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雨に唄えば

 関東の梅雨もそろそろ終わりに近づいた。ラジオの語学番組で雨にまつわる話を聞いていたら、不意に古い映画のタイトルが頭をよぎった。

 1953年の日本公開なので、私は既に社会人になっていたから、学生時代のような映画漬けは卒業していたはずだ。 ジーン・ケリー主演のこのミュージカル映画は、主題歌"Singing in the rain "が評判になって、観に行ったのは確かなのだけれど、雨の中で彼が歌っている場面以外は、不思議にもあまり印象に残っていない。

 何故、その場面だけ覚えているのか?ちょっとした言葉のやり取りの故だと思う。
 "ジーン・ケリーが、 土砂降りの雨の中を、傘をおもちゃにしてびしょ濡れになりながら歌うの"
 と、夫に歌の場面を説明したところ、彼の曰く、
"傘をオモチャに、という言い方はないだろう。"
 と、返ってきた。 その納得いかない批判をきっかけに、 形容表現をめぐって、しばし暇つぶしの議論が続いたのだった。

 夫は、大変な読書家で、特に司馬遼太郎などの愛読者だった。 短歌や俳句にも励み、若い頃から詠み溜めた膨大な数から厳選して、句歌集が出来るほどだから、言葉の使い方にはうるさいのだ。
 私がうっかり不適切な言い方をすると、"文学部出身のくせに. .. などと皮肉を言われる。 最近のいわゆる若者言葉は、世代の少し近い私でさえ、外国語でも聞いている感じがするから、いくら言葉は生き物だと言われても、ついて行くのは大変だ。

 音楽でも同様なことは言える。近頃の或るジャンルの曲からは、メロディーが消えて、ほとんど言葉とリズムだけになっている。その言葉も、日本語の抑揚にはお構いなしだから、耳からだけでは理解できない。メロディーがあっても、言葉とは全くチグハグに動いている。
 「赤とんぼ」など、多くの名曲で知られる山田耕筰先生は、歌曲を作るにあたって、 日本語の詩の持つ本来の抑揚を非常に大切にされているから、近頃の若者たちに人気の新しい歌を聞かれたら、さぞかし嘆かれることだろう。

 タイトルのついでに、少し昔の映画のことを思い出してみよう。戦後間もなく日本で上映された数少ない外国映画を、少女の私は片っ端から観ていたが、そのころ観た映画は、感動とともに記憶に残っている物が多い。やがて、それらが次々にテレビで放映されるようになつたので、気に入ったものをビデオテープにダビングした。その後、名画を題材にした語学教材が出版されるようになると、早速ストックしたVHSを、リスニングの好材料として教室で活用した。
 メインの60分は、イギリスの小説の購読で、そろそろ眠くなってくる残りの30分にこれを使う。学びは楽しく!がモットーで。

 「メアリーポピンズ」「THE SOUND OF MUSIC」「ローマの休日」「My Fair Lady」「裏窓」etc. etc.
 前の二つの作品では英語の歌が豊富に歌われるし、「ローマの休日」ではRoyal EnglishとAmericn English の両方を聞くことが出来る。 My Fair Lady」などは、英語の発音を知るにはもってこいだ。 ユーモアとサスペンスを併せ持った「裏窓」など、学生と一緒にわくわくしながら学んだから、忘れようもない映画ばかりだ。

 結婚後は、映画とは縁遠くなってしまったが、それでも、XX映画祭で受賞したとかいう作品は、わずかな暇をひねり出して、映画館へと走った。 昔よりも暴力シーンの多いのはどうも苦手だが、巨大なスクリーンの美しい風景や、甘美な音に囲まれた非日常の世界に、ひととき身を置くのも、また乙なもの。

  最近の営業実績によれば、映画ファンが劇場に戻りつつあるそうだ。やはり、映画鑑賞の場は、シネマシアターが最高。

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