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シリーズ北海学園大学新聞の戦後史:第10回(1955年②) 開学4年目、文系単科私大。希望は、定期戦。

人は自らの属する団体に対する帰属意識や愛着を抱くとき、その団体と似ている他の団体の存在を強く意識することが多い。かつて峻厳な日本列島の、まるで風土の違う地域に住んでいた人々が「日本人」という統一された自己像を確立させたきっかけが文字通り「異人」の来朝であったように、本学学生が本学に対する帰属意識を抱くための通過儀礼として、他大学を、(そしてこの定期戦のスポンサーであった北海道新聞と河北新報を)強く意識せざるを得ない総合定期戦という枠組みが求められていたのだろう。

北海学園大学新聞第13号(1955年6月10日発行・一部十円) 見出し一覧

一面

・第一回の東北学院大学との定期戦をおえて(三森定男)(教授・補導部長)

二面・三面


・(論説)定期戦を讃う
・(軟式野球)椎名よく力投す/七回安打集中逆転
・(バレー)熱戦遂にくだす/本学初の一勝を挙ぐ
・(卓球)完敗喫す
・(硬式野球)乱戦の末勝つ/三回に大量得点
・(バスケット)追込ならず惜敗/惜しい奥出の一投
・(柔道)オーダーの失敗か/老巧な東北学院
・(サッカー)止むを得ぬ敗戦
・(ボクシング)予想以上の健闘
・陸上、軟庭オープ/ン戦は七月予定
・写真部で交歓/展開催
・(総評)今後の発展を期待す/―讃・硬軟野球の健闘―

四面


・(両学記者座談会)定期戦を顧みて
 →両学の親善なる/学校を見せ合いたい
・(寸描)タフな活動か/土橋和英
・録音室

①第一回の東北学院大学との定期戦をおえて(三森定男)


……創立間もない大学としていたしかたないことではあるが、スポーツの面だけではない、何事につけても、本学の学生が、一つの威力ある複合的全体として、まとまった行動に出ることができず、ともすれば、中心のない、バラバラのものになりがちだったのが、定期戦といったものを通じて、その欠陥が克服されて行く、ただ一回の今度の定期戦の経験だけからでもこうした過程がはっきり認めることができたというのは、何ものにもまして大きな収穫だったと思うのである。単に学内に対してだけでない、ひろく学外に対しても、年若き大学が、その存在をつよく打ち出して行く機会をもつことができたのは、その意義、決して低く評価されてよいものではない。


 かつてスポーツでまとまろうとした本学学生は、永遠に更新され続けるかに思われる(恐ろしいことに令和元年現在においても更新は止まらない)本学の連敗記録のせいか、結局「一つの威力ある複合的全体として、まとまった行動に出ることができず、ともすれば、中心のない、バラバラのもの」に戻ってしまった(いや、もっとひどいかも)。
何故か。
それは定期戦=スポーツ戦の固定概念に囚われたからではないか。
大学祭の小さいものを定期戦にあわせて開催するくらいのことをして、第一回定期戦のように写真展を合同で開催するくらいのことや両地方の食で交流するようなことをしてもよいのではないだろうか。
そのような発想は二面の論説にも『単にスポーツの面に限らず、発展するにつれて広く文化面における交流が持たれることが望ましい。前述の如く本学が北海道という地理的にも特殊な条件下におかれて居り、全学挙げて中央と接触するという機会がないために立遅れを来たすということは当然のことながら、かねがね残念に思っていたものであるから、この定期戦がそのような意味においても、よい刺激となり、いくかでも進歩向上することの非常によい機会であると思う。』という文章の形であらわれている。
ただ惰性で定期戦に挑み負け続ける。これでは何のために定期戦を開いているのか分らない。我々本学学生は自らの学舎の輪郭を知るためにこそ定期戦に、東北学院大学に臨むべきである。
ならば本学学生の多くが(おそらくは体育会系サークルよりは多く)所属している文化系サークルに重点を置いた定期戦(もはや両学交流イベントのメインイベントのひとつくらいの立ち位置にしてもよいかもしれない)を開くべきだ。本学における数少ない愛校者が単なる現状肯定主義者に堕することなく、物言う本学学生が歴史も知らぬ駄々っ子であることをやめる日がいつか来ることを信んじているからこそ、主張する。

②(寸描)タフな活動家(M)


「活動家」とはいうが別に学生運動屋のことではない。応援団副団長のことである。特に言うべきこともないので全文引用!


定期戦の期間を通じてこれほどタフな、そして派手に動いた男は他にない。
自らは一番消耗度の高いサッカーの選手でありながら、応援団の副団長としても、その役割を十二分に果たしていた。
定期戦会場においても応援団席にじっとしていることが出来ずボクシングの試合時などリンク(グ?)サイドに飛び出してきてエキサイトした声援をし、記録席などから運営委の方に抗議されていたが、試合がもつれてくるともうじっとしていられないらしい如何にもお前達のやっていることは歯がいくて見ていられないといった表情でいる。サッカーの選手であるからでもあるまいが満身これファイトの塊りといった感じで何ものにも恐れず、常に牽引車の役割をはたしている。エキサイトする時はしてもあとはサラッとしており、淡泊なところ確かに典型的なスポーツマンであり常に敵をつくらないゆえんであろう。
北中、北海高、本学と生粋の北海育ちであるから、この男を見れば北海の良いところがわかるが、大学入学後は学生としてのスマートさを身につけ、応待も巧みになり、誠意ある話の運びで下級生のみならず同級生にも新陽ある。だが最近は慢心したのか定期戦その他忙しかったせいかワンマン的な動きも見られなかったわけでもない。定期戦にサッカーが惨敗を喫しすっかりしょげているが、彼のことだからしばらくしたらまた体育会をのし歩くことだろう。
体育会にとってのみならず、定期戦、大学祭等大きな行事には必らず必要な存在である。

③ひとことふたことコメント集(独立した項目を立てるほどでもないコメントの集まり)

・四面の両学新聞記者座談会について。出席者は東北学院大新聞が「近江貞」に「小山宣英」。本学が「宮崎文彦」(またかよ!)に「前岡幹夫」(「まえおかみきお」名義の記事もあるぞ!)に「細田佳道」という面々で、発言の頭には各人のイニシャルと思しきアルファベットが記されているがこれが厄介なのだ。Mは前岡、Hは細田、というところまでわかるが、他のMとKとOが分らない。何せMが名字なのは二人いる上に「小山」は「おやま」とも「こやま」とも読めるのだ。しかも誰のイニシャルにも当てはまらない「A」まで登場しているのだから、頑張って話の流れからどのアルファベットがどちらの大学か判別するのがやっとであった。

・次号でも採り上げるかもしれないけど本学応援団団長は背がえらく高かったようだ

おまけ

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