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あの時言えなかったありがとうを、「ハッピーターン」に。

「ありがとう」という言葉は、簡単そうで意外と難しい、と大人になった今でも思う。
難しいという表現が正しいかはわからないけれど、伝えすぎると胡散臭く聞こえるし、言葉にしなければ全く伝わらない。

不思議なことに、仕事でお世話になった人や街で親切にしてくれた人など、一定の距離がある相手には素直に伝えられるのに、いつも一緒にいる家族や当たり前に側にいてくれる人には、心の中で一方的に伝えておしまい、にしてしまうことも多い。天邪鬼な言葉だなと思う。

けれど、最近思うのだ。
そういう相手にこそ、伝えるべきではないのかと。
声色や表情で伝わりづらいからこそ、きちんと伝えるべきではないのかと。
そのために、きっと”言葉”があるはずだ。

今回は、ずっと言えなかった、でも言いたかった、あの時の感謝の気持ちをここに記してみようと思う。

32歳になった今、「ありがとう」の出し惜しみは、もうやめる。

***

子供の頃から、「食べる」ことが好きだ。
ダイエットをしてトレーニングをして作り上げるパーフェクトボディには憧れるけれど、それ以上に、おいしいご飯を食べるために生きている。
考え方がデブである。

でも、仕方ない。この世には、おいしいものが多すぎる。
日本にいながら世界の色々な料理も食べられるし、ある程度の食材はネットで注文できる、ありがたい時代。最近は食の選択肢もぐんと増え、高級料理屋に行かずとも、ファストフードやコンビニなど、簡単に手に入るごはんもすっごくおいしい。
大人になったらもう少し食が細くなる日が来るのかな。その日が来たら、きっと痩せられるんだろうな。なーんて思っていたけれど、そんな夢みたいな日はまだ来そうにない。

しかし、この私が32年の間でたった一度だけ、食欲がなくなったことがあった。

あれはもう、何年も前のこと。


きっかけは、家族の病気の宣告だった。

正直あの日の記憶はほとんど抜け落ちてしまって曖昧だけれど、突然病室で告げられた病名と残りの時間を示すような無機質な数字に、頭が真っ白になったことだけは覚えている。
本人以外にいたのは私だけだったから、あの時の感情は、きっと私にしかわからない。

医療ドラマや映画で観ていたシーンとは、全然違う。心の準備なんてする余裕もないまま、淡々と事実だけが告げられる。それはとても残酷に見えて、もしかすると1番冷静になれる方法だったのかもしれないが。

現実と非現実の狭間のようなふわふわした頭のまま、待合室で、私は泣いた。

本人を前に、付き添いの私が泣いたってどうにもならないことはわかっていたけれど、無力な拳を握りしめ、ただ涙を流すことしかできなかった。

なぜだか、その日の夜は「これから私も頑張らなきゃ!」と意気込み、ご飯をもりもり食べた。ほくほくの白米に、だし醤油の唐揚げ、サラダにお味噌汁。
「大変な時こそしっかり食べる、大変な時こそぐっすり眠る」が家族のモットーでもあったから、食べていれば大丈夫、という自信もあった。

けれど、その翌日から少しずつ、少しずつ、食べる量は減っていった。

家族の病気宣告、通院。その他の家族のサポート。それと同時に、自分の就職活動が始まった。
投げ出すわけにもいかない。大学も行かなければいけない。
バイトもある。やりたいことも、これからやってみたいこともある。
時間が足りない。寝る時間ももう少し減らさないと。
でも、これからどうなっていくんだろう。
どうしていけば良いのだろう。
このままで大丈夫なのかな。大丈夫なわけない。
私がしっかりしないでどうするの。
まだ、まだ、足りない……

家族はもちろん、誰ひとりとして責めたり追い詰めたりしなかったのに、私をじわじわと闇の底に追い込んだのは、私自身だった。
気がついた時には、何かを食べたいという欲は全くなくなってしまっていた。

