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【書評】アクロイドを殺したのはだれか(ピエール・バイヤール著 大浦康介訳 筑摩書房)

11代目伝蔵 書評100本勝負47本目
 以前書評に取り上げた「読んでない本について堂々と語る方法」を読み終え、訳者のあとがきをパラパラめくっていたら、随分前に読んだ「アクロイドを殺したのはだれか」の著者もまたピエール・バイヤールであることを知り、俄然興味が湧きました。「面白かった」という記憶はあるものの、その内容については一ミリも思い出すことができず忘却の彼方にあったこともかえって再読意欲を刺激しました。問題は僕の書斎にぎっしりと本が詰め込んでいる書棚から件の本を探し出すことでした。基本、本を売ることはないので、あるのは間違いないのですが、見つかりません。買った方が早いと思って検索をかけてみると7,000円近い値段が付いています。そこで捜索を再開し、「まさかこんな所にはないよな」という日の当たらない書架の端で2日後に発見できました。こういう経緯もあったので、僕としては珍しく一気に読み終えました。

「アクロイドを殺したのは誰か」は日本では20年前以上(2001年)に出版されました。僕が本書を知ったの朝日新聞の書評だったと思います。ただ前述したように記憶しているのは「面白く読んだ」ことだけで、内容はほぼ全て忘れています。それは肝心の著者が比定した真犯人を含めてです。我ながら僕の読書は砂漠に水を撒くようなもので意味がないのかもしれません。ただし「読んでない本を堂々と語る方法」において読んだ本を忘れることについてピエールは必ずしも否定的ではないのがせめてもの救いです。

 最初にお断りしたいことがあります。それは推理小説の醍醐味の一つである犯人について本書では最初に明記されていることである。だからアガサクリスティー「アクロイド殺し」を未読でかつアガサに挑戦しようと考えている諸氏は僕の書評を読んではいけません。この書評では「アクロイド殺し」の犯人に触れない訳にはいかないからです。
 さて本書はアガサクリスティー「アクロイド殺し」の一種の評論で、真犯人は別にいると主張します。つまり著者のアガサクリスティーだけでなく、ポワロもそして我々読者も犯人と考えているシェパード医師(語り手でもある)が真犯人ではないとするのです。なぜこういう主張が可能かといえば「アクロイド殺し」でポワロは真犯人としてシェパード医師を認定し、推理も展開されますが当のシェパード医師は「アクロイドを殺したのは私だ」と告白しているわけではないからです。
 著者によれば「アクロイド殺し」が発表当時大変な評判を取ったものの、少なからず批判もあったといいます。それは「語り手」が犯人であることは推理小説においては「著者と読者のあいだで交わされる暗黙の読書契約の本質的な部分に違反した」という批判でした。著者自身はそれらの賛否には加わらず、「シェパード医師が犯人であるという点を疑問に付そうとしない」ことに不満を表明します。そしてこの不満が本書の執筆する大きな動機だったのではないでしょうか?
 著者は真犯人を比定するため「アクロイド殺し」の概略を小説に添いながら書き進めます。それを受けて著者の専門である、精神分析の観点から「アクロイド殺し」を含めたアガサクリスティーの作品やポアロを俎上に挙げて分析していくのです。例えばポアロの推理はどの作品においても魅力的ですが(しばしば読者を煙に巻きます)魅力的であるが故に精神分析における「妄想」という問題を避けて通りれないとします。正直、著者の専門的分析はこちらに基礎的な知識がないと難しいところもあったし、あまりに真犯人捜しからかけ離れたと思われる箇所は読み飛ばしました(「読んでない本を堂々と語る方法」において「読み飛ばし」は推奨されています)。しかしこれまでと全く異なる視点を与えてくれたのは間違いありません。このように記述がしばしば専門的でありすぎるという専門的でありすぎるという欠点がありながらもとても面白く読みました。(正確には再読です)。特に一般に犯人と考えられているについて再検討することで他のアガサクリティーについても新たな読み方ができるという著者の主張は魅力的だと思います。
筆者がシェパード医師犯人説に疑問を呈するのは
1犯人像と人物像に矛盾があること
2当日のシェパード医師の日程があまりにもタイトで周到な準備を要するポアロの推理に納得いかないこと
です。このように読者側から疑問を呈しながら読み進めることは「読んでない本を堂々と語る方法」にも通じる主張で、読者が創造的でいられるための有効な方法かもしれません。

 最後に著者が本書において「アクロイド殺し」の真犯人として比定したのは、誰か?についてです。
 作家井上ひさしは若かりし頃、図書館員の態度に憤慨し、借り出した推理小説の見開きに「犯人は〇〇だ」と書いていったそうです。推理小説を読む醍醐味を奪う暴挙だと思います。僕自身は特別推理小説ファンという訳でもないですが、本書で著者が比定した真犯人について書き記すことにはやっぱり抵抗があります。しかしながら本書は20年以上前に出版された本で、古本屋でも高値で取引されているようなので、手に入りやすいとは言い難いのです。そこで著者が誰をアクロイドの真犯人としたかを書き記すことにしましょう。

ジェームズ・シェパードの姉、キャロライン・シェパード

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