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9.5 フリーファッションデー・石炭の日

マシンガンの音が鳴り響くなか、少女が一心不乱に足を踏みしめている。 ゴシックロリータ調の服のスカートを膝までたくしあげ、薄桃色のツインテールを振り乱しながら彼女は鼻歌を歌っていた。
「ミチル」
作業倉庫の入り口で声をかけたが、ハルトの声はミチルに届かず騒音の中で彼女の歌声が大きくなっていく。
ミチルは完全に自分だけの世界に入り込んでいるようで、手元の光沢のある石炭色の布地に注がれた視線は、ハルトから見ると狂気を孕んでいるようにすら感じられた。
仕方なく、埃っぽい作業倉庫に足を踏み入れる。そこら中に生地の入った段ボールや、空の瓶や、謎の紙袋が散乱しているので、出来るだけ触れぬように進むのがやっとだ。
ロックらしいなにかを熱唱しながらミシンを踏みつづけるミチルの背後に立ち、すぅっと肺いっぱいに息を吸う。
「ミチルッ、作業を止めろ」
思い切り声を張り上げると、三センチほど椅子から浮いたミチルの手元で縫い目が泳ぐようにぐにゃりと歪んだ。
「ハルトォ、お前何してくれるんだよ。大事なドレスの縫い目曲がっちゃったじゃないか」
ミチルは、まだ現実に帰ってこられていないようなぼんやりとした目でハルトを振り返った。恨み言の声も先ほどまでの歌の三十倍は小さい。
ハルトはすらりと伸びた腕を薄い胸の前で組み、無表情で首を傾げる。淡い金色に蛍光黄緑のメッシュの髪がさらりと流れた。
「お前は服を作らないと死ぬ妖怪かなにかなのか。昼には飯を食いに戻れと言ったのに、何時間やってるつもりだ、今すぐやめろ」
ハルトが淡々と圧をかけると、ミチルは急いで手元の置き時計を取った。時間を確かめると、その顔色がみるみる青ざめていく。
「いや、忘れないようにアラームをかけてたんだ。本当だよ。おかしいな。なんでもう五時なんだろう」
ピンクのウサギとホイップクリームの装飾がついた置き時計は確かに天辺のキュービックジルコニアにアラームの針がセットされていたが、ミシンの音にかき消されて聞こえなかったのだろう。そもそもミチルがアラームをかけ忘れている可能性もある。
「それにしても、きょうも奇抜な格好をしているな」
ハルトは目を細めてミチルのつま先から頭の先までを眺めた。ミチルは自慢気にツインテールを両の指先でつまんで見せた。
「昨日届いたばかりのウィッグだよ。可愛いだろ。この衣装も、買ったやつを一回ばらして自分で改造したんだ」
服飾の専門学校に通っていると、確かに様々な服装の人がいるが、その中でもミチルのファッションは群を抜いて奇抜であった。
「いや、俺は男がピンクのウィッグでも、ゴシックロリータでも似合ってればいいと思うけど、幼なじみとしては微妙な気分だな」
そう言うハルトも服装のベースは漆黒だが、蛍光色のテープを首元や太腿に巻いているので外を歩いているぶんには充分目立つ。ミチルはそれを眺め返して呆れ顔で両手を挙げたが、ハルトには伝わらないようだった。
「それより聞いてくれよ。さっきさ、すごいのが降りてきたんだ」
ミチルはニッパーを使って、手元の縫い損じを外しはじめた。
ハルトは後ろからニッパーを取り上げたが、少しだけ、とまたミチルに取り返されてしまう。ミチルは嬉々として話を続ける。
「ハルトはさ、人類の多くが何故服を着ていると思う?」
ハルトは粘るのも面倒になって、ミチルの隣にあった椅子の上のドレス生地を退けて座った。
「さぁね。考えたこともない」
「嘘だね。ハルトが考えてない訳ないじゃん。いつも哲学みたいなことばっかり考えてるのに」
ミチルの手元で絡んだ糸が少しずつほどけていく。ミチルはご機嫌だ。ハルトはふん、と鼻から息を吐いた。
「服については考えないことにした。ただ好きだ。もうそれ以上分からないところまで行き着いたからやめた」
ふぅん、とわざといたずらに笑うミチルの額をハルトが弾くと、作業倉庫に軽い破裂音が響いた。
「俺ハルトのそういうとこ好きだな。自分の思考に妥協しない。
でね、俺の考えはさ、ふふ。欲情のため」
あまりに当たり前のようにミチルの口からヨクジョウという単語が出てきたことにハルトは驚き、危うく椅子から落ちそうになった。
正直ミチルはよく言えば純真、悪く言えば色恋と縁があるとは思えないほどまだまだ子供なのである。未だに駄菓子のアタリを追い求め、最近でも蝉の抜け殻を集めている。
「お前服を作りすぎてますます馬鹿になったんじゃないのか。服に欲情するのかよ」
「違うよ。なんだよ服に欲情って。服に包まれてるから欲情出来て、そのおかげでまだ人間は生まれ続けられてるんじゃないかって話」
曲がった縫い目が綺麗に解され、元のなめらかな石炭色の生地に戻った。
「待て、情報不足だ」
「だーから、これだけ文明が発達して、狩りもしないしそこそこ生命の危機も感じずに頭ばっかり使う世の中でさ、スッポンポンで男女がそこらじゅう歩いててもいざという時が分からないから欲情出来ないんじゃないかって気づいたんだ」
ハルトはこめかみを押さえ、眉間に皺を寄せた。
「だから、生命をつなぐために服があると。ミチルの言うのはそういう事か」
「そう。じゃないと絶滅しちゃうでしょ。あとは、鳥とかの求愛みたいにも使えると思うし」
石炭色の生地を端に寄せると、ミチルは大きく伸びをした。
「で、結局何が言いたいんだ」
頬杖をついたハルトに、ミチルは満面の笑みで答えた。
「お腹が空いたのでごはんが食べたいです」
続きは食欲を満たしてから、とピンクのツインテールをなびかせて、ミチルは作業倉庫から出て行った。服装が自由だと振る舞いも自由になるものなのだろうか。それならそれで服の効果としては悪くない。
「好きな服を好きな時に好きな様に着る。ミチルみたいな奴ばかりなら、それだけで世界も平和になりそうだな」
付き合う方の身としては面倒だけれど、という言葉を付け足してミシンの電源を切ると、ハルトはゆっくりとミチルの後を追った。
入り口から四角く切り取られ入りこんだ西陽に、舞う埃がダイヤモンドのように煌めいている。

9.5石炭の日、フリーファッションデー

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