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【母の日】わたしの目指す強くしなやかな女性は、いつもお母さんだった

毎日、家族で朝ドラを見ている。朝ドラと言っても8時の回ではなくて、12時45分から始まる再放送。実家の四角いちゃぶ台を家族4人で囲んで、ギャーギャー口を挟みながら見るのが恒例だ。

年にとっては、ツッコミどころ満載の半年間を過ごすことも多い。いまのシーンは瞬間移動していないと時間経過がおかしいとか、ここでそんな台詞が出てくるのは違和感とか。両親は意外と隅々まで気を配っている。

今期は、とにかく母が真剣だ。主人公に、自分を投影しているんじゃないかと思う。まだまだ女性の弁護士が認められ始めたばかりの時代。「ご婦人は、裁判官にはなれないんだったな」と言われた主人公をじっと見つめる母は、目に炎を宿らせていた。

戦争を挟んで、男性が続々と出兵する。女性ばかりになると、男性の役割とされていたものを女性も担い始める。女性の立場が少しずつ変わっていく。そんな過渡期はきっといままで何度も繰り返されてきている。

母が大学を卒業した頃は、旧帝の経済学部100名以上のなかに女性が数名。「女性なのに」「女性だから」と何かにつけて性別を枕詞にされる。

就職をしようと思っても、寿退社させられる会社ばかり。コネがなければ、入れもしない会社ばかり。システムエンジニアとして還暦まで勤め上げた母は、いま大学生だったらなにを志したんだろう。

「わたしが就活してた頃はね、女のひとは就職先がなかったんだよ」
折に触れて何度もそう呟く母は、遠くをじっと見て、おさまらない怒りと悔しさを滲ませる。きっとまだ、赦すなんてできていない。

選べなかった、という感覚。選択肢がない、自分には道がない。それでも折れずに探し続けた母の強さが自分にも混じっているのかと思うと、わたしはすごく嬉しかった。

おとなしくて、落ち着いていて、賢くて、細やかな気遣いができるわたしのお母さん。ほんとうは、新しいものがだいすきで、好奇心いっぱいで、皇室ゴシップを追っかけたり、Xファイルを見ながら宇宙人について話し合ったりもするお母さん。

何十年もずっと抑圧されてきた気持ちは、簡単にはほどけていかないだろうと思う。けど、もうここからはすきなように生きてほしい。

バトンは、ちゃんとわたしがもらっている。女性だから諦めるとか、女性だからできないとか、そんなのひとつもないようにわたしが生きていくから。

お母さんも、もうこれからはひとつもないように生きてほしい。

毎日15分の朝ドラが、お母さんにほんのすこしの勇気を与え続けてくれますように。これからがお楽しみだ!って、ほんとうの意味で思えますように。

いつになっても遅くはなくて、いつになってもいまが一番若いから。だいすきなお母さんが、これからもっと幸せになれますように。

いつもたっぷりの愛をありがとう!母の日、お母さんのだいすきなサーティーワンを8個も買ってきちゃったから、みんなですこしずつ食べようね。

わたしがめちゃくちゃ幸せになるという恩返しを、なるべく長く健康で見ていてね。







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