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あなたは、何になる【日記】

最近2歳がよく歌っている歌がある。

「おーきーくなったーらー、なぁんになーるー、おーきーくなったらー、○○にーなぁーるー」

○○の部分は都度違う。昨日はカマキリだった。今日はペネロペだった。明日は予想もつかない。比叡(お気に入りの電車)かもしれないし、バッチャン(ショベルカーの個人的呼称)かもしれない。パパかもしれないし、ダンゴムシかもしれない。2歳の思いつきを慮ろうとする方が野暮というものだ。

「大きくなったら」ということをどう受け止めているのかも不明である。少なくともカマキリは今の2歳より小さい。それでも、2歳は「おおきくなったらかまきりになる」のである。

自分が2歳のとき、「大きくなったら」を考えていたか。全くもってわからない。小学生くらいから、将来の夢を書かされるようになったような気がする。色々書いた夢は実現することはなく、今は存在すら知らなかった職種についている。先生にも図書館の人にも歌手にも私はならなかった。何故か文系学問を修めたのにシステムエンジニアとやらを生業とし、ひいこら働いている。子どもを産んで母親になって、喜んだり絶望したりしている。
「大きくなったら」という言葉を自分のこととして使うことはもうないだろう。それでも、今更でも、私はエンジニアでも母親でもある全部を含めた「何ものか」になりたくて書くことを始めてしまった。noteを始めたのは、そんなささやかで個人的な理由である。会社で働くことと家で暮らすことの間にごりっごりに溝が刻まれていく毎日がなんとなく息苦しかった。どちらでもあり、どちらでもない自分がどこかに欲しかった。

この先、仕事が、子供の世界が、大きくなったら、私はなんになるか。母親で、社員で、妻で、娘で、誰かの友人で。でもきっとずっと「なにか」になりたくて、どこかで何かを書いているような気がする。

ちなみに2歳は母親の腹をこねてのばしてしながら「おいしくなぁれ、おいしくなぁれ、」と謎に毎日励んでいる。うん、かあちゃんがんばる。よくわかんないけど。

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