正欲/朝井リョウ

⚠️ネタバレを含むので注意デス、。


異なる3つの人間世界が、ある1つの性癖嗜好を巡って結びつけられる構造に舌を巻いた。

「多様性」というワードに惹かれて購入したが、昨今叫ばれる多様性という言葉の意味について、考える機会を得た。いや、考えざるを得なかったというべきか。多様性を認める社会といいつつも、結局は構築された法、倫理を掻い潜った個性のみが社会に受け入れられているのであり、その奥には我々が想像もし得ない個性が広がっているのかもしれない。

今回、個性は「欲求」として登場しており、登場人物達の持つマイノリティな欲求は、結果的に不本意な形ではあるが法に触れてしまい、「社会」にNOを突きつけられたのであった。社会に認められた欲は、さしずめ「正欲」とでも言ったところか。「マジョリティ=正」なのか。法を守れば「正」なのか。書いている内に、「正しさ」とは何なのか、というところまで来てしまう。考え過ぎか。

様々な欲求が世界中で渦を巻いている。賞賛を得たい、誰々に好かれたい、水を得たい、愛されたい...

人間は欲求を満たすために動く。その欲求にNOを突きつけられた人間は、もはや「動くな」とでも言われているようではないか。NOとまでは言わなくとも、マイノリティの欲求は同意者がいないという意味で孤立無援状態だ。「動いても、何も助けがない」そんな状態で生きることを強いられる。

そんなマイノリティ達にも、救いの手が差し伸べられた。情報化社会、とりわけSNSと呼ばれる媒体だ。見ず知らずの人とメッセージを送受信できるこの仕組みによって、マイノリティ達は「繋がる」ことができるようになった。ローカル社会で決して結びつかない他人同士が、同じ欲求を持っているだけで、空間を超えて「繋がる」社会になったのである。SNSの普及によって育まれた「繋がり」は、マイノリティを結びつけ、その波を大きなものにする。昨今の多様性重視の社会を生み出しているのは、この「繋がり」が生み出したビッグウェーブなのではないか。つまるところ、元々存在していた「多様性」は、ネット社会の下でようやく明るみに出たということだろう。

そんな多様性は、法や倫理に妨げられやすい。それらは、所詮大多数の人間が安心して欲求を満たすために設けられたものに過ぎない。今まで法や倫理が守ってきた「正」、運良く声が大きいだけだったのだろう。ネット社会で急速に「繋がり」を強めたマイノリティ達は、マジョリティが生み出した法や倫理を変えようとする段階に差し掛かっている。欲求に忠実な人間は強い。欲求を力に変え、今こそマジョリティに立ち向かわんとする人達は、どのような社会を創ろうとするのか...
少なくとも、「多様性」という言葉は、長らく社会に埋もれていたのだろう。技術が進歩し、人と人との「繋がり」が加速度的に形成されるようになった現代社会においてようやく、人々の会話の中で燦然と輝く権利を与えられた言葉のように感じた。

こんな文章も、所詮は誰かの共感を得たいという「欲求」に過ぎない。そしてそれをネット社会の下に放り投げ、見ず知らずの人からの共感、「繋がり」を求めているのだ。SNSなんてみんなそうじゃないか。なんだ、多様性のことを考える前から、多様性を世に解き放った社会で生きることしかできていないじゃないか。SNSが無かったら、俺らはどうやってこの「欲求」を満たしていたんだろう。言論の自由が認められない時代だったら、そもそもこの欲求は「正」ですら無いじゃないか。ああ、現代日本に生きててよかった。こうやって「お気持ち表明」できるだけ恵まれた環境なんだろうな。社会的にアウトな欲求を抱えている人達からすれば、こんな文章で欲求満たせる方が羨ましいのかもしれないな。

ひとまず、今の自分は恵まれていることがわかった。これは何も自慢している訳では無い。事実を述べているだけだ。私の環境の全方位に、感謝したい。

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