ため息の逃げ場。
つい自分を基準に考えてしまうので、突然びっくりすることがあります。
理解出来ることもあります。
分かりあえないことが毎日あるんです。
「今朝のことなんです。」
昼休みに職場の人が言いました。
「私はバス通勤しているんです。
バスに乗り込んで出発を待っていたら、腰の曲がったおばあさんが来たんです。腰が凄く曲がっていて、まるでブーメランみたいでした。足元も力ない感じで、バスに乗れるのかなと見ていたら、たぶん全くの他人だと思うんですが、すごく太った女性が『大丈夫ですか?』って手を差しのべたんです。それから駅に着いたら、またそのすごく太った女性が、ブーメランみたいなおばあさんに『ゆっくり歩いてくださいね。』って、降りるのを手伝っていました。私、その太った女性の行動に感動したんです。そして、何も手伝えなかった自分が恥ずかしかったんです。」
ちょいちょい引っ掛かりました。
概ね良い話なのに、一部が引っ掛かり過ぎて理解が追い付かない。
「ブーメラン」や「凄く太った」は必要だったろうか。
ソフトな表現に変えていますが、実際は
「ブーメランばあさん」て言ってた。
バカ。
全くバカと考えました。
恥ずかしく思わなくてはいけないのは、たぶんそこじゃない。
多様性の時代なのに、まだまだ世の中に浸透していない。
多様性とはなんだ?
そんな夕方、隣の人に
「僕は好きでハゲたわけじゃないんです。」
と告白してみました。
「ぶくおさん、パワハラですよ。」と言われました。
バカ。
全くバカと思うんです。
自分の容姿の悩みすら話せない。
自分の悩みを話すとパワハラになる時代。
持続可能ななんとかという言葉があります。
横文字で言うと、なんとかと言ったはず。
全く一文字も思い出せない。
ため息をひとつ「ふう」とついてみました。
ため息が巡りめぐって、地球の裏側が竜巻になるみたいな話。
それをなんとかと言ったはず。
思い出せないんです。
バカ。
僕、バカと思います。
このように何も思い出せない事態なんです。
さっきの突風も誰かのため息かと思うと、
まあ何だかいとおかしです。
よく分からないのですが、いとおかしですよ。
太ってごめんなさいって、電車のなかで考えたのです。
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