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ご自由におかきください、

「ご自由におかきください」の言葉で却って自由じゃなくなる。ご自由に、と言われて自由になれた試しがあっただろうか。自由の裏に言外に含まれた制約を肌で探って並び立てるところからはじめてしまう。そうすると案外自由ってやつは自由じゃない。
周りをみて、自分の役割はここだなって普段よりも空気を読まなきゃいけない気がする。わたしは自由のもとではうまく喋れない。だから自由、ってやつを最大限楽しめる人間は強い。密かにずっとあこがれている。枝葉を切り落としていくみたいに自由の中に、その制約に、収まっていくわたしとは大違いだな。自由に自分のこころを表現できる人間がうらやましい。

そんなこんなで、ご自由におかきください、でゆるされるなら、本当は、なにもかかない、を選択したい。なにもかかない、ってのは密かな抵抗だ。自由に言外に含まれた不自由さへの抵抗。密かな抵抗。無駄な悪あがき。

本当は、なにか違ったことを言ってしまうのがこわい。じぶん、を出して喋るのがこわい、傷つくのがこわい、

のかもね。

自由ってやつは制約があるくせに、そのもとではわたしたちはとても危険だ、
自由のもとで発話した言葉に対する評価は、自分に降り掛かってくるんだから。制約なんてありませんでしたよ、勝手に感じ取ったのはあなたですよね、みたいな顔して。

でもなんでNoteの「ご自由におかきください」に従ってるんだろうないま。
なんにも縛られない、自由ってやつを味わってみたいからかな。

だとかいろんな理由つけたけど、けっきょくのところわかってほしさからだよ。「自由にかいてください」って言われてもね、難しいよね。そんな地面がぱっくり割れちゃうくらいくだらないこと考えてるんだなって、ね。いたいだろ。

まあそれであなたのことも、すこしだけでいいから、わかりたいんです。お話しましょう、わかりあえなくていいから、簡単にわかることなんてひとつもないんだから、少しずつ 少しずつ。欠片を分け合うみたいに。



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