おでんの屋台と野良犬

【第3回】おでんの屋台と野良犬が教えてくれること。

フィクションでよくある光景だが、実際に見たことはないというものがある。

これにはいくつかパターンがあるが、過去には当たり前だったけれども時代の流れとともに失われてしまったため現代ではなかなか見ることができなくなった光景だ。

例えばおでんの屋台。30年以上前の作品に多い気がする。

寒々しい冬の夜。ガード下のおでんの屋台で中年たちがおでんをアテに酒を飲む。アニメなら主人公の父親だったりするし、ドラマなら主人公だったりする。「お客さん飲みすぎですよ」と、仕事に失敗したとか失恋したとか、とにかく嫌なことがありやけ酒をしてベロベロに酔った彼らに大将が声を掛ける。

おでん屋の屋台と聞いただけでこういった光景が思い浮かぶけれども実物は見たことがない。ラーメン屋の屋台は東京で夜行バスに乗る直前に見たことがあるけれども、おでん屋はない。

友人や知り合いにおでん屋の屋台見たことある?とは聞いたことがないけれども、きっと見たことない人が多いんじゃないんだろうか。

どうも調べてみると近年は食品衛生基準の規制や近隣からの騒音などのクレームで廃業しているのがほとんだそうだ。確かにさっと食って帰るラーメンより、酒とともにゆっくり楽しむおでんはそういった問題を抱えるのかもしれない。

東京ではわずかに残っているそうなので、今度冬に訪れた際には探してみたい。

おでん屋以外にもフィクションでよくある光景だが、実際に見たことはないという人がいそうなのが野良犬だ。

これは少年漫画など子供向けの作品に多い気がする。僕の大好きな『ドラえもん』ではのび太くんが野良犬のしっぽを踏みつけて、襲われるという展開がよくあった。

正確にはわからなけれども昔は野良犬が日本にもいたらしい。けれども法律によって犬は飼う際には登録したり狂犬病にならないように予防接種をすることが義務化され守らなければ罰則があるようになった。また年々捨て犬の件数も減り、野良犬は保健所が積極的に保護するようになったので野良犬はほとんど見られなくなったようだ。もっとも保護された後に殺処分されてきたという負の側面もある。

そんな野良犬だけれども実は子どもの頃に見たことがある。しかもたまたま見たわけではなく、結構身近な存在だった。決してど田舎に住んでいたわけではない。中核市と呼ばれるようなそれなりの主要な地域で、だ。

僕と祖父母は同じ町内に住んでいて、その祖父母の家の前の空き地に野良犬はいた。灰色の毛はボウボウに伸び切っていて羊のようになった犬だったような気がする。その犬のことを僕らは「タロ」と呼んでいた。

どういう経緯でそこに来たのかはさっぱりわからないしいつ頃からいたのかも覚えていないのだけれど5歳の頃にはいたような気がする。僕が5歳だったのは2003年だったから、もう21世紀にもなっていたのにも関わらずだ。

祖父母の家の斜向かいの家に住むおばさんが動物好きで野良猫によく餌をやっていたからそれでタロもまた住み着いてしまったんだろう。タロに加えてあの付近には、とにかくものすごい量の野良猫がいた記憶がある。

タロという名前はあったけれども所詮、野良犬。だからしつけもされてないし、小さい頃追いかけ回されて大泣きしたことがあった。このせいで長い間犬が大嫌いだ時期がある。今は好きになったけれどもね。

そのタロも僕が小学生の時に死んでしまった。死ぬ直前に弱って横たわっているタロに対して犬好きの母親と共に励ましにいって寂しい気持ちになったのを覚えている。

動物を可愛がっていたおばあさんも数年前に亡くなってしまった。タロのいた空き地も何度か形を変え、今では住宅街だ。もうあそこには野良猫の姿もない。あの頃に比べて景色は大きく変わってしまっている。

おでんの屋台も野良犬も決して変わらないものはないということを教えてくれる。あとから経験しようと思っても、なかなかできないことの方が多い。

決して昔が良かったということを言いたいのではなく、その時にしか見れないものがあるんだなあという、ただそれだけだ。

変わっていく世の中で僕はこれからどんな経験を掴んでいけるのだろうか、掴んでいきたいんだろうか。

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