当然ながら、体重もどんどん落ちていく。
初めは「うわ〜、こんなに痩せられるなんて」と嬉しかったけれど、1ヶ月経つとジーンズはずり落ち、下着のサイズが合わなくなり、目の下のクマは濃くなり、鎖骨あたりの骨が浮き出てきた。
さすがに少し怖くなり、体重計に乗るのをやめた。

そんな時だった。救世主が現れたのは。


***

「ほら、これ食べな」

リビングのテーブルで、ウンウン唸りながら試験対策の勉強をしている私の元へ、家族がぽんと投げたオレンジの袋。


それが、「ハッピーターン」だった。

「お腹空いてないんだけどな」
「食べないの? じゃ、全部食べちゃうよ!」
……そう言われると、なんだか悔しい。

「じゃあ、1個だけ」
そう言って、包みをひとつ手に取った。

もちろん、君の存在は前々から知っていた。
おいしいという評判も聞いていた。
けれど、おせんべいはしょっぱい方が好きだ。草加せんべいみたいに堅くって、醤油をダイレクトに感じられるやつ。
パウダーがついてるんだかなんだか知らないけど、おせんべいで甘いって、邪道じゃない?

今思えば、何でそんなに当たりが強かったのかわからないけれど、とにかく何かに反発したかっただけなのかもしれない。
すぐに食べる気は起きなかったので、まずは目の前の勉強に集中することにする。

それから数時間経ち、気がつくと23時を回っていた。家族は全員寝てしまった。

目の前にあるのは、参考書、ノート、フリクションペン、ハッピーターンがひとつ。

達成感もあったので、夜中なのにアツアツの紅茶を煎れた。もう少し休憩したら、来週の面接対策もしてしまおう。
エネルギーチャージの時間にしようと決めて、包みを手に取る。

おせんべいなのに、なんだかオシャレ。

キャンディみたいな包みを半分外し、パクリとかじる。

「…………ッッ!!!」

食べた瞬間、脳に電撃が走った。
大袈裟な表現ではない。
本当に、ビビビッと電気が走ったみたいな強い衝撃。
何かを食べて脳が震えたのは初めてだった。

もうひとくち、かじる。
なんだ、これは。

しょっぱいとか甘いとかいう概念すら、どうでも良くなる。
カリッ、シャクッとした食感。
初めて味わうパウダーは、甘さの中に旨みとコクがあって、どこまでも深い。

あっという間に食べ終わってしまい、気づいたら台所のお菓子棚に隠されていた袋を右手に掴んでいた。

参考書とノートを机の端に寄せ、透明の包みをもうひとつ手に取る。

さっきほどの衝撃はないとはいえ、やっぱり脳にズン、とくるこの感じ。
・・・たまらない。

ノートを書き終える頃には、一袋、まるっと全部平らげてしまっていた。
いつもだったらカロリーを見るのが怖すぎて震える案件だけれど、当時はとにかく栄養が足りていなかったこともあり、久しぶりに「満たされた」感覚があった。
袋を小さく丁寧に畳み、ハッピーターン初体験を終えた。

私はこの日から、狂ったようにハッピーターンを食べた。
面接やSPIの対策をしながら、むさぼるように食べた。
食欲が落ちていたことを知っている家族は、初めの3日こそ何も言わなかったけれど、1週間経つ頃には「このまま食べ続けたら体がハッピーターンになるぞ!!」と言って取り上げられた。体がハッピーターンになるのも悪くないな、と思った。

食欲というのは不思議なもので、食べ始めると少しずつ回復してくるらしい。初体験から1週間はほとんどの摂取エネルギーがハッピーターンだったものの、家族に袋を取り上げられてからは他の物からも栄養を摂れるようになった。
2ヶ月後には、以前と同じくらいの食欲・体重に戻っていた。

好きな人のことは、些細なことまで知りたくなるものだ。
ここまで私を虜にした君は、いつ、どうして生まれたのか。どんな想いで作られたのか。
改めて「ハッピーターン」について調べてみることにした。

