知り合って1ヶ月。 本名も、タロさんの顔も知らない。 毎日サイト上でメールはしていた。 タロさんと通話は何度かしたことがあるけれど 若い年齢の割には柔らかい

        • 好みの男性は理想の父親像

          メガネをかけ、少しボサボサの頭。 冴えない人ではあったが優しい人。 気づくと親戚の輪から抜けていて 外で1人煙草を吸っている。 そんな人だった。 私は叔父が好きだった。 私は高校生以前の記憶がほとんど抜け落ちているため 本当に極わずかな記憶しかない。 でもその記憶の中でも、親の帰省についていった先にいる叔父をいつも追いかけていたことは残っている。 今思えば、私は理想の父親を探していたのかもしれない。 私の父は叔父の兄にあたる。 聞くと私は父から3歳頃から暴力を受

        ドラマチック戦争

          踏めない足跡、戻れない

          最近思うことは、自分は大人になってしまったということである。 今現在に満足していないから過去を振り返るのだという文を見たことがある。 自分はまさにその『振り返り地獄』に陥っている。 女子高生だったあの時に戻りたい。 学校は決して楽しくなかったが、小さな反抗がとても楽しかった。 わざと遅刻をしてみたり、放課後に友達とマックやサイゼでお喋りしたり。 些細なことを楽しめて、大きな責任もなかったあの頃。 適度に守られていて、道を少し外れてみて見える景色は何よりも興味深くて。毎

          踏めない足跡、戻れない

          ただいまって言ってよ

          夫が職場から緊急搬送された。 なかなか帰宅しないなぁと思いつつも残業も多く トラブルでもあって遅いのかなと思っていた。 携帯に電話をかけるも出ず。 電話にでられる職場ではないのでやはりまだ職場かなと思っていた。 仕事がおわったら『今から帰るよ』と連絡をいれてくれる夫。 忘れずに連絡をくれるので、まだ仕事が終わっていないのだろうと携帯を気にしながら子供を見ていた。 携帯が鳴る。 LINE電話ではなく、通常の電話だ。 嫌な予感がして番号をみると 職場の緊急連絡先だ。

          ただいまって言ってよ

          死に方の理想はあるか

          生きている間にやりたいこと、についてはよく聞く。 しかし、どういう死に方をしたいのかについて考えることは少ないのではないだろうか。 死に方を選ぶことはできないけれど、死というのは最後の大きな一大イベントではないのか。 自分の寿命は自分で決めたいと、自殺する年齢を定めている人もいるのかもしれない。 何歳まで生きる予定だとゴール地点を定めていてもやりたいことを全てやり遂げ死ぬ予定の年齢を迎えても 実はさらにその先20年生きる可能性もあるのだ。 私の理想の死に方は、夜の海で

          死に方の理想はあるか

          どこに足跡をつけに行くのか

          最近いろんな方の講演を聞く機会がある。 そして自分の人生は自分で舵をとろうという話がよくでてくるが いろんな人の言葉選びを拾い上げて、確かにそうだよなと腑に落ちてきている。 そりゃ、わかってるんですよ。 1度きりの人生であるということも。 わかってはいてもやらずに後悔したことは多い。 もちろんどうしようもない場合だってある。 祖父を直接看取れなかったことだってそう。 だけど、だけど。 やれたのにやれなかったことの多さと言ったら。 私がやっておけばよかったと思ったこ

          どこに足跡をつけに行くのか

          ココロコロシタイ

          私の嫉妬心は人一倍だとおもう。 そして嫉妬心は自分をコロス感情だとも思っている。 誰かと何かと比較して自分が如何に劣っているかを考えるこの行為を何故かやめられないのは 自分は苦しむべき存在であると感じているのか 少しでも自分に価値があると感じているからこその行為なのか。 無価値であればそもそも比較はできない。 無なのだから優劣はつけられない。判定不可である。 お金をもっている人 才能をもっている人 夢がある人 負けずと進んでいる人 友人に好かれている人 そして私の夫

