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新進哲学者「マルクス・ガブリエル」

現代思想の新たな「天才」――マルクス・ガブリエルの「新実在論」とは何か?
いま世界の哲学者が考えていること 
岡本裕一朗 2016.9.16 4:50 ダイヤモンドオンライン

世界の哲学者はいま何を考えているのか
――21世紀において進行するIT革命、バイオテクノロジーの進展、宗教への回帰などに現代の哲学者がいかに応答しているのかを解説する哲学者・岡本裕一朗氏による新連載です。

いま世界が直面する課題から人類の未来の姿を哲学から考えます。9/9発売からたちまち重版出来の新刊『いま世界の哲学者が考えていること』よりそのエッセンスを紹介していきます。第5回は現代思想の新たな「天才」、マルクス・ガブリエルによる「新実在論」に迫ります。

画像マルクス・ガブリエル │ EURO SKY


EURO SKY

マルクス・ガブリエルはなぜ「天才」なのか

ポストモダン以降の3つの哲学的転回のうち、「実在論的転回」について今回もフォーカスをあてることにします。前回は「思弁的実在論」を提唱するフランスの哲学者、カンタン・メイヤスーについて概観しました。今回は現代思想の新たな「天才」と評されるマルクス・ガブリエルとその思想に迫りたいと思います。

メイヤスーの「思弁的実在論(唯物論)」といわば呼応するように、ドイツでも「実在論的転回」が提唱されています。その中心的な哲学者が今回紹介するマルクス・ガブリエルなのです。彼は1980年生まれで、まだ30代の中ごろですが、現在はボン大学の教授(就任時は29歳)であり、発表した著書はすでに10冊を超えています。

ドイツ観念論の哲学を専門としていますが、英米の分析哲学、フランスの構造主義・ポスト構造主義にも精通しているためガブリエルはしばしば「天才」と評されています。古代ギリシア以来の哲学の伝統を理解したうえで、広範な知識に基づいて現代哲学に新たな地平を切り開こうとしている存在です。

中略

『なぜ世界は存在しないのか』において、ガブリエルは「新実在論」を「ポストモダン以後の時代に対する名前」と呼んでいます。ガブリエルによれば、ポストモダンの問題点は、「構築主義」にもとづくところにあります。そして、この「構築主義」の源泉は、メイヤスーと同じように、カントにあるとされています。

カントの主張によれば、私たちは世界をそれ自体であるがままに知ることができない。私たちが何を知ろうとも、ある点では、いつも人間によって加工されている、とカントは考えた。

こうした思考を説明するため、ガブリエルはクライストの「緑色の眼鏡」の例を引き合いに出した後、次のように続けています。

構築主義はカントの「緑色の眼鏡」を信じている。これに、ポストモダニズムは次のように付け加えた。私たちが身につけているのは、ただ一つの眼鏡ではなく、多くの眼鏡である。科学、政治、愛の言語ゲーム、詩、多様な自然言語、社会的な規約、などである。

こうしたポストモダン的な「構築主義」に対して、ガブリエルは、「新実在論」を提唱するのですが、それはどのような思想なのでしょうか。

メイヤスーとも異なる「新実在論」とは何か?

「新実在論」を理解するために、ガブリエルが提示した具体的な例を取り上げてみましょう。彼は次のようなシナリオを語っています。

アストリッドがソレントにいて、ベスビオス山を見ているのに対して、私たち(あなたと私)はナポリにいて、ベスビオス山を見ている。

まず古い実在論(これをガブリエルは形而上学とも呼びます)によれば、唯一存在するのはベスビオス山だけです。これが、ある時はソレントから、別のときはナポリから、偶然に見られるわけです。

「構築主義」の立場では、三つの対象、つまり「アストリッドにとってのベスビオス山」「あなたのベスビオス山」「私のベスビオス山」だけがあります。それを超えて、対象や物それ自体があるわけではありません。

それに対して、ガブリエルが提唱する「新実在論」は、少なくとも、四つの対象が存在すると考えます。

(1)ベスビオス山

(2)ソレントから見られたベスビオス山(アストリッドの観点)

