見出し画像

科学はほんとうか?

「マックスウェル」の一言

科学についての話題で、とっておきの秘話をピックアップした。時は19世紀と20世紀の境の時代。中世時代科学の錬金術の尾を引きながら、その中でも近代科学の黎明を予感させる出来事だった。

1895年 第一回ノーベル物理学賞  「レントゲン」
ヴィルヘルム・コンラート・レントゲン
(Wilhelm Conrad R?ntgen、1845年3月27日 - 1923年2月10日) ドイツの物理学者。1895年にX線の発見を報告し、この功績により1901年、第一回ノーベル物理学賞を受賞。

このコラムは余りにも面白い、というか余りにもリアルというか、そして歴史の超現実である。

19世紀末の1895年、科学分野では様々な物理現象が解明された時代。それに併せるようにノーベル賞が設立された。その栄誉が放射線開発のレントゲンに与えられた。同セクション研究のキュリー婦人は第三回受賞である。

放射線と云えば、アルファ、ベータ、ガンマ、エックス線がよく知られている。このファイルにも使用しているギリシア文字で表記される。
その時代に研究された意外な放射線「N 線」というのをご存知だろうか。 勿論知るはずはない。科学的に証明不可という結論を下されたからである。宇宙は「エーテル」によって満たされている、という、その仮説と同じ道を辿った。

1903年、フランスの著名な物理学者「ルネ・ブロンドロー」教授は新しい放射線が存在するとして、その研究成果を公開した。その時代「N線」については多くの科学者が怒涛のごとく研究にしのぎを削った。結果的には、そのN線は実験によって認められないという結論が下された。
その詳細はアービング・クロッツ著「幻の大発見」(朝日選書)に書かれている。

 N線が妄想であるという決定は、いつ下されたのだろうか。いや、一度も下されてはいないのである。科学の世界には権力主義的な階層など存在しないからである。科学には教義を啓示する神の代理人などいないし、党の網領を公告する中央委員会も存在しない。

数々の新発見がたどった現実は宗教界や政界の権力がそれに介入した場合は別として、どれもみな一つのバターンに従ってきたのである。それは電磁波の数学的理論を創設したジェームズ・クラーク・マックスウェルのものとされ次の金言に最もよく表現されている。
光に関する講義の序論で、マックスウェルは次のように述べたといわれている。
光の本質については、二つの学説がある。粒子説と波動説である。我々は、これまで粒子説を信奉してきた。しかし現在我々は波動説を信じている。なぜならば粒子説を信奉していた人たちがみな死んでしまったからである」。                                

※アービング・クロッツ著「幻の大発見」より抜粋

光の粒子説、波動説についてはアインシュタインも決めかねていた。そしていまでも結論がでていない。


バーチャル 概念

1903年、ブロンドロー教授は新しい放射線「N 線」が存在するとして研究成果を公開したが、それは見事に外れた。
その2年後の1905年にはアインシュタインの相対性理論が発表された。これは20世紀最大の物理学理論として現在でも絶賛されている。

「吉と出るか凶と出るか」、開けてみないと判らない物理理論が神頼み、博打的な色合いに左右されることの怖さがある。オリジナルこそが研究テーマという物理科学の世界では単独研究が基本である。反せば自己陶酔という危険性と隣り合わせである。
研究者は「絶対ある」と信じて人生の大半をその研究に時間を費やす。それが紛れもない事実として世間が認めれば、「吉」である。
世間から偽の烙印を押されるという一個人の怖さは、そうした研究者に限ったことではないが、高貴プライドを持つ学者にとって、それは致命的欠陥となり再起不能となりうる。

確かな情報こそがすべて、という点では科学も社会時評もジャンルに関係はないが情報検索スピードも重要な要素だ。
今日ではパソコンを使って膨大な情報量を素早く検索できる。それが出来なければアナログ的辞書を使ってページをめくって、必要であればメモを取る。パソコンであれば、1クリックで数頁の内容、そして難しい漢字も一瞬にしてコピーしてしまう。その速さは較べようもない。

