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すぐに仲良くなれるの内訳


わたしは人見知りだ。

人見知りだった。


幼少の頃は母親の後ろを常に離れず、出かけたショッピングモールの雑貨屋さんのなかでも母の姿が少し見えないと不安になってすぐに探しに行くほど。


親戚や祖父に対しても人見知りしていつまでたっても全然話せなかった。


極度のアガリ症で小学校の授業で発言を求められクラスの注目を集まるときは必ず声がうわずってふるえ、目には涙があふれてきてしまって何も言えなくなってしまった。


幼稚園、小学校、中学校はだいたい顔の知った人がいて人見知りである自分にはありがたかった。

人見知りを克服しなければと思ったのは高校入学の頃。

わたしは高校受験を部活の選択肢のみで少し家から離れた私立に決めて、おなじ中学からそこへいく子はほとんどいなかった(正確にはいたけど、男の子ばかりでさらに高校はマンモス校だったから数人のその友人もいていないものだった)

そこでようやく気付いた。

中学に上がった頃は小学校から仲良くしてた子がクラスにいて人見知りながらに友達は普通にいた。

けど高校は知ってる人が誰もいない。

友達をつくるという行為を自分からしていかなければ友達ができないのだろうということを察した。

これは今までにない試練だった。
今まで通りにはいかない。

ほんとは知らない子に声をかけるなんてことはそうそうしない。けどそうしなければわたしの高校生活が終わりを迎えるのではないか。謎の強迫観念のようなものが襲った。そして人見知りを克服しよう。という考えに至った。


入試のとき、(今考えると入試のときから友達を作ろうと考えたのはどう考えても焦りすぎだ。でも推薦の入試だったので入試の時点で合格はほぼ確定だった。)
前の席に座っていた女の子に声をかけようと思った。

その日は弁当持参で1日がかりの試験だった。午前が筆記で午後はグループ面接。

お昼の休憩時間。

「(一緒にお弁当たべない?)」
「(そのペンケースかわいいね)」
「(どこの中学校?)」
「(高校で部活はいるの?」

いろんな会話の想定を頭の中でぐるぐる考える。

よし、いくぞ。
だいじょうぶ。
声かけるぞ〜

「(一緒にお弁当たべない?)」

「(一緒にお弁当たべない?)」

「(一緒にお弁当たべない?)」

「(一緒にお弁当たべない?)」

なんども頭の中でしゃべりかけるセリフをくりかえす。

声に出したくても出ない。

だいじょうぶ。

声に出すだけ。

「(一緒にお弁当たべない?)」

だいじょうぶ。

えいっ!!!

「ねぇ、一緒にお弁当たべない?」

後ろから声をかけられて少しびっくりしたようにみえたその子は次の瞬間に笑顔になって
「あったべよう!」って言った。
たぶんその子も入試ですこし気が張ってたんだと思う。

少し緩んだのがみえた。

その笑顔のあとで軽く自己紹介をしてから、その子はこの学校に部活がしたくて受けたんだって話をしてくれた。
わたしの話も少しした。

なあんだ。
わたしやればできるじゃん。
えいっ!ってやれば話しかけられるじゃん

っていうのがわたしの人見知り克服の第一歩だった。

それからわたしの心の中で

えいっ!といってとりあえず話しかけてみる だったり
えいっ!といってやってみるのが決まりになって

やがてえいっ!と思わなくてもスッとできるようになった。

(ほんとは全部がそうではなくて、いまもたまにえいっ!は出動する。)


克服したつもりでもたまに人と接するのがとてもおっくうになったり、こわくなったりすることもある。それは先天的な人見知り性質があるからたぶん一生そうなんだろうなとはおもう。


この前 「初対面の人ともすぐ仲良くなれるよね そういうとこいいよね」 って友達が言ってくれたんだけど

いや そうなんだけど

そうするようにしてるんだけど

ほんとは ほんとは そうでもないんだよ

えいっ!って

えいっ!って

心の中で何回も言ってきた。


#コラム #日記 #過去 #自分



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