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歓喜の歌あれこれ


 昨年末、暮も押し詰まったある日、ベートーヴェンの交響曲第九番を、誘ってくれた娘と孫娘と一緒に、コンサートホールで聴きに行った。

 かなり以前から、この曲の演奏会は、プロ、アマを問わず、日本の年末行事の一つとして定着してきたように思われる。

 アマチュアの合唱団を加えての演奏は、昭和30年代から盛んになり始めた。
 話題となって面白かったのは、当時、浅草の国技館を会場として、1000人の合唱団が集められた時のこと。 土地柄、下町の芸者さんたちも、多数が張り切って参加したものの、ドイツ語の歌詞を覚えるのに、たいへん苦労されたそうだ。
 意味のわからない言葉を覚えるために、色々工夫されたと聞く。似たような発音の日本語と語呂合わせをするが、
 例えば、合唱の冒頭
    フロイデ シェーネル は
               風呂出で    師へ練る
のように、何とか辻褄の合いそうな文脈に仕立てるのは大変だったらしい。
 この覚え方は、他にもたくさんある。 私が小学校で歴史を習った時には、年号は西暦ではなく皇紀だったから、例えば、仏教伝来は
 "1212とやってきた"
と覚えたものだ。(西暦では552年)

 この交響曲は聴くばかりでなく、私が合唱団の一員として、最初に第四楽章の「歓喜の歌」を歌ったのは、新潟市の有志が「市民で第九を歌おう会」なる呼び掛けに応募した時だった。
 さすがに、名曲の大合唱の中に身を置いて声を合わせる醍醐味は、なかなか得難い経験として記憶に残っている。

 世界に名だたる名峰富士登山について、大変失礼な言い方だと思うが、
 "登らぬ馬鹿と、2度登る馬鹿"
と言われているのをご存知だろうか。
 ベテランの登山家の方々なら、多少納得と思われるかもしれない。世の中には、シーズン中は毎日登られる方、富士登山最多回数として、ギネスに登録されている方など、バカも様々だけれども。

 ベートーヴェンの第九についても、似たようなことを言われる音楽愛好家もいる。それは多分、聴く方ではなくて、歌う方のことかもしれない。確かに、歌曲の名曲に比べたら、1人で何回でも歌いたいと思う曲ではないけれど、これを富士登山と比べるのは、あまりふさわしくないと思う。

 閑話休題

 プログラムの終わりに「歓喜の歌」の対訳が載っていた。第二外語にドイツ語を取らなかった孫娘が、辿々しく読んでいる。 
 「おばあちゃんが、学校で習った頃と、発音が少しずつ違ってきているのよ」
  「どんな風に?」
  「例えば、tochter(娘)はトホテルではなく、最後のerは、rを発音しないで、トホターになっているの」
   「それ、英語のerの影響かしら?」
    などと昔の話を始めたら、彼女が俄然、興味を持ってしまって、日本語の対訳だけではもの足らず、歌詞のドイツ語をもっと詳しく説明してほしいと言い出した。

 教養学部の第二外国語で、厳しさNo.1とNo.2の誉れ高い2人のドイツ語教師に2年間しっかり絞られたおかげで、当時の私は、英語よりもドイツ語の方が得意なくらいだった。
  それで、久しく遠ざかつていたドイツ語の精読に懐かしささえ覚え、ワクワクしながらそんなの簡単、と喜んで引き受けた。ところが、である。
 対訳を見ながらならば、詩的に意訳されていても、本来の単語の意味など簡単に説明できると思いきや、文法は忘れていないのに、単語の方は辞書のお世話にならないと、正しい説明が出来ないほど、ドイツ語は、私の中から忘却の彼方へと去ってしまっていたことに気付かされた。

 コンサートは堪能したけれども、一抹の寂しさを感じた冬の宵でした。

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