デジタル情報が世の中を席捲したのは"100"年前ではなく、10年単位前の出来事である。いずれその殆どがそれに飲み込まれしてまう、という破竹の勢いで進んでいる。止めようがない。新聞紙面もあと数年で過去の遺物になる運命だ。
今日的世相を考えると、いまやデジタル技術抜きにして一切の生活は考えられない。

パソコンを操っている人間であれば、そのことは理解できるが、そのことを全員がデジタルを理解しているということではない。いま丁度、その狭間でアナログタイプとデジタル人間が拮抗している時期で、とくにIT業界では新世代の独壇場といっていい。そして全世界の世相は全デジタル方向に向かっている。

将来予測される出来事として、いまwebで進行している「バーチャル世界」は、いずれ仮想的バーチャルという表現が消され、直接リアル世界としてのスタンスを奪取すると予測される。
現在のwebは現実補助的な使われ方をしているが、リアル事象をすべてデータベース化すれば、現実世界と同等の意味を持つようになる。

例えば、遠隔にいる人間同士がコミニュケーションするとき電話、ネットなど介して情報交換しているが、実際に対面していない架空世界として認識しているのが現代の技術だ。それを裏返せば匿名架空という実態のない人物であり信憑性は甚だ乏しい。
リアルな現実世界で、それで事足りる場合もある得るし、また、古来よりの人間的コミニュケーションのスタイルが、じかに面談して意思疎通を計るという概念は、アナログ情報をもとに出来上がっているのでありデジタル情報が、それに代替することは差し当り問題がないことである。

というのは、人間世界は「概念」で生きるという性質をもっているからに他ならない。5000年来より、まず考えられたのが「神」という概念の存在である。
この広大な宇宙を神が創った、という宗教的教えに人々は納得していたのである。そして近代科学は、この宇宙はある一点の「ビッグバン」から出来上がった、とガモフが説明する。
 
★ ギリシア学術の追憶をよく読めば、メソポタミア・ペルシア・インドなどの古典神話、叙事、伝記などをテキストを基にして編纂していることが良くわかる。
「ギリシア悲劇物語」として知られる「オイディプス」など、それに使われている名詞が語られる物語の中で随所にみられる。そして、これは類推の域でしかないが、5000年以前のメソポタミアに起きた実話、それを口述伝承した語り部の遺したものを時代ごとに記録したものが、今日に受け継がれたと推理する。そこには当然のごとく脚色があり、今のニュースと同じく、大衆が望むべきストーリー、いうならば定型紋切り型の物語が展開している。さらに、同じような名前が、あちこちの神話・叙事に現れ、はたして神話原本がそうなのか、それとも長い年月の結果脚色されたものなのか、それを判定する基準も見当たらない。従って神話、叙事、伝記の類は一括して神話的伝承として理解するしか術がない。

そのどちらが正しいか正解を下すことができる人間はこの地球上に存在しない。なぜならどちらも概念で組み立てられているからである。概念、情緒のいずれもその時の都合でいかようにも変化してしまうからである。

科学が概念、というと訝るむきもあるが、アインシュタインの言葉を用いると、
「純粋の数の概念はそれらを生じさせた対象から離れ、我々世界の実在を記述する思惟、そして心の創造である」、と云っているように、物理的なモノを数に置き換え概念として捉える、ということを明言している。
であるなら、神も科学もまったく概念世界で構築されている産物としてみなすことができるからである。

ただし物理、科学を突き詰めれば概念ではなく対象は「物体」であって人間の情緒とは無縁の世界だ。そのことはギリシア時代より哲学でとことん論じられてきた形而的テーマであった。そして、それを論じている人間世界が「心の思惟」、情緒で生きていることのパラドックスがある。これは致命的な欠陥として今後の課題である。