          ココロコロシタイ

          突き放した手、繋ぐ天使

          私が父親と口を聞かなくなってから、かれこれ2年が経とうとしていた。 私が家を飛び出し彼氏の家(現夫)に転がり込んだのは さむいさむい冬の夜だった。 以前のノートにも書いたが、元々父親からの暴力と暴言に心が本当に壊れてしまっていた。 記憶は現在でも戻っていない。 あの夜、あの夜のことは鮮明に覚えている。 具合の悪い私の顔を平手打ちされる直前に逃げた。 手が上がっていて、向かってくるところまで覚えている。 靴は裸足で履いた。 履いたと言うよりひっかけた、が正しいのかもしれ

          突き放した手、繋ぐ天使

          Tokyo、曇のち夜景

          私は夜景が好きだ。 夜景なんてただの光の集まりであり、人工的なものなのだが 人工的なものだからこそ好きだ。 無数の光の中に人は生きているし、その光の中で様々なストーリーが今まさに進行している。 私は夜景は寂しいものだと思ったことがあった。 こんなに悩んでいるのに自分はこの小さな光の点よりも小さい存在でしかないと。 悩みも自分もちっぽけだ、と思えば思うほど人間的感覚から離れていくような気がした。 自分が、人間が、生命が。 いてもいなくても変わらないこの存在が虚しくなる。

          Tokyo、曇のち夜景

          体温計が0℃になった

          体温計は生きていることを証明できる機械なのかもしれない。 昨年、祖父が亡くなった。 危篤の連絡を受けた時、私の体温は下がっていたと思う。 年に一度会えればいい位の距離だった祖父。 別れ際には毎回握手をしていた。 それは私が気づいたらいつもしていたのだけれど 温かい手を握れる喜びを確認していたのかもしれない。 祖父はとてもクリエイティブな人だったらしい。 作品はたくさん残っているが、どうやって作品を作っていたのか 見たことは無い。 出産のため、私は祖父にその年は会えな

          体温計が0℃になった

          5万円の添い寝

          かれこれ数年前、私がまだ未成年であり高校生だった頃。 家から出たくて仕方がなくて高校が終わった放課後はひたすら外で過ごしていた時のこと。 外で過ごすにはお金が必要だった。 カラオケ、マック、スタバ。 女子高生が過ごす場所はお金がかかる。 バイトをすれば良かったのだけれど、受験があるから辞めなさいと親に言われアルバイトを辞めた。 アルバイトは私の逃げ場であり自由だった。 必要とされていて、お金がもらえる。 取り上げられたそのとき、私の居場所は無くなった。 学校が居場所にな

          5万円の添い寝

          親の管理下で死ぬこと

          私は高校を卒業するまで、保険証を親から貰えなかった。 貰えないというのは語弊があるが 病院へ行く際は親の許可をもらいそれから保険証を受け取り 領収書と保険証を併せて返却するという形であった。 高校3年生のある時、私は不眠症になった。 正式な診断を受けたわけではないが、1週間以上毎日3時間も眠れず朝になり そのまま学校へ行くという繰り返しになっていた。 頭痛はするし、眠りたいのに眠れないストレスでおかしくなりそうだった時 親しい友人に打ち明けると「心療内科」を勧められた

          親の管理下で死ぬこと

          自分が一番主役になれる日

          私が一番主役になれる日が一年に一度くる。 人生の中で既に結婚、出産とおめでたい素敵な日を迎えてきたが どの一大イベントよりも盛大に祝いたい日がある。 誕生日だ。 年を重ねるのはなんだか寂しくなる。 けれど、誕生日は1年の中で主役になれる大切な日だ。 前回のnoteで私には高校生以前の記憶がほぼないと書いたが それは募るいらだちを私にぶつける父親から自分を守るためだと思う。 そして誕生日ももちろん記憶がないのだが なぜだか毎年誕生日が近づくとわくわくするのは、恐ら

          自分が一番主役になれる日

          消えた私の15年間の記憶

          忘れっぽいのかと思った。 「小学生の時○○したよね」 「わかる!懐かしい!」 という話をされると本当に輪に入れない。 そうだっけ、と誤魔化す。 私は高校1年生前までの記憶が9割5分ない。 私の周りが記憶力がいいんだな、と思っていたけどどうやら違うらしい。 覚えているのは 幼稚園の体育の先生に呼び出されて 裏庭でこっそりプレゼントをもらったこと。 しかしその事実しか覚えておらず 先生の顔も名前もわからない。 そもそも園内がどういう構造かも思い出せないので そのうっす

          消えた私の15年間の記憶