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青海三丁目 地先の肖像「観測」

2021.02.02 | 葛

知人に誘われて、私たちは中銀カプセルタワーの一室を借りることにした。この部屋はデザイナーによって手が入れられた後の部屋で、オリジナルの壁面収納やベッドなどはないが、思ったよりも広さを感じられる、見晴らしの良い部屋である。

ここを臨時のオフィスとして、「青海三丁目 地先の肖像」プロジェクトのことを考えたり、人を招いて見学してもらったりできると思って借りたが、実際のところ何をするでもないけれど、パンデミックで閉じ込められるのであれば、いっそ黒川紀章のカプセルに閉じ込められるのも良いのではないか、と考えていたのかもしれない。
実際にカプセルの中に滞在してみると、閉じ込められているようで妙に開放感がああった。都心の空中に浮くように突き出した建築だからなのか、丸窓の効果なのか。部屋には窓を通して、朝の時間帯には間接光がぼんやりと入り、昼過ぎには直射日光が入ってまた通り過ぎ、夜がハッキリと訪れる。
夜の暗さを感じたのは、隣のビルの明かりは届くけれど、明かりのついているカプセルが少ないせいもあるかもしれない。

1月から2月の間、カプセルに訪れた日の殆どは晴天だったような気がする。地球上に建つカプセルタワーの一室に閉じこもって、光の変化によって太陽の軌跡を日々観測していたのだが、何故だか小さな宇宙船から地球を観察しているようにも感じられた。

この空間の気積、プロポーション、そしてこの丸窓の大きさ、その一つ一つの具体性のようなものが大変重要で、じっと座っている1人の人間の視点と身体性に対応する、外界の観測地点としての性格と空間性を持っているように感じられたし、このカプセルは今いるこの場所、という一つの時間と場所に集中するための装置であるというような、そんな印象が強く残った。

我々は窓の外を時折眺めるだけではなく、カプセルの中での自分達の姿も観測した。
カプセルの中を定点カメラによって録画し、太陽の移動と共に我々の活動の推移も記録した。明るさが徐々に変化し、カプセルの丸窓を境として、地と図の変化を見ているかのように昼から夜へと転換してゆくのが面白い。
本来は地球上どこでも観測できる現象なのかもしれないが、カプセルの中だからこそ、こんなにも純粋な形で提示され得るのであろうか。

ゴミの埋立地とメタボリズムとは、高度経済成長期という時代を通じて関連づけられるだけなのかもしれないと当時考えていたが、取り壊しを目の前にした、使用できなくなる直前ギリギリの場所と、2021年の東京五輪の会場として整備されたが今も使われることが少ない臨海の埋立地には、単にそれだけではない、何か他にも通じるところがあるように思われる。
計画されたが一度失敗した場所であり、だからこそ可能性が潜在する場所なのではないかというような漠然とした感覚であり、ゴミと資源の間のような、曖昧化している場所に魅力を感じていたのかもしれないと、今は思う。

私たちはカプセルの中で観測をしながら、衛星写真をもとに地図を描き、2021年頃の埋立地の姿をも観測していた。東京五輪を終えた埋立地はまたどんどん変化してゆくだろう。

カプセル自体が保存されたとしても、太陽と地球に対して同じ関係に置かれ、同じ日差しの観測を提供することは、もはやできないであろう。
埋立地の調査は続くであろうが、我々の埋立地への関与の手法や視点もまた、推移してゆくはずである。

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