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【書評】原子力時代における哲学(國分 功一郎著 晶文社)

11代伝蔵の書評100本勝負 37本目
本書は昨年9月福井県の敦賀駅前にオープンした複合施設の本屋「ちえなみき」で購入しました。「ちえなみき」は編集工学研究所監修の本屋ですから書棚はかなり個性的です。原発銀座と称されることもある(有り難くない名称でしょうけど)福井県には15基の原子力発電所があります(そのうち3基は40年経過)から本書が目立つ場所に平積みしてあるのは当然かもしれません。

本書の著者 國分功一郎は御多分に洩れず(?)2011年福島での原発事故に強い衝撃を受けます。そして哲学者として何ができるかを考え、その一つの答えとして本書をモノしました。2013年に著者が4回に分けて行なった講演をベースとしています。
今でこそ脱原発や反原発は多くの人が関わっていますが、「核の平和利用」として登場した1950年代、原子力エネルギーは夢のエネルギーと考えられ、人々を魅了しましたが、その時点で原子力に強く異論を唱えたハイデッカーに著者は注目し、彼の言説を中心に論考を進めていきます。ハイデッカーがかなり例外的な哲学者(核兵器よりも原子力に強い危機感を覚えていた)であった証左として著者は彼の二つの言葉を紹介します。

この時代の否応なしに押しかかってくる最も著しい目印は原子爆弾である。しかしこの目印は単に事態の前景に存する目立った一つの目印にすぎない

と記した後で、原子力の危険性を危惧します。ハイデッカーは別の著書でその理由を説明します。

たとえ原子力エネルギーを管理することに成功したとしても、そのことが直ちに、人間が技術の主人になったということになるのでしょうか。断じてそうではありません。その管理の不可欠なことがとりもなおさず、<立つ場をとらせる力>を証明しているのであり、この力の承認を表明しているとともに、この力を制御しえない人間の行為の無能をひそかに暴露しているのです。
人間性喪失

つまり、ハイデッカーによれば「管理し続けなければならないのは管理できていない」ことを意味するのです。後述するようにハイデッカーはあんまり易しく説明してくれない人ですが、この言説は僕には説得力を持ちました。そして思い出すのは昨年亡くなった安倍元首相の言葉です。国会の答弁で「福島原子力発電所は完全にコントロールされている」旨の発言をしました。ハイデッカーなら「完全に」と「コントロール」の矛盾を指摘したかもしれません。

ただ、なんとか理解しながら読めたのはこのあたりまでで、著者はハイデッカーの先見性を西洋哲学史に触れながら説明していきます。たびたび彼の著作の一部を紹介したり、引用したりしますが、とにかく難しい。その度に著者は分かりやすく説明しようと奮闘しますが、やっぱりよく理解できませんでした。それでもなんとか最後まで読み通せたのは最初に紹介されてハイデッカーの言葉のおかげです。

最後に疑問点を。著者はかなり冷静にかつ公平に論を進めていってますが、基本的な立場は脱原発です。ですから論の展開がやや予定調和的に感じる時がありました。又もし原発が止まった後の問題、例えば人はどこまで便利になればいいか、とか原子力が止まることでその皺寄せは富める人ではなく、そうでない人に来るのではないかという論考もありません。
ただし、そういう点を読者である我々に気がつかせ、考えることが著者の一番の狙いなのかもしれません。

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