見出し画像

海外旅行今昔

 夏休みは旅の季節。 海外へは久しくご無沙汰なので、せめて思い出の中から、今では凡そ起こりそうもない出来事を2,3拾ってみよう。

 少女の津田梅子さん一行や、明治維新の要人たちが、はるばる太平洋を越えて、船でアメリカへ渡った様子などは、 誰にもお馴染みの光景だ。
 戦後間もなくの昭和20年代も、アメリカへ行くのは船が主流で、その船さえ、 旅費を節約するために
貨物船に便乗する留学生を、横浜港まで見送りに行ったことがある。

 私が最初に海外へ出たのは、昭和37年にオレゴン州のシアトルとポートランドへ。 2回目は同52年、ブラジルのサンパウロへ、夫の公務に通訳として随行した。 この時は、丁度地球の反対側に来たのだから、帰りは別のルートでと、地球一周の旅となった。

 勿論、この頃は飛行機が主流になっていたが、お国柄が色々見えて面白かった。ペルーでは、予定されていた便の乗客が少ないと、あっさり欠航となってしまったり、モスクワの空港では、 整備も終わり、乗客は全員揃って離陸を待っているのに、一向に飛び立つ気配がない。理由はパイロットをはじめ、乗務員たちが揃わなかったそうで、彼等こそがお客に優先するVIP(Very Important Person) だったそうな。 

 長男である夫の母親の終末期には、次男のお嫁さんが面倒を見てくれていた。それで、義母を見送った後に、ささやかな感謝とねぎらいの心を込めて、彼女を海外旅行に招待した。
 イギリスを、エディンバラから南へロンドンまで、バスを乗り継ぎの5泊の旅で、話し相手はいつも隣に座る嫁さん同士。
 当然、義母の日常が、 話題の中心になる。彼女は大変有能な世話好きの女性で、嫁いびりなどしない良いお姑様なのだけれども、立派な御意見を持ち、自己主張の強い方だったが故に、周囲と衝突することも屡々だった。

 旅の最後の日に、ロンドンで仕事をしている娘と一緒に食事をした時、彼女に「楽しかった?」問われて、
「おばあちゃんの悪口ばかりで盛り上がっていたのよ」
とふざけたら、
「飛行機の中でそんな話しないでね!落ちるから」
と、真顔で返されてしまった。
 昔から嫁さんたちが集まった時の話題としては、格好のストレス解消法と聞いていたから、罪の意識はなかったのだけれど。

 私の息子は毎年ホノルルマラソンに参加して、記録アップに挑戦し、その後は仲間とゴルフをするのが何よりの楽しみのようだ。

 以前、ポートランドからの帰途にハワイを訪れた時の私は、風邪で寝込んでしまって、どこも見物出来ず、夫に面倒を掛けただけだった。いつの日か、息子の走りっぷりを見がてら、幻のハワイへ同行したいものと願っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?