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……え、神様って、バーチャルアイドル!?

※最初に断っておきますと、話がアッチコッチ行きます←

「神様とはバーチャルアイドル(本来の意味の『偶像』も含めて)のことだった!」


こう書くと「乱暴な」とか「失敬な」とか言われそう(笑)。
でも、ちょっと考えてみて欲しい。神様は神殿や神棚の向こうに、バーチャルアイドルは画面の向こうに、それぞれ在るものとしていて、それが在るかどうか決めるのは、その人次第なのだから。


これに至ったいきさつはと言うと、「神棚って何だろう」というところから始まる。
ある人が教えてくれたのが、
「神棚は、神社や神殿、神様のいる世界への窓口で、そこを結ぶ道が在って、神様と私たちを繋いでくれるものだよ。」
というものだった。
最初は
「ああ、そうか。何だか、ドラえもんのドコでもドアみたいだな……。」
と思っていた。でも、それからしばらくして、ふと
「……ドコでもドアというより、スマホやタブレット、パソコンの方が近い……?」
「……いや、それだ。まさしくそれだ!」
……と、一人何かを悟り、それに興奮したのであった←
きっと、神棚というのはデスクトップパソコン、御守りというのはノートパソコンやスマートフォンの様なものなのだ。

画面の向こう、開いたウインドゥ(まさしく窓だね)の向こうにバーチャルなアイドル(偶像)が在る様に、
その向こう側は神様と繋がっていて、いつでも神様とやりとりが出来る。そう信じれば、神様はいつもそこに在るんだ。
そういえば、御守りもスマホも、基本、常に身に着けておくものだしね←


こういったいきさつから、
「あ……。昔の人にとっての神様って、今で言うバーチャルアイドルや、Vチューバーみたいなものだったのかも……。」
という考えに至ったのである。


そしてそうなると、これは突飛な話であるけども、
「よく宗教と科学の対立なんて言われるけど、対立なんて実は無くて、共存はもちろん、融和だって出来るし、それが然るべきだったりして……。」
そう思えた。
AIやゲノム編修といった最先端技術により、科学には倫理という想像上・空想的なものが求められているし、神話や説話といった物語には、人々が納得して受け容れられる道理や(屁理屈も含めた)理屈が求められるように見える。それは互いに補完しあっているということで、どちらも必要だということなのだろう。

個人的な歴史の見方だと、人類の歴史は遺伝子構造と同じで、二重螺旋になっていると考えている。
「1周するごとに1段階上がる、そして何かの出来事には光の面と影の面の両方が常に在る」
という考えだ。
今は何周かして、何段階か上がっている、それを横から見ると1~数段階上がっている、でも、上から見ると前と同じ地点に戻っている、つまり、技術が発展・進歩して一見して様相は変わったけれども、基本的・本質的には以前と同じことをしている、ということである。
そしてそれは、今の私たちがVRの空間上に、様々な設定を充ててバーチャルなキャラクター、偶像の局地的なものを生み出し、そこから更に様々な設定を付け足し、独特の物語を生み出している様に、昔の人たちがこの世ならざる世界を想い描き、様々な役割を持った神々を生み出し、そこから彼ら神々と更には人々との係わる物語・神話を生み出していたということなのだ。

神様や宗教、そして、そういったことを想い描いた昔の人々、自分たちの祖先を、身近に感じれはしないだろうか。


私は此処に至ったことに物凄く興奮したのだ。


「私たちは1人ではない。繋がりは横だけじゃない、縦にだってあるんだ。」


たまに聞いたりしないだろうか。
「社長や成功者と言われる人はよく参拝する。」
それはきっと、いわゆる神頼みではないのだ。
横と、そして縦との繋がり、過去の、現在の、そして未来の人々との繋がり、それを忘れないように、忘れてしまったら思い出すように、再確認するためにそこへと赴いているのだと思う。
今の自分が在るのは、人々の繋がりが在ってこそ、過去の横の繋がりが在ったからこそ、現在へと至る縦の繋がりが在り、現在の横の繋がりが在ればこそ、現在進行形で自身や自身の会社・組織もっといえば国家が在り、未来へと至る縦の繋がりもそこから生まれる。
そして、だからこそ、未来へと至る縦の繋がりを創り出す責務もまた在る―


10年、数十年、更には100年続く企業は、実はそうそう無い。途中で消えてしまう、その多くは、こういった繋がりが途絶えてしまったからなのかもしれない。
よく「会社の経営・存続には、社会に必要とされる価値在るものを創り出せているかどうかが重要」というのを見聞きする。勿論、それは大事である。ただ、それが人と人の繋がりであること、そしてそれが縦にまで至っているものかどうか。そこまで論じているものは、個人的にではあるけども、所謂大企業ではあまり(というより、殆ど)見聞きしない。
逆に、今、そしてこれから新たに生まれ出ずる企業には、そういった考え・意識が色濃く強いものが多いように見えている。
これから先100年続くかもしれない未来の老舗企業が、こうしている間も何処かで生まれ、成長しているのかも―


ここで神棚に祀る、ある物の1つについて触れようかと。
神棚だけでなく、神殿にも祀ってあることがある円い鏡、あれを祀る意味は色々とあるのだけども、その内の1つに
「鏡は自身を映すもの、つまり、神は自身の内に在るものということを表す」
というのがある。
なるほど、B′zも
「僕は僕に君は君に拝み倒して笑えりゃいい」
って謳ってるもんね←


追記

最後に、有権者、特に若者たちへ(急にどうした)。
必ず投票に行けなんて、アホなこと私は言わない。
実際、私も選挙権が在ったのに投票に行かなかったことがあるので。
それは投票したくなかったから。
「個人ではなく、政党でも、自分の考えと近いとこに投票しよう」
なんて言う人もいるけども、
「いや、ダレノガレ……いや、誰も彼も、何処も彼処もドングリの背比べで、しかも自分の考えとこれっぽっちも近しくないのに、どこに投票しろっつうんだ、アホ!!」
という状況で投票出来るかどうか。私は出来ませんでした!!←最近は妥協することを覚えました
入れたくないのに入れる、それはその人にとっての死に票、死に票ときっと同じ。
未来の為では勿論あるけども、なにより、自分の為に投票するのだから、したくなければしなくていいはずなんだ。
だから、投票したい人がいない、投票したい政党が無いなら、無理して投票しなくたっていいんだ。
ただ少しだけ社会や政治、日々の生活やたまに行く行政機関位の身近なもの、その位で「ああ、こうなったらいいな……。」って、ちょっとだけでいいから、たまには考えて、それで白黒つければいいから。
「まぁ、あの人・あの政党へ入れるかな……。」
「これじゃあ、どこに入れても好くならないよ。入れたくない。ヤメヨ。」
それでいいと、勝手に思ってる←
大事なのは、「まぁいいか」や「どうでもいいか」ではなく、自分が投票したいから投票するんだ、或いは、したくないからしないんだ、という、そこなんだから。


ほら、最近よく見聞きする性教育・セックスの話と同じだよ、ウン!たぶん……。←いや、お前、最後にそんなかよ!って、怒られるかな……怒られないかな……怒られそうだな……。

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