(3)ナポリから見られたベスビオス山(あなたの観点)

(4)ナポリから見られたベスビオス山(私の観点)


彼は、これらすべてが存在すると考えるだけでなく、さらには「火山を見ているときに感じる私の秘密の感覚でさえも事実である」と述べています。

ガブリエルによると、一方の古い実在論は「見る人のいない世界」だけを、他方の構築主義は「見る人の世界」だけを、それぞれ現実と見なしています。それに対して、ガブリエルは次のように述べて、自らの「新実在論」を正当化しています。「世界は、見る人のいない世界だけでもなければ、見る人の世界だけでもない。これが新実在論である」。

こうして、ガブリエルの「新実在論」は、物理的な対象だけでなく、それに関する「思想」「心」「感情」「信念」、さらには一角獣のような「空想」さえも、存在すると考えるのです。その点では、「実在論」の一般的なイメージとは、いささか離れていると言えます。

それでは、このように存在する対象を広げることによって、ガブリエルは何を意図しているのでしょうか。それについては、2015年に出版された『私(自我)は脳ではない─21世紀のための精神哲学』のタイトルが示唆しています。その本でガブリエルは、精神を脳に還元してしまうような、現代の「自然主義」的傾向を批判しています。そうした「自然主義」によれば、存在するのは、物理的な物やその過程だけになり、それ以外は独自の意味をもたなくなります。

こうした動きに対して、ガブリエルの「新実在論」は原理的な次元から再考しようとしているのです。

実在論といったとき、もしかしたら、科学的な対象だけを存在すると見なす「自然主義」が想定されるかもしれません。しかし、ガブリエルが構想する「新実在論」は、そうした科学的な宇宙だけでなく、心(精神)の固有の働きをも肯定するものとなっています。

https://diamond.jp/articles/-/101900


マルクス・ガブリエル
(Markus Gabriel, 1980年4月6日 - 43歳)は、ドイツの哲学者。ボン大学教授。専門書だけでなく、哲学に関する一般書も執筆している。

哲学、古典文献学、近代ドイツ文学、ドイツ学をハーゲン大学、ボン大学、ハイデルベルク大学で学んだ。2005年、イェンス・ハルフヴァッセンの指導のもと、後期シェリングの研究によりハイデルベルク大学から博士号を取得した。2005年にリスボン大学の客員研究員、2006年から2008年にかけてドイツ研究振興協会の研究員としてハイデルベルクに滞在した。2008年には古代哲学における懐疑主義と観念論についての研究によりハイデルベルクにてハビリタチオン(大学教授資格試験)に合格する。2008年から2009年にかけて、ニューヨークのニュースクール大学哲学部で助教を務めた。2009年7月に史上最年少の29歳でボン大学に着任し、認識論・近現代哲学講座を担当すると同時に、同大学国際哲学センター長も務めている。過去にはカリフォルニア大学バークレー校の客員教授も務めた。「哲学界のロックスター」とも呼ばれる。

複数の言語(ドイツ語、英語、イタリア語、ポルトガル語、スペイン語、フランス語、中国語)を自在に操り、また古典語(古代ギリシャ語、ラテン語、聖書ヘブライ語)にも習熟している。ガブリエルは既婚者である。

日本について
「日本はソフトな独裁国家」だとしている。初めて訪日したのは2013年で、地下鉄に乗った際に女性専用車両だと知らずに乗り込もうとして、白手袋をした駅員に背中をつかまれた。そのとき、日本は非常に組織化されていると感じる。ベルリンの地下鉄を例に出し、そこではドラッグを使用している者すらいる。日本では自由に対する多くの制約がある。それはハイレベルな制約が招いた結果だ。ある意味これは「ソフトな独裁国家」だと感じた。また著書で、「私が日本をひと言で表そうと思ったら『精神の可視性』といいます。日本人はお互いの気持ちが手に取るように見えるのです。非常に精神的な文化で、どこにおいても、精神が可視化しているので、哲学をするには大変強力な場所です」と述べている。

