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熊本地震から5年

熊本地震から丸5年が経った。
(私は当時も今も関東在住ですが、被害の大きかった益城町で生まれ育ち、実家は今もそこにある。)

当時の思いを自分の中で風化させないために、また、超微力ながら誰かが熊本地震に思いを寄せるきっかけになったらいいなという願いを込めて、毎年この時期にnoteを書いている。

仮住まい(仮設住宅、公営住宅)への入居者数 【ピーク時比較】
・2021年3月末:418人 / 150世帯 【99.1%減】
・2020年3月末:3122人 / 1296世帯 【93.5%減】
・2019年3月末:1万6519人 / 7304世帯 【34.8%減】
・2017年5月末:4万7800人 / 2万225世帯 ←ピーク時

2020年から2021年の1年間に、2704人/1146世帯が仮住まいを離れて新しい生活を始めている。ピーク時の2017年と比較すると、99.1%の方が仮住まいを出ていることになる。仮住まいを出ることと、震災前の生活に戻ることは、全くイコールではないけれど、復旧は着実に進んでいるといえる。

当時の記憶

前震が起きた2016年4月14日夜、私は同僚とオフィス(@東京)近くでお酒を吞んでいた。突然、普段はLINEしかしない弟から着信があり、電話は気づかず出れらなかったけど、別途メッセージで「今、益城に向かいよる」とだけ入っていた。読んだ瞬間、何のことかわからなかったけど、ヤフトピに「益城町、震度7」の文字。血の気が引くとはまさにこのこと。すぐに同僚に事情を話し、とりあえず帰宅するため電車に飛び乗った。電車の中で両親に電話を入れても通じるわけはなく、弟から「とりあえず、みんな無事」と連絡を受けるまでの1時間ほど、生きた心地がしなかった。連絡を受けた後は安堵と、とはいえ状況がわからないため、色んな感情が入り交じり、電車の中で一人涙した(普段と変らない平穏な電車内だったので、もし見られていたら異質な感じだったかも…)

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実家は、倒壊を免れたものの、家のなかは散乱、応急危険度判定では「危険(危険度一番上)」とされ赤い紙も貼られた。いつ壊れるかもしれないという心配も含め、家のなかに入るのも用心しなければならず、とても住める状態ではなかった。とはいえ、両隣りの家は倒壊、ご近所さんは建て替えを余儀なくされるほど壊れていたことを考えると、同じ地域にも関わらず実家だけかろうじて建っていたのは、今思うと奇跡に近い状態だった。

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両親は家の目の前の公園(広場)で、近所の人たちと協力しながら日中を過ごし、夜は車中泊という生活を一定期間過ごした。私は関東にいるため、できることは物資を送ることぐらい(Facebookに投稿して、知人・友人のおかげで十分すぎる物資を近隣地域の方へすぐ送ることもできた(感謝感謝です)。物資も数日たてば十分行き届いていた)。近くに弟家族が住んでいるので、それがとても大きな安心材料だった。すぐに熊本に飛んで帰りたい気持ちしかなかったけど、両親から「今来ても寝るところもない。まだ帰ってこんでよか」と言われ続け、熊本へ帰ったのは4月末からのゴールデンウイーク期間。自分の家族はおいて、私一人で帰った。

帰る際、前職や現職、友人の皆々様のポケットマネーから多大なカンパ金をいただいた。本当に本当に有難かった。全て復旧への費用に使わせていただいた。

ようやく帰省できた4月末は、30分ほど離れたところに弟のつながりで運よくアパートを借りることができ、両親はそこで生活。私もそこで寝泊まりした。熊本へ帰った理由は家の片づけ。毎日朝から夕方まで家族で作業した。”災害ごみ”の収集場所が私が6年間通った小学校跡地で、それはそれで切ないものがあった。。

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作業の合間で、近くを見て回った。小中学校へ毎日通った通学路、近くの駄菓子屋、祭りの場所、氏神様、原形がわからないほど変わり果てた姿に、言葉に表せない感情になったことはこの先も忘れないと思う。

熊本にいた数日間はほぼ片付け作業にあて、後輩からトラックを借りたり、弟の友人や親戚も手伝いにきてくれて、なんとか目星がついた(そもそも弟が片付けの段取りを完璧に準備してたのが大きい)。あと、ずいぶん会ってない友人も何人か家に訪ねてきてくれた。毎日、作業でヘトヘトにはなったが、昔の友人やご近所さん(小学生の担任の先生にも会った)、両親たちと過ごせた期間は、今になってみると、それはそれで貴重な時間だったのかなとも思う。

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2021年4月14日、16日

昨年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で、イベント等がほぼ中止だったようだが、今年は感染症対策をし、小規模なイベントが各地で開催された様子。

当時を振り返る記事もいくつか出ていた。

当時の様子を映像や記事で見返すと、現地にいなかった私でさえも、当時の緊張感や切迫感がすぐに蘇る。幼い頃から慣れ親しんだ道路や建物が一変し、会話していた地名や店名が「●●地区で火災」など放送中に連呼されている”不思議”。現実のものとは思えない感覚でニュースを見ていたことを思い出す。偶然録画していた(録画した番組が緊急放送に切り替わった)当時の映像を時々今でも観返すけれど、一瞬で当時の気持ちに戻る。

14日の日経新聞朝刊には、県と市からそれぞれ広告が出ていた。

いろんな記事が出ていたけど、中でも、熊本出身のNHKアナウンサー 武田さんへのインタビュー記事は胸を打った。

熊本城 天守閣復旧の完了

5年後の今。熊本にとって明るい話題はなんといっても熊本城の天守閣復旧が完了したこと。4月26日から内部の一般公開が始まるようです。

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これは実家の氏神様↓ 神殿の建て替え工事も着々と進んでいる様子です。

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最後に

熊本城は、熊本のシンボル。
熊本県人吉市出身のウッチャンが、2017年放送のNHK「LIFE」のなかで熊本城について語った場面は熊本人を気持ちを代弁してくれている。

Q:熊本城とは?
三津谷(扮しているキャラクター名)忘れて言いますけど、
私なんて熊本の南の方ですけど、
熊本県全体の人が、熊本城は誇りに思っていますね。
だから今こんなになって懸命に皆さんが工事しているのが、
それもまた誇らしいです。

放送中、終始コントキャラで熊本をおもしろおかしく案内してきたウッチャンが最後、「熊本城とは?」の問いに対して、「キャラ忘れて言いますけど」と断ったあとに熊本城を語る場面にぐっときます。続けて歌う「あんたがたどこさ」もスタジオからはいじられているけど、ウッチャンの想いが伝わる素敵な終わりだなと思う。


次の1年もできることをやり、できそうなことを私自身、探していきたい。

昨年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で、私自身、熊本に帰ることができなかった(年末年始の帰省ができなかった)。帰省が何にも気にせずまたできるようになり、熊本城にのぼり、大勢で焼酎を飲みかわす日が1日でも早く来ることを願ってやみません。

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