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頂き女子りりちゃん、永山則夫のような作家になろう。

こんにちは、にかです。頂き女子りりちゃん、あなたは作家になればいいんじゃないかなあ。と言うお話です。

「頂き女子」はこうして生まれた

今日、夜ご飯を食べながら、この動画を見ました。

最近特に日本で話題になっているらしいこの頂き女子りりちゃん。ただのパパ活売春婦だと思っていましたが、どうやらそうでもないみたい、と言うのがこの動画を見た感想です。

彼女はかなり過酷な幼少期を送っており、常に死と向き合い続けていた。次第に身体を売ることで自分の存在価値を知っていき、しまいにはそうして得た金をホストに貢いでしまった。

このホストに貢ぎ続けてしまう行為には甚だ絶望する。しかしりりちゃんは記者に87枚もの手記を送り、その中で自分の幼少の体験から罪に染まるまでを赤裸々に告白し、自らの狂おしさを認識すらしている。もはや一つの完成された文壇的私小説だ。

永山則夫

みなさんは永山則夫(ながやまのりお)という人物をご存知だろうか。おそらく今の70代以上の年齢層の日本人で、知らない人はいないだろう。昭和史に残る大犯罪者の一人だからである。

何件もの殺人を繰り返し、死刑となった人物である。
後の昭和史にも残る事件を起こしてきた様々な死刑囚にもよく知られており、彼ら死刑囚や看守たちの中で『Nさん』と言うとそれだけで通じるレベルであった。

つまり、昭和の死刑囚の中でも群を抜いて有名な人物である。

そして彼が有名な理由はもう一つある。それは、彼は死刑囚でありながら、獄中で小説を書き、芥川賞まで獲得した作家でもあるからである。彼は死刑囚にして作家なのであった。

もう一つ彼が有名な理由として、彼の裁判は刑事裁判における死刑の基準になったから、と言うのも挙げられる。
それまでは、『うーん、一体何人の殺人までなら終身刑で、何人殺したら死刑にすればいいんだろう?』という具体的な基準は存在しなかった。そうした基準は彼の裁判によってある種一つの形態として確立され、今日では「永山基準」とまで呼ばれる。

殺人犯の顔を見たくない、と言う方もいると思うので、あえてここではWikipediaの引用に留めておく。↓

彼の代表作『木橋』はやはり私小説的内容を含んでおり、他にも数多くのエッセイや小説を残している。

彼の文章はとても精密で、美しい。あまりの評価ゆえ、ドイツ作家同盟までもが死刑判決に対する恩赦を請うたという。

そしてこの永山則夫も、最悪な家庭環境の中育った

1949年、戦後すぐ生まれの彼は、母に捨てられ兄妹には殴られながら育ち、学友たちにもいじめられ、そんな環境故高校にもまともに行くことはできず16歳で生まれ故郷の北海道から東京へ就職する。

しけし、仕事もうまくいかず、そしてこれまでの家庭環境のせいで「自分は常に周りから陰口を言われているんじゃないか」と思い込むようになってしまい、仕事を転々としながら暮らしていた。

それでもお金がなくなり、ついに空き巣や留守の家に泥棒に入り、盗みを起こすようになる。しかし、彼は非常に臆病だった。絶対に人を殺せる勇気などなかった、とのちに語っている。

ある日いつものように泥棒に入ると、なんだかいつもと違った家のようだった。机には拳銃が置いてある。そう、そこはアメリカ海軍・横須賀基地にある住宅だったのだ。咄嗟に彼は拳銃を盗んでしまう。護身用に持っていただけだ、とのちに彼は言う。

そしてその後も泥棒を繰り返すが、ある日警察に見つかってしまう
逮捕を恐れて何も考えられなくなった彼は、気づいたら警官を撃ち殺していた。

これが最初の殺人であり、彼はその後も似たような事件を繰り返してしまう...。
ついに逮捕された時、彼はまだ19歳だった

YouTubeで彼の名前を検索すると、詳細なドキュメンタリーを見ることができる。気になった方はぜひ見てみてほしい。

環境は才能をも左右する?

さて、非常に大胆な議論をすると、まず永山則夫には間違いなく才能があった。文章を書く才能が。そして彼自身、勉強をしたかったのだろう。学生時代には、問題なく学校に通っていた妹からあらゆる文学を図書館から借りてこさせ、片っ端から読み漁ったと言う。

一方私が最も論じやすい三島由紀夫を引き合いに出すのは我田引水論かも知れないが、彼は武家一族の父、公家一族の母のもとに生まれた。
彼は祖母が厳しく、12歳まで祖母にのみ育てられたという偏った教育ではあったが、非常に裕福な家で育ったことは間違い無いだろう。

あまり知られていないが、父の家系図を辿ると徳川家康に辿り着くほどの血筋を持っている彼は生まれから強運だったのかも知れない。
しかし彼の文学による成長といった家庭環境も彼の才能を花咲かせる遠因になったことだろう。果たして三島由紀夫が永山則夫の家庭に生まれていたら、同じく文豪となれていただろうか。そして永山則夫が裕福な、または幸せな家庭に生まれていたら、死刑囚になっていただろうか。

しかし死刑囚になっても文章を書くことはできる。売春婦であっても作家を志すことはできる。娼婦だって闊達に筆を振るえば、違った生き方ができるかも知れない。

頂女子りりちゃん、あなたが再び人生をスタートさせるための一番の道は、きっと獄中で小説を書き、作家となることではないか。

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