デジタル信号を直接脳に伝える装置があれば人間は、その情報によってリアル世界と認識することができるはずである。それはまるで「マトリックス」映画の世界そのものだが概念で生きている人間であるならば、物理的また強制的に信号を送って情緒思考を排除できる。極論するとそれは画一化ということにもなる。
それはサイボーグだ、と断定されれば否定はできない。しかしすべての道具は使い方の問題で、台所の包丁が殺人凶器として危険物扱いとはならない。
技術的にもナノテクノロジーのメドが付いたことで、これから様々な機器のサイズが小さくなる筈だ。

その技術を背景にもっとも早い実現性としてデジタル透視メガネが考えられる。人の脳の視覚にダイレクトに映像を送り、リアル世界とバーチャル世界を同時に見られるようにする。メガネ画面はパソコンと同等の能力をもたせ、デジタル発信の機能もつける。
これは既に軍事シュミレーションで使われいてる技術であるから、それを小型化メガネサイズに転化すればいいだけの話だ。

それが極論であっても、イギリスの科学者「マックスウェル」の言葉を引用するまでもなく、時代が変ると考え方もまるで変ってしまうという人間意識であり、そのもっとも代表的な意識改革がコペルニクスの地動説なのである。

プログラム言語「ルビー」の開発 松本行弘 氏
女子大教授サイト2006.11.09 Thursday http://iiaoki.jugem.jp/?eid=305

 アウトソーシングは外部の専門企業に業務委託をするビジネスモデルで、すでに、経理、総務、販売、生産、秘書など多くの企業があり中小企業などから利用されている。このように特定の専門企業に委託するのではなくて、ネットの中の不特定多数の人々(クラウド)に業務を委ねる方式をクラウドソーシング(Crowd Sourcing)という。特にシステム開発などで、ソフト開発を求める企業と個人プログラマーとを結ぶサイトを運営する会社を使えば多くの専門的なシステムエンジニアに業務委託することが出来る。

 この場合、使われるプログラム言語はできるだけ簡潔でコンパクトなものが要求される。現在このニーズに合うものとして、日本人の開発した「ルビー」という言語に注目が集まっている。この言語を使えば、他の言語の十分の一程度で同じ内容のソフトが書けるので、誤りなどのリスク軽減と開発期間の短縮になるからである。

 ネット検索サービスをしている「はてな」やブログ用システムを開発している「ドリコム」などの企業はソフト開発の負担が少ないこの言語を採用している。先月、アメリカのデンバーで、世界中から300人のIT技術者が参加してこの「ルビー」の会議が開かれて、開発者の「まつもとゆきひろ」氏がメインゲストを務めた。1995年に開発されたこの言語を彼は無償で公開し、その後、ネット上で世界から6000人が寄ってたかって改良に参加して普及されていった。この方式はオープンソース式といって、その後、発足したグーグル社でも積極的のこの思想をとりいれて発展している。

 松本行弘氏は松江市のソフト会社に勤務しながら独力でこの言語を開発して、ネット上で世界の技術者を巻き込んで改良を重ねていった。90年代以降の米国ではIT効果で経済全体の生産性が年率で1%上昇した。もの作りの日本の製造業も今後、このITをもっとうまく使いこなすことで、新たな成長の機会を見つけることが可能であろう。
松本 行弘(株式会社ネットワーク応用通信研究所 開発部)


#日記 #エッセイ#コラム#小説#ビジネス#ブログ#note#仕事#読書
#ライフスタイル #フリーランス#就活#転職#プログラミング#移住
#田舎暮らし #就職#エッセー#ノマド#資本主義#公務員#スローライフ#働きたくない#リゾートバイト#リゾバ#ビジネス#仕事#毎日更新#毎日note#ライフスタイル#フリーランス#副業#お金#働き方#幸せ#経済#私の仕事#ネットビジネス#仕事術#弁護士#行政書士#税理士#社労士#司法書士#弁理士#サラリーマンは辛いよ#経費削減#特許事務所


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?