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編集者という緊張ありきの仕事

佐藤純平さんの投稿を読んでいて、ぼんやり、あれこれ考えていたんですけれども。

「最近緊張しないな」は危険信号かも

「最近緊張しないな」と思っていた頃は、慢心していたり、自分自身で実感できるほど「嫌な奴」な時期だったなと。

緊張するというのは、何か自分が経験していなかったり、不慣れなことに挑んでいるからであって、緊張しなくなったことはある種ステップアップと言える。

ただその機会が減ったり、ましてやゼロだなと感じる期間が長くなっているとしたら、僕は自分の生き方に刺激や挑戦が足りてないと感じるかもしれません。

逃げ出したくなったブライアン・ウィルソンとの対面

僕が人生で一番緊張した瞬間は即答できて、2016年4月12日、東京国際フォーラムでブライアン・ウィルソンと対面したとき。

小学生のときに衝撃を受けて25年以上、まるで新興宗教の教祖を信仰するかのように尊敬してきた、米国大衆音楽史の最重要人物。その彼が、1分足らずでも、僕ひとりだけのために向き合ってくれる・・・

時間が近づくに連れ、本来は歓喜の瞬間なはずなのに逃げ出したくなりましたね。なんでだろう(笑)6年経ったいまは、あの瞬間が人生の到達点だったとさえ思うんですけれど。

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著名人に初めて会って緊張したのは、大沢伸一さん、小山田圭吾さん、野宮真貴さん、三國清三さん、デイヴィッド・ディワーラさん(ソウルワックス)。もちろんどなたも素敵で柔軟な対応をしてくれましたし、何人かは初対面後も何度かお会いする関係なのですけれどね。

何故か緊張しなかったのは、今は亡き、加藤和彦さん。すごくオープンで温厚そうな柔らかい印象がありました。高校生の頃、細野晴臣さんにサインを強請るべく出待ちをしたときも、あまり緊張しなかった記憶。加藤さんと同じ印象です。

僕は「愛のある無茶振り」で育てられた

今では上司の兼松佳宏や鈴木菜央、よく一緒に仕事をするソーヤー海さんや辻信一さんとの初対面もガチガチでした。みなさん、僕が知り合った頃には、本も出していたし、ソーシャルデザイン業界やパーマカルチャー、スローライフの重鎮だったので。

僕は編集者なのでいろいろな方々に取材としてお会いしたり、授業をしたり、登壇・講演したり、イベントの司会をしたり、緊張の場面に出くわしやすい仕事が多いと思います。

というか、なにかを想像し創造し、表現者として挑戦していく仕事をしている人は緊張するのが仕事の一つだと思うんですよね。緊張しない仕事ばかりしているというのは、社会に価値や表現を提案する上で、自分を試すことをしきれていないので。

そしてたぶん僕はマゾ気質なところもあるようで(笑) だから緊張しなさそうな仕事を緊張するように、いろいろ施策を打ってます。同じ内容の授業をしないようにするだとか。向上心という側面もあるので、セットなのでしょう。

兼松佳宏とふたりだけでgreenz.jp編集部を運営していた頃。彼は突然、僕に「愛のある無茶振り」というものをすることが多々ありました。僕のためになると彼が考え信じた、緊張や実験を伴う挑戦を前触れなく提案するんです。しかも人前で。。。だから断れない。

最初はすっごく嫌でしたけれどね(笑) 

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でも、そうやって緊張を伴う挑戦に直面しないと、編集者として成長させられないと思っていたのだろうなと。彼にはいろいろ学んできましたが、この手法で僕はたしかにスキルと感覚は身についた気がします。

(最近そうやって、僕に「愛のある無茶振り」をする先輩も後輩も減ってきてしまった気がする。意外とさみしい。)

緊張しなかった取材はつまらない

そういえば、授業や登壇はあまり緊張しないんですよね。おそらく場数がかなり多いからというのと、僕が相対するのが少なくとも20人以上と多いからかもしれません。(同じ理由だと思うんですが、かつてDJやバンドをしていたころも緊張した記憶がほぼないんです)

では何に緊張するかというと取材ですね。相反するのがひとり、あるいは極少人数だからというのが理由なんだと思います。そして収穫してこなければいけないモノ・コトや責任が、僕ひとりにのしかかるからでしょうね。

取材時の緊張をマネジメントする術は、ずっとあれこれ模索してきたんですけれど、ひとつ行き着いたのは「緊張しなかった取材はつまらない記事に仕上がりがち」ということなんです(笑)

気を許し合っているから内容に刺激がなかったり。あと何故か、緊張をしているときのほうが相手の言葉に集中できていて、コミュニケーションの深度も追求できる気がします。編集者としてライターの原稿を校正するときも、取材時の緊張が感じられない原稿はたいしてつまらないものが多いですね。

「ライターと取材先が親密で緊張のない関係だからこそ聞き出せた」という記事もありますが、それが成功するのは両者の主題に対する解像度がものすごく高くて、かつ独自性がある視座を持つという境地になっているからだと思います。その境地に行けてない両者が緊張のない対話をしたところで、僕は面白いものになるはずがないと考えている・・・

この解に行き着いてから、「緊張は当然」という悟りがあるんですけれど、程よい緊張は良しとして、それがコントロールできなくなるのはリスクがあるなと思うんです。

そこであれこれ考えたり、諸先輩方の取材手法を盗んで始めたのが、壊す前提の緻密なプランニング。

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たとえば、マガジンハウス出身の敏腕編集者・ライターの土居彩さんと仕事をするとき、彼女はとても綿密な企画書や想定質問や記事の構成、場合によっては絵コンテまで僕に持ってきます。ただ、原稿として仕上がったものが届いて読むと、全然違うんです(笑) そしてそれがほぼ毎回。

壊して不採用になってしまうのだとしても、取材前の段階(=取材先を決め相手をリサーチで理解する)で持っている情報や、それに対する自分の観察・情動で細かくアウトラインはつくる。そして、土居さんはおそらくそれを相手にも見せている(のかもしれない)。

取材をするときの仮ゴールが可視化できているし、相手に共有できていれば共通認識構築にもなっているので、コミュニケーションはしやすいのだろうなと思うんです。でも、キャッチボールをしているうちに、きっとおそらく「思ってたのと違う」ことがいろいろ可視化されるはずで、それに勘付いたら破壊してその場の成り行きに身を任せるということでしょう。

壊したアウトラインも断片〜素材化できるようになっていれば、予定・想定にない取材になっても、「あ、ここであの素材を使えるかも」と考え活用することができると思います。

(一時、僕はその事前準備通りに取材や案件提案をしすぎだったようで、「壊す前提」は大事。ちなみに、そう気づかせてくれたのは社外の大先輩でした。)

もちろんライター・編集者の仕事手法は十人十色で、あえて下準備をしすぎない人だとか、「そもそもコウタくん、取材で緊張なんてしたことないよ僕」と華麗に言い放つ大先輩もいるんですよ(笑) 上記は、あくまで僕の手法です。あと取材先に合わせて、最適な手法を選べるほうがいいでしょう。

緊張はあるけれど・・・

何に対して緊張するかということが、僕は固定化してきているかもしれないな。似たようなことで経験し続けている、という感じ。

既視感ある緊張ばかりが続いているのは、なかなかキャリアとして危険信号かもしれない。わけわかんない緊張に突然直面する、そんなことが2022年には起こるようにしたいですね。(そんな機会、ぜひ!)

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