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海の向こう側の街 Ep.16<念願のNTSC規格の中古テレビと寛容性>

 いよいよ「ベルモント」にある「Cash Converters」へ向かい、取り置き済みの「NTSC規格の中古テレビ」を手に入れる日が来た。
昨晩は、僕とタカで夜遅くまでギターを弾いて過ごしていたのだが、特に朝からの予定もないので十時頃までウダウダと寝ていた。
朝起きると、タカはまだ起きておらず、僕はジーパンとTシャツに着替え、冷蔵庫から冷えたコーラを一つ取り出し、ベランダに出て窓を閉め、まだ見慣れない景色を眺めながら、日本から持ってきていたラッキーストライクを一本取り出し火をつけた。
タバコを吸わないタカと話し合った結果、僕はベランダでタバコを吸うことになった。まぁ日本で言うなら、所謂ホタル族だ。
日本ならベランダに出て、すぐ隣や向かいの狭苦しい他所様の家の壁やマンションの壁の隙間からなんとか夜景を観ながら吸うものなのだけれど、ここから見える風景は国が違えばこんなに違うものかと心底驚くほど、視界を遮るものは何一つと無く、物干しエリアの色鮮やかな緑の芝が目に飛び込んできた。
また、街並み全体にも僕は驚いた。そもそも二階建てや三階建ての建物がなく、少し向こうにあるあまり使われていないテニスコートまでスコンと一望できた。ここパースは僕たちの住む地域だけに限らず、日本と比べてマンションやアパートはとても少なく、建物の高さが全体的に低かった。都会な部分を比較すると、パースシティ全体と大阪の難波(ミナミ)や梅田(キタ)を比べれば、圧倒的に大阪の方が進んでいた。エリアも段違いに広く、アミューズメントの数なんて桁がいくつも違った。ビジネス街の「セント・ジョージズ・テラス」のビル郡も、大阪の本町と比べれば全く取るに足りない規模だった。大阪の圧勝だった。
しかし、住宅街となると話は全く異なり、圧倒的にパースの方が良い。
一軒一軒の間隔が程よく空いており、日本の住宅事情のように僅かな敷地にひしめき合うように建築されていない。日本ではあれほどあくせくと働いてもリラックスできるエリアが全く無かったことを思い知るほど、本当にゆったりと過ごせる空間がそこにあった。
よく考えれば「セント・ジョージズ・テラス」のビジネス街も「本当に必要な企業だけ」に絞れば、大阪も案外あれくらいで済むのかもしれない。
もちろん、民主主義の「競争の原理」を完全に無視した形にはなるが、同業他社を全て排除して必要かつ十分な企業だけに絞れば「セント・ジョージズ・テラス」ビジネス街程度で済んでしまうのだと思った。
もちろんそこには「競争の原理」も全く無く一社独占となるのが大前提となるが、そうなると少なくとも職場環境が改善されることもなく、競争の原理がなくなるので、より良い商品やサービスが生まれる可能性も低くなるのだが……。
ただ、本当にパースに住んでいて、銀行、インターネットプロバイダー、鉄道会社、携帯電話会社など、全てほぼ各一社しか無い世界が存在することへの驚きと、そこには混乱も諍いなく、シンプルでコンパクトに収まっていることへの驚きがあった。
今の日本は、慢性的なストレス社会と言われ、人々は日に日に寛容性がなくなり、杓子定規なマニュアルや規定に忠実で、しかしながら実際の行動と矛盾する耳障りの良いキャッチコピーや社会的運動を高く掲げてデタラメに取り組む。
いつしか自分に甘く、他人に厳しい。そんな人が多くなってきたように思う。