新型コロナ後の世界

「新型コロナ前の世界に戻りたい」は、絶対に不可能だ。コロナ前の世界はよくない。私たちは開発速度があまりに早すぎたため、人間同士の競争で地球を破壊した。2020年に起きたことは最後の呼びかけだった。自然が「今のようなことを続けるな」と訴えるかのようだった。
「新型コロナ前の世界に戻りたい」という願望があれば、それは間違いだ。非常に裕福な人たちは、コロナ危機で稼いでいる。得た利益をパンデミックで苦しんでいる人や国に分け与えるべきだ。

コロナをきっかけに、世界の価値観の中心が倫理や道徳になるべきで、私はこれを「倫理資本主義」と呼び、ポストパンデミックの産物になりうると考える。環境問題や貧困など世界的な問題は、グローバル経済が過度に利益を追求し過ぎた結果だと考える。増えた富は倫理観に基づき再配分するが、これが完璧なインフラだ。倫理と経済は相反するものではない。富とは富を共有する可能性で、他者のためによいことをする可能性だと主張する。

人類は連携すべきだが、現実は分断している。アメリカと中国いずれの国も世界を支配するとは思わない。その点では超大国は存在しない。
単に力のある国家が存在するだけだ。絶対的な覇権への幻想など気にせずに今までとは異なる組織が必要だ。新しい啓蒙思想を作るためには同盟関係を結ぶべきだ。パンデミックは何事も可能だということを示した。

世界的なロックダウンなど、不可能だと思えることが現実に起きた。不可能に見えるが、国々が連携し、二極対立をしているアメリカと中国よりも強力な同盟を構築すべきだ。両国は善良なことはしていない。兵器に対する潜在的な対立を形成している。

だから両国の間かその周辺で第三の方法を探さねばならないと考えている。自由民主主義に代わるものがあるとは考えていないが、ロックダウンは民主的な政策ではなく、ワクチン接種こそが民主的政策だと考えている。
コロナ危機に対し、民主主義よりも効率的な解決策を講じた制度があると思うのは幻想だ。問題はウィルスが生物学的現象だということだ。法律ではウィルスを制御できない。
どう行動するかが問題だ。ヨーロッパの死者数は100万人をはるかに超えたが、それでも民主主義は健在だ。共産党の独裁主義が民主主義国家よりもうまく対処したとはいえない。中国のプロパガンダに過ぎないと発言した。
将来について、啓蒙思想、すなわち倫理や哲学が勝つと考えている。そのために日本レベルの心を読むすべが必要になるかもわからない。
若い世代のお陰で環境意識が高まっているように、子供に投票権がないのは人道的な恥だ。若者は将来のために戦わなければ、未来の多くが失われる。権力者に若者の善行、関心事、洞察力を抑圧させてはいけないとも発言した。

剽窃疑惑
ルーマニアの哲学者ガブリエル・ヴァカリウ(Gabriel Vacariu)は、マルクス・ガブリエルによって自分のアイデアを剽窃されたと訴えている。ヴァカリウの主張によれば、彼の論文「Mind, Brain and Epistemologically Different Worlds」(2005年12月)で展開されている議論が、出典を明らかにすることなくマルクス・ガブリエルに盗用されたという。

マルクス・ガブリエルは自著で相手のことを「クレイジーな哲学者」と断わった上で、「この問題について、ウィキペディアのわたしのページには長い期間“controversy(論争)”というタイトルで独立した項目がありました」「最終的には私が大学からの書簡をオンライン上に載せ、ようやくウィキペディアの項目は削除されました」と答えている。ボン大学の弁護士で、科学における不正行為に関する事件のオンブズマンであるカール=フリードリヒ・シュトゥッケンベルク(de:Carl-Friedrich Stuckenberg)によれば、ヴァカリウの申し立ては不当であるという。
ウイキペディア


続き予告 ドイツ人のマルクスに、石黒 

「欲望の資本主義」でも話題の知性が来日。東京、大阪、京都を駆け抜けた。彼の残した言葉は?混迷の時代に哲学は応えられるか?日本の可能性を再考する異色ドキュメント。




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