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3.18 精霊の日

その女に呼び出された時、俺はもう自慢の羽はぼろぼろで、肌は灰色に変色し、虹色の衣装も日に灼けて色あせていた。
俺が出て行った時、女は目を見開いてとても驚いた顔をしていた。
当然だろう。精霊を呼び出したつもりが、妖怪が出てきてしまったと勘違いされても仕方がない身なりだ。
しかし、女の反応は俺が思ったものとは随分と違った。
「あの、本当の精霊さんですか?」
口元を押さえ、ぽろぽろと感激の涙を流す女。俺は冷めた気持ちになって何も答えずに女の作った呼び出し装置を横目で眺めた。
青と黄色とオレンジを基調とした花を透明なガラスの器に活け、周りをぐるりと囲むように白く胴の太いキャンドルが並べられている。精油はゼラニウムか。
キャンドルの数は八つ。八を司る精霊である俺が呼ばれた意味が分かった。
女が泣きやむのを待つ間に、部屋の中を観察してまわる。
二十代、親と同居、ぬいぐるみが好き、赤いチェックの布団カバー、ゴミ箱に捨てられたチョコ菓子の空き箱がいくつか、棚の奥に仕舞われた学生証。
たいして面白いものは見あたらない。
「で、何が知りたいんだ」
俺はぞんざいな口調で女に質問をした。どうせ人間なんてこればかりだと知っている。

最初に俺を呼び出した老人は、戦争の勝ち方を教えてくれと言った。役に立つのが嬉しくて、本当のことを言ったらたくさんの人間が死んだ。老人は我が国の勝利だと言って笑ってそれを見ていた。訳が分からなかった。人間の住むこっちの世界は一つなのに。
次の女は、産まれてくる子の性別が知りたいと言った。可愛い女の子が産まれる予定だと言ったら、女は幸せそうに笑って大きな腹を撫で、その次の日に自ら命を絶った。
訳が分からなかった。俺は、可愛い女の子が産まれてくると言ったのに。女の子ごと彼女は生命を失った。
それ以来も似たようなことが続き、段々と俺は人に呼ばれるのが嫌になった。
ギャンブルの勝ち方、恋の行方、罪の意識を軽くする方法、殺したいほど憎い人間の末路、子供の名前、進むべき道。
人間は強欲で、少しでも得をしたく、間違えることを極端に嫌う。
俺にとってみれば、どれもこれもが失望するような質問ばかりで、人間の純粋な疑問に触れてもちっとも魂が浄化されることは無かった。
人間が尋ねてくることのそのほとんどが、生きて自分で答えを出すべき質問だと思った。
精霊の性質として美しい花と澄んだ炎を持つキャンドルに誘われ幾度も現れて見たものの、いつも見せられるのは切羽詰まった醜い顔と表情ばかりで心底うんざりする。
清い心しか持てない俺たちは嘘をつくことが出来ない。嘘を吐けば少しずつ身が滅んでいく運命だ。
俺はいくつもの嘘を重ねて、もはや精霊としての清らかな姿も、真実を語る言葉も失いつつあった。
きっと今回も変わらない。俺は変わらずまたでたらめの言葉を授け、今度こそ命を失うかもしれなかった。でも、それでもいいと思った。こんなことを繰り返すのには疲れすぎてしまった。

女は言った。
「世界で一番きれいなものが知りたい」
俺は言った。
「ふーん。で、お前は何だと思う」
女は少し迷ってから、こう答えた。
「ここではない別の世界にある何か」
俺はわざとにっこりとほほえんで尋ねた。
「どうしてそう思う?」
「だって」
女は言った。
この世にきれいな物があるとは思えない。全てが灰色がかって見えるし、今後もきれいなものは見つからないと思う。人間は欲まみれで等しく汚い性質を持っていて、人をだしぬこうとしてばかりいる。そうでない者は弱者として虐げられる。虐げられれば純粋な心でも恨みを持つ。汚い感情が湧かない人間はいない。人間の目で見ているうちは、この世界にきれいなものなどあるはずがないのだと、疲れたように訴えた。
俺は、この世界できれいなものを求める女が哀れになった。話終わる頃には女の衣服が色あせて、ぼろぼろの羽が見えるようだった。
仕方がないので女の周りを三度飛び回って残りわずかな鱗粉をかけてやった。それで女は少し元気を取り戻した。
「女、よく聞け。お前は賢い人間だ。だが、残念ながら賢さが過ぎると澱みへの拒絶反応が起きて死に向かって走ることになる。諦めろ。お前は人間である限り、その澱みも受け入れなければいけない」
女は俺の言葉を聞いて、ただ呆然と涙を流していた。声も出さず、ただ俺を見つめながら涙を流していた。
可愛くもない、ただの女だ。なのに、俺はどうしてもこの女を助けたいと、この精霊とは呼べぬほど傷つき妖怪のように弱った身なりでそう思った。
女が呟いた。
「だったら、人間やめたい」
俺はぺったりと貼りつけた嘘くさい笑顔で女に言った。
「大丈夫だ。いいことを教えてやるよ。
この世で一番醜いのが人間なら、この世で一番きれいなのも人間だ」
すっと女の瞳の奥に光が宿るのを、俺は確かに見た。それはとても美しい光だった。
「本当に?」
「精霊は、嘘をつかない」
女の白い頬の上に落ちる滴がキャンドルの灯りでシトロン色に輝く。
俺はそれを止めるように目蓋の上にキスをして、埃のように崩れて消えた。

濃い花の匂いとキャンドルの炎の明るさが充満する薄暗い部屋の中で、女はただ机の上に落ちた俺の影を指で繰り返しなぞっていた。

3.18 精霊の日
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