全てにおいてコンパクトで必要かつ十分に収まっていれば、競争の原理は無くなるが少子化問題も影を薄め、自ずと各自の本来の寛容性を取り戻せるのではないかと思いながら、僕はタバコを吸った。
二匹目のドジョウを狙い、不必要に同業他社を立ち上げ、無理矢理に企業を成長させ、他社より安いコストで「実はそれなりのサービス」を「最高のサービス」にパッケージして提供し、群雄割拠の中で散っていくものもいれば、歴史に名を残すほどのものではなくそこそこの成功者となる為にあくせくしている今日の日本は、他の国と比べるとある程度、確かに豊かで幸せではあるが「本当に豊かで幸せなのか?」と思いを巡らせた。
ともあれ、同業他社がいる世界は資本主義社会としては至極まっとうではあるのだが、何事も「本当に必要な数だけで程良い」んだなと、タバコを吸いながら眼前の風景を観て強く感じた。
丁度、一本吸い終えたタイミングでタカが目を覚まし、いつものようにキッチンで歯を磨いて着古した洋服に着替えていた。
 僕たちは出発の準備を整えると、いつものフリーマントル線でビクトリア・ストリート駅からパース駅に向かい、そこでアーマデール線に乗り換えた。
僕たちは「バーズウッド駅」で降りて「Cash Converters」の「ベルモント店」に徒歩で向かうという算段だった。途中、電車の中でオーストラリアと日本の違い(大小含む)やタカが居たシドニーの話を興味津々に聞きながら、バーズウッド駅に到着した。
僕たちは「バーズウッド駅」から降りたのだが、そこには文字通り何もなかった。
住宅街でもなければ、商店が並んでいるわけでもなく、ビジネス街でもない。
「本当に」駅の周りには何も無いのだ。
しかし、最寄り駅は「バーズウッド駅」だということは間違いない。
昨日、タカが取ってくれていたメモにもしっかりと書いてある。ただ、周りには本当に何もなかった。厳密には駅前に公衆電話とロータリーの様なものがあって、少し遠くに住宅街のようなものが見えた。
日本のように「駅前にコンビニ」とか「お店が二~三店舗立ち並ぶ」といったことはなく、シンプルにただそこに「駅があるのみ」だった。
僕は「Cash Converters」の「フリーマントル店」で貰ったカードを確認したが、そのカードには各店舗とその電話番号しか書いていなかった。
その時、タカは彼自身がとったメモと僕の持っていたカードを元に、公衆電話で「ベルモント店」に確認をとってくれることになった。
彼は物怖じせず、今取れる最善の行動を迅速に取っていた。
どこの駅かわからない、見たこともない風景と想像との違いにただ戸惑っている僕とは全く違って、とても堂々と、かつテキパキとしていた。僕は彼の傍に行って、彼の英会話に聞き耳を立ててみたが、彼が何を話しているのか全く分からなかった。
彼いわく、最寄り駅は「バーズウッド駅」に間違いはないそうだが、そこから先は何を言っているのか全く判らなかったとのことだった。
タカが判らない英会話なら、僕には全く判らない英語だろう。
そこで手詰まりになったところで、僕たちのすぐ側で中年夫婦が車に乗り込もうとしていた。
僕は意を決して、頼りない英語で話しかけてみた。
「すみません、Cash Convertersのベルモント店を知っていますか?」と聞いてみた。
僕の算段はこうだ。「もし相手が『Yes.』と答えたら、そこまでの道を聞いて歩みを進め、次に出会った人にまた同じ質問をする。これを繰り返せば、いつかは辿り着ける筈だ」と安直に考え、勇気を出して聞いてみた。
すると男性の方が「Yes.」と答えた!
