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3.11 百考は一行に如かず〈2020〉

昨年3月11日に投稿した
『3.11 感じろ、そして考えろ』の第二版です。
内容は大きく変わりませんが、一年経って少し踏みこんで書いている個所もあります。二つ合わせて読んでくださると幸いです。
この内容はあくまで個人の意見です。

東日本大震災から9年

あの日、皆さんはどこで何をしていましたか?
私は小学4年生でした。終礼で地震が起こったことを知らされ、家に帰ってテレビをつけると見たことのない光景が広がっていたことは今でもはっきり覚えています。

東日本大震災で確認された死者と行方不明者は合わせて1万8428人。避難生活などで亡くなった「震災関連死」を含めると2万2000人を超えています。(NHKより)

震災から7年と4カ月が経った2018年7月。高校3年生になった私は初めて被災地を訪問しました。訪問したのは宮城県南三陸町と気仙沼市。

南三陸町での被害は、
死者:620人・行方不明者:211人
気仙沼市では、
死者:1218人・行方不明者:214人
という被害が発生しました。
(2020年2月末現在、宮城県発表)

南三陸町の防災対策庁舎をバス車内から見たり、気仙沼市の大島でカキを養殖する人のお話を聞いたり、現地に行かないとできないことを経験させていただきました。

未来について考える

今日はその中で、私が訪れた「リアス・アーク美術館」で感じたことについて話したいと思います。気仙沼市にあるリアス・アーク美術館には「東日本大震災の記録と津波の災害史」と題されたギャラリーがあり、そこには多くの記録資料や被災物が展示されています。

多くの被災物や資料のそばにはコメントも展示されており、一つ一つの展示について深く考えさせれられます。例えば、

歴史や地域史の面から考えてこの大震災は
『未曾有』という言葉で表現するのは適切ではなく、正しくは『過去最大』である。

三陸沖では、約40年周期で津波の被害を受けているという事実があります。

2011年:東日本大震災
1960年:チリ地震津波

(142名の死者・行方不明者※)
1933年:昭和三陸地震
(3064名の死者・行方不明者※)
1896年:明治三陸地震
(21959名の死者・行方不明者※)

三陸沖では津波抜きにした生活が考えられない

ギャラリーにはこのようなコメントも。
人間には自然の摂理を止めることはできません。ここにある展示物やコメントは忘れないためではなく、起こった事実を覚えておくためのもの。
約40年後に再来する津波に備えて・・・

私たちにできることは?

さて、東日本大震災から9年経ったという事実を前に私たちができることは何でしょう?

やはり現地に行くことが1番だと思います。

被災地に行くというと復旧途上の街並みを眺めたり、伝承施設を訪れたり、と考えると少ししんどいかも知れません。それはおそらく、まだ東北に対して被災地というイメージが根強く残っているからでしょう。

では、観光として現地に行くというのはいかがでしょうか?

気仙沼港は日本一のカツオ漁獲量を誇りますし、とにかく海産物がおいしいです。夏に行けば日本とは思えないくらい涼しいですし、空気はきれいで星もたくさん見えます。野菜もおいしいんですよ!!きゅうり!!

街は前を向いています。
未来を考えています。
それなのに
遠く離れた私たちが
過去だけを見つめて
躊躇してしまうのは、
少し違うと思います。
こんなに良い街なのに
もったいない!って思います。
これはほんとに
個人の生半可な気持ちかも知れません。
何も知らないくせに
って言われるかもしれません。
でも、これが私の本音。

百聞は一見に如かず
百見は一考に如かず
百考は一行に如かず

以上、高木大地でした。
(※はWikipediaより)

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