『亀田製菓』のサイトからハッピーターンのスペシャルサイトに飛ぶと、求めていた情報がわかりやすくまとめられていた。

ハッピーターンが開発されていた時期は、第一次オイルショックの影響で日本中が不景気な状態だったということ。幸せが戻ってくるようにと名付けられ、1976年に生まれたこと。従来のおせんべいの常識とは少し離れた洋風おせんべいのイメージで開発されたこと。パウダーの味が落ちないように、手につかないように、とキャンディラッピングが採用されたこと。発売当初からオレンジ色のパッケージではあるけれど、少しずつ変化し、フォントが変わったり、チーズやトマトなどのフレーバーが増えたり、ファミリーパックが作られたり、歴史が積み重なって今の姿になっていること。

日本のお菓子は多種多様で何万種類もあるといわれ、新商品も毎年数え切れないくらい発売されているけれど、ロングセラーになるのは、ほんの一握りなのだと思う。
愛され続けるって、きっと、すごく難しい。

売れ続けるには、味がおいしいだけでは足りない。その中には開発者の想いを繋ごうとする人たちや、時代の進化に合った新しいアイデアを取り入れる人、安全管理・検査を徹底する人、私たち消費者のことを考えて改善していく努力あってこそなのだと思う。

ハッピーターンのページからは、お菓子の裏にある、つくる人たちの”想い”みたいなものが感じられたことが、なんだかとても嬉しかった。

***

袋を取り上げられた私は、その後どうしたか。

……さすがに、毎日一袋平らげるのは体に良くないだろうと、少し控えるようになったけれど、相変わらず毎日欠かさず食べていた。

特に有り難かったのは、個包装のミニタイプ。

就活バッグに入れて、ほぼ毎日常備していた。
面接や試験の後、カフェでゆっくり時間をつぶす余裕もお金もなかったので、近くの公園や空き地に行って、水筒のお茶を飲みながらこれを食べた。こんがらがった思考を整理しながら、息を整え、自然の空気をいっぱい吸って、ハッピーターンを食べて。心を落ち着けてからまた次の面接へ向かう。
この数分のリフレッシュタイムは、緊張しがちな私の心を休める大切なひとときだった。


それから数ヶ月経ち、迎えた家族の手術当日。

本人はもちろん大変だけれど、待合室で待機する家族も大変だということを、この時はじめて知ることになる。

ざっくりと予定時間は聞かされているものの、実際どれくらいかかるかわからない手術。途中、一度「コーヒーを買いに行っていいですか」と看護師さんに聞いてみたけれど、終わるまでこの階にいてください、と言われて身動きが取れなくなってしまった。
朝早くバタバタと準備をしたため、食事も摂れていない。こんなことなら、何かひとつでも持ってくるべきだった。

何もない待合室で、祈りながら、ただ手術が終わるのを待った。

しかし、予定時間を30分過ぎても、1時間過ぎても、2時間過ぎても……誰からも声をかけられない。
窓から見える空の色だけが変わっていく。
段々、居てもたってもいられなくなり、立ち上がったり、座ったりを繰り返してみる。それでもこの階から出ることは許されず、ただうろうろするしかない。
そろそろパワーが尽きるかも…どうしよう…私が先に倒れる…と、思っていたところに、本人が帰ってきた。

微笑んでいる先生を見て、ほっとした。手術は成功した。
顔を見るだけならいいですよ、と通された個室で本人と対面し、ゆっくりだけれど会話ができた瞬間、ようやく安心して全身の力が抜けた。

スポーツでパワーを使い切ることはあったけれど、気疲れで全身の力が抜けるのは初めてだった。低血糖にならないように、まずは自販機で買ったオレンジジュースを一気に飲み干した。少しずつ視界がはっきりしてきたので、倒れることはないだろう。
その日は本人は絶対安静で、私にできることは特に何もなかったので、翌日に備えて家に帰ることにした。

病院から自宅まで、約1時間。空腹を我慢するには、ちょっと長い。
院内には有名チェーンのカフェや食堂もあったけれど、遅い時間だったのでどちらも閉まっていて、がっかりする。少し奥に進むと、小さなコンビニの売店があることに気がついた。

帰ってからしっかり夕飯を食べたいので、軽くおにぎりくらいにしておこうか。甘い菓子パンも食べたい。肉まんもいいな……
そう思いながらふと棚の1番上を見ると、見慣れたパッケージがぴっしりと並んでいるのが目に入った。

250%パウダア……?