「やった!」と思った瞬間、男性のその後の英語が全く聞き取れなかった。
ただ、僕はこのチャンスを逃すまいとその男性に待ってもらい、すぐにタカに助けを求めた。話の成り行きをすぐに理解したタカは僕と中年夫婦が待つ車へと駆けつけてくれた。
 僕が持っていたパワーザウルスのペイントモードで、タカが『Cash Convertersのベルモント店の行き方を教えて下さい』と英語で書いて、男性に見せた。
すると、男性はそれを見て、隣の奥さんと話しながら僕たちに「もういいから」という顔つきとボディランゲージで、車の後方のドアを開けた。
僕たちは驚いていると「車に乗りな」という感じで、親指でドアの空いた車内をクイっクイっと指した。
タカは英語で男性と話し「僕たちを車で「ベルモント店」まで送ってくれるってさ!」と笑顔で僕に伝えた。
「おぉ~っ!Thank you Thank you!!」となんとも簡単な英語だったが、僕たち二人は驚きながら喜び、ただその言葉しか出なかった。
しかし、今になってよく考えてみれば、全く見ず知らずの人の車に乗り込むのだが、当時の僕たちは全く躊躇無く乗り込んだ。
タカが助手席に、僕が奥さんの座る後部座席に乗り込んだ後、男性は車を走らせた。彼らの表情から優しさとある種の哀れみを僕たちは感じ取ったから、すぐにこの中年夫婦を信じることが出来たんだと思う。この時のお二人のなんとも表し難い、柔らかな笑顔だったことは今も鮮明に覚えている。
男性は振り向き僕に「どこから来たんだ?」と質問し、僕は「日本」と答えた。
次に男性はタカに「何を買いに行くのか?」と聞きタカは「NTSC形式のテレビを買いに行く」と言った。
その後の会話は、僕には何を話しているか、ぼんやりとしか判らなかったので、おとなしく奥さんに「Thank you.」とお礼を言って会釈をして、その後は暫く、車の窓から日本では全く見慣れない海外独特の街の風景に目を奪われていた。
まるで、空港から乗ったマイクロバスの時のように目に映る光景全てが目新しかった。ざっくり五分くらい経過すると、車が本当にCash Convertersのベルモント店前に到着した。
車で約五分と言っても、仮に時速四十キロだとしても約三キロはある。
体感的には、車はもっと早い感じがしたので、実際少なくとも四キロちょっとくらいはあった感じがした。
僕は「どこが最寄りだよ!」とは思ったが、これが「オーストラリア基準の最寄りなんだろうな」と納得し、僕たちはとても親切な中年夫婦に助けてもらったおかげで、少なくとも片道は迷うこと無く無事に到着することが出来、とても助かった。
もうこれは、心から感謝の気持ちで一杯になった。
僕とタカは、大げさなくらい「Thank you very much!」と言いながら、何度も帽子を脱いで深々と頭を下げ、車が走り出すのを見送った。
それはまるで、平社員が会社を出る社長の車を見送るかのごとく、僕たち二人は深々と頭を下げ、最後に大きく手を振った。
 僕たちが到着した場所は、日本の商業施設とは大きく違い高い建物は周りにはなく、高さは二階建てくらいの高さで店舗は一階のみで、恐らく二階が倉庫とかオフィスかなんかになっていて、十店舗ほどただただ横に長く連なって看板を出している建物だった。
「なんか、映画でこんな建物を見たことあるけど本当にあるんだな」と感心しつつ、ぼんやりと眺めていた。
 道幅は広く、広い芝生がありとても平らで大きな道をしているなという印象だった。日本は、法律で街路樹は厳格に決められており、奇妙だが植えなくても道路側に既に天然の街路樹があっても、規定通りにする為に天然の街路樹を抜いて、規定通りに一定間隔で別の指定の木に植えられるほど厳格だ。
もちろん、オーストラリアにも街路樹の植樹はあるのだけれど、日本ほど躍起になって杓子定規に植えてはいないのは周りを見渡せばすぐに判った。
あと、驚いたのが「ガードレールが全く無い」ことだった。
ガードレールが「全く無い」ってのは、ちょっと不安でもあるのだけれど、その不安感を打ち消すほど視界がすっきりとしていて足元の芝生も相まって、こんなに景観が良くなるんだなと驚いた。
「これはこれで良いじゃない」と僕は思わず口に出して言った。
