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ウラン238ってなに?

珠玉のエッセイ「浅田次郎」 美しく わかりやすく 面白く

 原稿用紙に向き合って目をとじる
 願いはいつも同じ 
 美しく わかりやすく 面白く ほかには何もない
 古今東西のすぐれた物語はみなそうであるから 
 いや 物語のみならず すぐれた表現はみなそうであるから
 しかし言うは易いが行うは難い 
 この願いを叶えるためには まずすこやかな眠り 
 そして 怒らず 嘆かず それを一年三百六十五日
 美しく わかりやすく 面白く ほかには何もない
 たそがれる書屋の籔を騒がせて 雨が過ぎた

浅田次郎◎作家 LIFESTYLE 2023.7.13 https://crea.bunshun.jp/



今朝は、おもむきを変えて、浅田さんのエッセイを引用しました。すでに著名作家ですから、説明もいりません。

数えたこともありませんが、書き上げた著作は何冊あるんでしょうかね、

親友の死を前にして老経営者に起きた死生への惑い。人間の哀歓を巧みな筆致で描く「死に賃」など、ドキュメントとしても読めました。

浅田 次郎は、日本の小説家。血液型はA型。 中央大学杉並高等学校卒業。陸上自衛隊に入隊、除隊後はアパレル業界など様々な職につきながら投稿生活を続け、1991年、『とられてたまるか!』でデビュー。悪漢小説作品を経て、『地下鉄に乗って』で吉川英治文学新人賞、『鉄道員』で直木賞を受賞。 ウィキペディア

そう書かれてますから、その経歴が変わっていて、一般的には記者とか編集者とか、ありますが、アパレル出の作家というのは浅田氏が初めてとおもいました。また医者の話が詳しいので、医者経歴とか思いましたが違うようです。また時代モノ歴史話でも、名著があって、幅の広さでは群を抜く。

出来ればこんな作家に、と思ったりしますが、そんな登竜門はいまどこにもないでしょう。昨今作家になるには、一定の業界セオリーがあって、懸賞応募だけでは、無理って話のようです。

また現実的な話しとして、紙の本が売れない (新聞テレビCDデパートなど挙げれはキリない)という世相で、プロ作家でも食っていけるか、という懸念もありますが、一定のラインを潜ると、金鉱脈を掘り当てた、そんなことのようです。また著作権保護で権利は死守されていて、「バッハ」じゃありませんが、その権益が今も発生しているという話しも訊きます。

書籍作家に限らずクリエイターと云うのは、何通りもあるので、過当競争のITデジタル世界では、並大抵なことではないでしょう。

ウラン238

そんな話しをしたところで、驚かないし知らないし誰も説明しないし、訊いても判らないし、と、ないない尽くしですが、もしそれがなかったら世界の歴史は違っていた(特に日本)というターニングポイントでした。

そんな話を昨日、昨日のNHKスペシャルでやっていたので観た感想です。

■ウラン238とはウランの同位体の一つ。ウラン238は中性子が衝突するとウラン239となる。ウラン239は不安定でβ⁻崩壊しネプツニウム239になり、さらにβ⁻崩壊しプルトニウム239となる。 天然のウランの99.284%がウラン238である。半減期は4.468 × 10⁹年。劣化ウランはほとんどがウラン238である。 ウィキペディア

原子爆弾・秘録 ~謎の商人とウラン争奪戦~

2023年8月6日放送 21:00 - 21:50 NHK総合 NHKスペシャル

「ウランを売ったベルギー人男 エドガー・サンジェ」 1945年7月16日、ニューメキシコ州で人類史上初めての核実験が行われた。核の時代の扉を開いた科学者、軍人、政治家たちの物語についてはこれまでも語られてきたが、コンゴで採掘されたウラン鉱石を大量にアメリカに売り込んだとされる「謎の男」についての詳細はほとんど知られていない。アメリカはこのウラン鉱石を主な原料に2発の原爆を生み出した。人類に惨禍をもたらすことになったこの商人が残した記録が見つかった。

「原子爆弾・秘録 謎の商人とウラン争奪戦 ベルギー ブリュッセル
未公開資料は彼の母国であるベルギーの国立公文書館に眠っていた。3万ページの資料を残していたエドガー・サンジェはベルギー最大の財閥系鉱山会社ユニオン・ミニエールの幹部だった人物で、後継会社がこれまで機密扱いとしてきた資料を特別に公開した。ウランの取引を記録した覚書やメモなどが含まれ、パスポートには戦時中数多くの国を渡り歩いていた記録が残されていた。ウランと出会ったのは原爆が開発される20年以上前で、当時40代だったサンジェは社内で頭角を現していた。」

