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6.9 ロックの日

弥太郎は突然の雨に逃げ込んだ洞穴の中で、膝を抱えながら雨音を聞いていた。
横殴りの雨は新緑を過ぎた頃の旺盛な葉を叩き、激しい音を鳴らしている。
心寂しい夕暮れ時である。
「早く帰らないと、おっかあに閉め出されちまうなあ」
濡れて冷えた膝小僧をさすりながら雲行きを観察するが、分厚く暗い灰色の雲が続くばかりで終わりが見えない。
「こんなことなら、やっぱりおつかい断ればよかったなあ」
弥太郎は五人兄弟の三番目だったが、優しい性格が裏目に出て家族皆に馬鹿にされてばかりいた。
いつか見返してやりたいという気持ちも無いでは無いが、自分が我慢をすることで家族七人が平和に暮らせるのならそれでいいような気もしていた。
「俺はばかだし、頼みごとも断れないから仕方ねえんだなあ。弱いなあ俺ぁ」
もしかしたら一生こんな風に生きていくのかもしれないと思うと、弥太郎は身震いをした。
「おい、お前」
牛に踏まれたような、ひしゃげた声がした。
驚いて振り向くと、近くの岩の上にウシガエルが座っている。
「ははあ。まさかウシガエルが喋るはずもない。俺はついに幻聴まで聞こえるようになってしまったぞ」
弥太郎が肩を落とすと、ウシガエルはその情けない面めがけて勢いよく跳んだ。
「うわあっ」
「情けない声を出すな。そんなだから舐められるんだぞ」
弥太郎の顔を経由して地面に降り立ったウシガエルが、弥太郎の濡れた顔面を睨みつけた。
「本当にウシガエルが喋ってる。俺、まさか洞穴で冷えて死んじまったんだろうか」
慌てて足下を見る。足は生えているが、幽霊の全てが足がないわけではないだろうと不安が募った。
ウシガエルはやれやれと溜息をついた。
「カエルが喋ったくらいでうろたえるな。さっきな、お前の服の中で雨宿りをしていた虫を食った。美味かったから礼に良いことを教えてやる。ありがたく思え」
そういえば洞穴に入ってしばらく、着物の首もとの辺りが痒かったように思う。
虫が入っていたのだとすればぞっとする話だ。
「そうでしたか。俺、生きているのなら良かった。家族に別れの挨拶もしてねえので」
それを聞いたウシガエルは、短い前足で何度も弥太郎のすねを蹴りつけた。
「ばかもの。死ぬときは、一人であれ。それが男ってもんだ。わざわざ家族に死ぬことを伝えて、悲しませるなんて、そりゃあロックじゃないぜ」
蹴りすぎて息があがっている。弥太郎は首を傾げた。
「何ですかい、そのロックってのは」
ウシガエルは鼻息を荒くして、ひしゃげた声でこう答えた。
「爆発する力だよ。家庭内の権力に抑圧されたお前の心は、力を持ってる。それをさ、暴力とか自分いじめとかじゃなくて歌に込めてみろよ。すごいぜ、俺はいつもロックを歌ってる。きょうの雨音は特に超ロックだ。お前の中にあるだろう、葛藤が。葛藤は無駄じゃない。すごい力の源なんだ」
弥太郎にはロックの意味がまだよく分からなかったが、ウシガエルは白い喉をふるわせながら「さあ、歌おうぜ」と言って土砂降りの雨の舞台に飛び出した。
「あ、ちょっと待ってよ」
慌てて弥太郎も追いかける。
洞穴から出た途端にどうっと強い風に吹かれ、痛いほどの雨が全身に叩きつけてくる。
雨風は一方方向ではなく、角度を変えて様々な場所から弥太郎にぶつかってきた。
「いいねえ、ロックだ」
ウシガエルが潰れた声で歌を歌い始めた。
滅茶苦茶に跳ねながら歌うその姿は心地よさそうで、思わず弥太郎も小さく歌い出した。
「もっと、もっとだ!全てを忘れるくらい声を出せ、反抗心を爆発させてみろよ!」 
弥太郎は歌った。
雨の中で声の限り、ウシガエルと一緒に飛び跳ねながら叫んだ。
それはこれまで生きてきた中で感じたことのない興奮だった。雷を頭から足のつま先までまっすぐに浴びたような衝撃だった。
夜が来て、やがて雨がやんだ。
「どうだ。ちょっとはロックが分かったか。魂も喉も震わせずに嘆いて生きていくには、人間の生は長すぎるだろうよ」
ウシガエルは歌い疲れてかすれた低い声で笑った。
弥太郎も、ずぶぬれになってもなお熱い身体を上下させながら笑った。
「ロックっていいもんだなあ。俺、好きだ。また歌いに来てもいいか」
「ああ、もちろんだとも。ロックの世界では、仲間は裏切らないもんだ」
一人と一匹は次の雨の日にまた会う約束をして別れた。
弥太郎の背中を見送りながら、ウシガエルは「おれの命なんて、明日も保証されたもんじゃあないが、あいつと会えるなら長生きしてえもんだな」と呟いて、ロックじゃねえなあと少し照れて咳払いをすると、ゆっくりと洞穴の奥の巣に戻っていった。

6.9 ロックの日
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