目を疑った。ついに幻覚が現れたのかと思った。
おそるおそる手を伸ばすと、触れた。
本当にあった。
パウダー250%のハッピーターンだった。

おにぎりも菓子パンも元の場所に戻し、そのハッピーターンとカフェラテをひとつ買った。

駅までの帰り道、近くの公園に立ち寄った。
カフェラテをちびちび飲みながら、250%ターンをひとくち。

「……!!」

想像してみてほしい。
究極の空腹で、通常のハッピーターンの2.5倍のハッピーパウダーが口の中、胃の中に広がる様子を。
爆発しそうである。

それと同時に、ブワッと涙があふれた。
自分でも驚いた。
悲しかったからでも、苦しかったからでもないはずだ。
ただ、ずっとピーンと張り詰めていた糸がふわっと緩まったような、そんな心地がした。

いつも以上にしっかりした味のそれを、ひとくちひとくち噛みしめるようにゆっくり口に運びながら、しばらく涙を止めることができなかった。

***

あの頃のことを、たまに思い出す。

その度に、"おいしい"という感情は、生きるに直結するんだな、と思う。

大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、あの時もしハッピーターンがなかったら、もっと弱ってすぐに立ち直れなかったかもしれない。就職活動も最後まで頑張れなかったかもしれない。手術の後に涙を流すこともできなかったかもしれない。

社会人になってから9年経ち、昔わからなかったことも、少しずつわかるようになってきた。
身近にある物やサービスは、全て当たり前じゃない。ひとつひとつ、誰かの仕事でできている。それも、大勢の人の、目には見えない仕事によって。
だからこそ、当たり前のように側にあったオレンジの袋の裏に隠れた全ての仕事に、全ての人に、感謝の気持ちを伝えたい。

工場で日々製造に携わっている人。安心安全を第一に品質管理を徹底している人。丁寧な梱包をしてくれた人。商品を運んでくれた人。お店に陳列してくれた人。販売してくれた人。
何より、ハッピーターンを開発し、時代に合わせたアイデアを取り入れ進化しながら、ロングセラー商品として販売し続けている、亀田製菓さん。

本当に、ありがとうございました。

あの頃の記憶を思い出すことは、古傷が疼くようでなかなか勇気が出ず、少し遅くなってしまってごめんなさい。

心から感謝しています。

おいしいものには、人を笑顔にするちからがあります。
その笑顔がもっと広がっていくように
亀田製菓は「こころ」と「からだ」を両輪に
みんなの日常に寄り添う商品をお届けします。

亀田製菓のBetter For You

亀田製菓の公式サイトに、こんなメッセージがあった。

この言葉通り、私のこころとからだは、ハッピーターンに救われました。
あの時の”おいしい”が、私の生きる力そのものになりました。
皆さんのおかげで、どん底から立ち直ることができました。

当たり前のように日常に寄り添うお菓子を作り続ける亀田製菓さんのことを、これからも1ファンとして応援したい。
一度好きになったものは一生好きで居続けるような面倒くさい女なので、末長く、お菓子業界の推しとして応援させて欲しい。

そしてこれからも、私のように思いがけない"ひとくち"から風向きが前向きに変わるような、大変な時でもつい笑顔になってしまうような、そんなお菓子を作り続けてほしいと、心から願っている。


そうそう、あの後、私の家族の病気は順調に回復し、完治して今でも元気に過ごしている。
私は私で、あの状況下でありながら無事試験にも合格し、就職もできた。

”ハッピー”が”ターン”するように、という想いが込められた名前も、もしかしたら効果があるのかもしれない、なんて、思ったりして。


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