という内容です。

これを全部、引用転載したところで、日本の社会になかインパクト、でもあるかといったら、なにもないでしょう。

というのは、これまで数限りない世界シークレット情報が開示されても、殆ど社会に影響しなかったという実績があるからです。

ことは重大秘儀ですが、すでにそれは過去の話で、結果は出ている。今更それをどうこうという話しでもない。
ただ、私の場合に限定ですが、社会の啓蒙として、そうしたものを引用掲載しますが、最近、それに疑問を感じはめたことがあったので、それを縮小する、という結果論でした。

かりに、そうしたテーマを冒頭しめした大作家が、扱ったら、社会の注目、変革は違うでしょうが、彼らにしてみれば「既得権益経済」カテゴリーで業務執筆をしているのであり、あちらを立て、こちらを伏せ、場合によっては無視を装う、という手段は許容内ですから、出販社も含めて、何が本質か、というテーマも稀薄で、最終的に社が潤って社員雇用を確保する、それ以外に、なにを求めるか、という議題になるでしよう。

だから「ウラン238」をいじっている場合ではない(核を論じる無根拠タブー論)の支配的思想と察します。(このテーマもアルゴリズムに捕捉されるか)

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「漫画現代史、武蔵の遺りたるを語る」
は先週特にスキを集めた#漫画の記事です! note

 
※ご支援いただいた皆様、ありがとうございます。これを機にエンタメコンテンツに、より傾注したいと思います。racoco 8/7


漫画の歴史 こぼれ話し

漫画の語源は、1798(寛政10)年に発行された 山東京伝 (さんとうきょうでん) の絵本「 四時交加 しじの ゆきかい 」。
この本の序文で「気の向くままに描く」という言葉として「漫画」が使用されました。 その後、葛飾北斎が発行した「北斎漫画」を機に、漫画は戯画風のスケッチを指す言葉として広まりました。2022/03/04

現代の「漫画」スタイルができるまでの歴史
大正期に入って漫画史に登場するのが岡本太郎の父、岡本一平。独自のスタイルを確立し、後のストーリー漫画の原型を作りました。
現代の漫画に通じるコマ割りやフキダシといった表現手法が定着し始めたもの、1923(大正12)年、新聞に掲載された「ノンキナトウサン」や「正チャンの冒険」から。

さらに昭和に入ると、毛筆からペンと大きな変化がありました。1930年代には、「のらくろ」「冒険ダン吉」などの子ども向け人気漫画が単行本化され、ベストセラーに。
その後、手塚治虫をはじめカリスマ的漫画家の登場などもあり、高度経済成長期へ向かい漫画が果たした役割は大きく、子どもの文化の中心に漫画があったことは皆さんご存じの通りです。

世界で通用する「Manga」へ
その後漫画は、子どもだけでなく大人からも人気を集め、日本を代表するポップカルチャーとなりました。ちなみに、漫画がまだ「Manga」では通じなかった時代の1980年代に、英文翻訳して海外用につくり直す、という仕事の依頼が当社にきました。
現在ではコスト面を考え、右綴じのままの日本仕様で、フキダシの中だけ変えるという方法が取られています。
日本が誇る「Manga」という文化、今後も海外でさらに注目が集まりそうです。

ヒラメキ工房
https://hirameki.noge-printing.jp/manga/#:~:text=漫画の語源は、1798,言葉として広まりました。

日本の漫画の歴史となると、平安時代の絵巻物の「鳥獣人物戯画ちょうじゅう じんぶつ ぎが」に遡ります。
高山寺 国宝-絵画|鳥獣人物戯画絵巻[高山寺/京都] 2020.03.15
https://wanderkokuho.com/201-00051/

いろいろな説がありますが、鳥獣人物戯画、はやはり、世相風刺という点で、天下一品で、その筆さばきが超一流です。

現代の漫画作家は、それを知らずともDNAは継いでいる訳ですから、スケールの大きな漫画を期待したいです。


国宝 鳥獣鳥獣人物戯画 高山寺

鳥獣人物戯画

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