 日本にはあまりない「寛容性」がこの国には多く溢れており「ああしないとこういう問題がある」とか「こうしないと、ああいったようにならない」なんて杓子定規なものは無く全体的に「別に良いじゃない?」といった、今の日本が完全に失っている、ある程度の「寛容性」で成り立っているのは、この地に立って肌で感じることが出来た。
 それにしても映画の中で時々見かける、少し街の外れにあるガンショップの店舗のイメージそのまんまの建物が、目の前にある事に妙な感動を覚えながら、全く駅から最寄りではなかったCash Convertersのベルモント店にようやく到着したことを実感し、若干の感動すら覚えていた。
僕たちは「主にテレビゲームをするだけ」という、とてもつまらない理由で「NTSC規格の中古テレビ」を買うべく店に入る。(もちろん僕が全額支払う)
店内に入ると「ベルモント店」は「フリーマントル店」と大きく異なり、こちらの店舗の方がいつかの映画の中で見たことのある、上手く表現し難いのだが「いかにも外国のお店の中」そのものだった。いつシュワちゃんが、大きな銃を持って玄関口からドカッと入って来ても全く不思議ではないくらい、外国感でいっぱいの店内だった。
 ともあれ僕たちは店員に声をかけ、フリーマントル店で言われた通りに、彼のメモが書かれたカードと僕のパスポートを店員に見せた。
「OK.」と店員は言って、予め用意してあった赤色の十四インチのテレビを少し奥から取り出し、カウンターの上に置いて僕のパスポートを確認すると「$115」と言い、僕はお金を支払った。
 これで終わりだ、二日間の戦いがようやく終焉を迎えようとしている。
「Thank you.」と店員は言うと、お店のカウンターに裸のままの十四インチのテレビが置かれたまま、次のお客の対応を始めた。
「これって、このまま持って帰れってことやんな?」と僕はタカに聞いた。
「多分そうじゃない? だって次の接客してるし包む手配とかもなさそうだよ」とタカは他の店員を見てそういった。
前回、フリーマントル店でタカがギターを買った時も「裸のまま」だったので、二人でアレヤコレヤと思いを巡らせてみたが、空気的にどう考えても「裸で持って帰る」のが、この国の当たり前らしいと僕たちは解釈した。
日本であれば、レシートをくれるのはもちろんの事、テレビを緩衝材で包んでくれて、自社の包装紙で包んで、プラスチックの紐と取っ手をつけてくれて、場合によっては自社の大きなビニール袋に入れてくれて、ビニール袋の取っ手と備え付けてくれたプラスチックの取っ手を併せて持つようにと言われて、商品を渡されるものだが、オーストラリアは全く違った。
「購入ありがとう、以上!」だったのだ。
こちらは中古品と言っても、約一万千五百円の買い物だ。
日本でもなかなかの金額の方だと思う。
しかし、この国では「高額でも、丸裸で」というのが当たり前なのだろう。
これもまたこの国の「寛容性」なんだといえる。色々と勉強になるなぁと、僕はテレビの両端の上部にある主に模様替えの時に掴む用の「持ち手」を持って「丸裸のまま」で店を出た。
なんとも困ったもので、ブラウン管のテレビの時代だったので、ちょっと手を滑らせたらガシャンと壊れてしまう。
持ち手がわりと深めだったのと、縦筋に細い空気穴が複数個空いていたので、まだ持ちやすい方ではあるが、正直「怖い」。
さぁ、ここからが問題だ。
機転を利かせたタカが、どの方向から来たかを予めしっかりと覚えてくれていて、駅からここ迄の道と方角をなんとなく覚えてくれていた。
「凄いね」と僕は、あまりの用意周到さに驚いていた。
彼は「実は、もしあの中年夫婦が悪い人だった場合、最悪逃げて帰れるように予め覚えていたんよ。まぁ、用心するに越したことはないからね。いってもここは外国だから」と言い、冷水を頭から浴びた気分だった。
 僕は、諸手を挙げて喜びそんな事も考えず、車の窓から見える外国の街並みに見とれていた自分が恥ずかしかった。そうだ、ここは外国だ。
コアラや綺麗なビーチやおおらかな人たちの国というイメージばっかりだったが、やはり全員が良い人とは限らないのは日本と同じだ。
少し、いやかなり気が抜けていた自分の心を引き締め、まだ液晶テレビが全く普及していない時代の、少し重たいブラウン管テレビをタカの言う方向に慎重に運びながら僕たちは帰路に向かった。

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