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1−1 「脆い」の正反意語

音楽業界は、グーテンベルクの活版印刷技術発明によって始まった楽譜の複製販売を起点とし、テクノロジーと共に進化して来ました。

今では全く信じられませんが、たった十五年ほど前の二十一世紀の音楽業界にあっても、新たな高音質メディア(例えば Super Audio CD や DVD Audioなど)が普及すれば音楽市場は活性化するという神話が信仰されていました。

テクノロジーが生むのは『高音質なモノ』で、それこそ価値のある商品だと私たち自身も信じていました。

今は、テクノロジーによって生まれるのは、様々な『コト』だと思っています。特にナラティヴなコト。それが体験価値を生むのだと思っています。

高性能や最新のテクノロジーと上質な体験というのは、必ずしも比例する訳ではないというのが今の私たちの根本です。

音楽業界の事例は、モノづくりからコトづくりへと言われる時代の本質を非常に分かり易く明文化してくれます。

二十世紀初頭にCollective Genius(集合天才)の生みの親であるエジソンらによって「録音技術」が普及し、楽譜ではなく音楽そのもの(音源)をコピーするレコードメーカーという音源流通ビジネスが生まれました。

たった二十年後、それは大きな危機を迎えます。その時の脅威は、ラジオ放送でした。無料で聴けるコト、さらには、カーラジオで音楽をモバイルできるコトの登場によって、ライヴとは異なり、好きな時間に一人でゆっくりと音楽を楽しむコトを提供する音源販売というビジネスは、一気に陳腐化したのです。

それを救ったのは、後述する意外なプロダクトでした。そこに用いられたテクノロジーやシステムはその時代、既にレガシーとして存在していたモノです。

それから一世紀もの間、レコードメーカーは次々と生まれるテクノロジーから、良くも悪くも真っ先に影響を受ける業界のひとつであり続けました。正しくは、その時々の最先端テクノロジーが生む新たなコトによって、最新の脅威に晒されてきたのです。予測不能な嵐の中、常に船首でアゲインストの矢面に立たされた音楽業界は、その度に脅威を機会に変えて生き残ってきました。

今日、ラジオ(で音源がオンエアされて潜在顧客に無料で聴かれるコト)は、脅威ではなく我々にとって重要な宣伝やマネタイズの機会となっています。

さらに、インターネットが登場して以降の二十一世紀、聴覚情報と視覚情報しか持たない我々の製品に、ビジネス的な価値を見出すのは、決して容易なことではありませんでした。

後ほど詳しく書きますが、視聴覚情報とそれ以外の感覚情報との間には、現在における『ビジネス上の大きな隔たり』があるからです。

一方で、音楽文化は、

デジタライズ(物流からの解放)
最新デバイス(iPodやスマートフォンによるクラウドにアクセスする視聴)
xR分野(VR体験・音声AR・新たなアーカイヴとして)

など、テクノロジーの進化によって真っ先にインスピレーションを得てきたことも確かです。

YouTubeは、当初、新たな放送としてラジオと同じように脅威として捉えられましたが、今では、ラジオでのオンエア回数と同じく、再生回数を競い合うようになり、宣伝やマネタイズの大切な指標のひとつとして歓迎されています。

変化を悲観しても何も生まれません。変化を歓迎する「しなやかさ」: 我々はそれをナシム・ニコラス・タレブから学んだ「ANTIFRAGILE=反脆弱性」と呼び、音楽業界を生きるフィロソフィーの根本に据えています。

タレブ氏は、今でこそ認識論者として「懐疑的経験主義者」と自称し、現代におけるラディカルな哲学者のひとりとして活躍していますが、そもそもは2007年の世界金融危機の際に多くの統計学者や経済学者が脆さを露呈する中、大きな成果を残した優秀な金融トレーダーでもあります。

そんな彼が提唱したのが「反脆弱性」という全く新たな視点であり、それは、これまで存在していなかったのではなく認識されていなかった言葉です。

彼はその著書「ANTIFRAGILE」で、まずは「脆い」という言葉を「良くても良くならない状態」と定義します。そして、その反意語として多くの人が挙げる「強固」「堅牢」「頑丈」などを「悪くても良くならない状態」として正対していない(“良くても” という前半だけが逆になっているだけで、後半の “良くならない” が逆になっていない)ことを指摘し、この世界には両方ともが逆になった「悪くても悪くならない=悪ければ良くなる状態」があることを示し、それこそが脆いと正対する真逆の意味を持つ「反脆い」状態だと説きました。

簡単な例で言うと、筋肉などはそれに当たります。トレーニングという名の下で痛め付けられる度、それは現状復帰ではなく以前より大きく優れた組織へと成長していきます。

また、同著では「規則・原則・美徳」を「脆い・強い・反脆い」と評しています。例えば、日本の法律(規則)第百八十六号「原子力基本法」では、ウランやトリウムなどの原子核分裂の過程において高エネルギーを放出する「核原料物質」の取り扱いを厳しく細かに規制しています。それは、平和主義(戦争放棄)における戦力の放棄という憲法(原則)に則ったものですが、結果、法律は、原子力に関する技術革新が進めば(状況が悪くなれば)全く意味のない規制基準になってしまうので、科学技術の進歩に従って常に変化をさせていく必要がある脆い社会機能です。その変化を促す根源は憲法という基本原則を生み出した精神、つまり「戦争なんてしてはいけない」「人を殺してはいけない」という美徳に由来します。そして、平和状態が悪くなればなるほど、そのような内面的原理の方が必要とされるはずです。

法律は、状況によって変化を余儀なくされる脆い存在
憲法は、状況がどうであれ、正しいことを啓蒙し続けるだけの強い存在
美徳は、状況が悪くなればなるほど、例えば、軍事国家に戻ろうとする時にこそ、それを防ぐためにより効果を発揮する反脆い存在

ビジネス向きの好例として、我々がつくった「プリンの容器」という話があります。

容器にとっての「悪」は、中身が飛び出してしまうような「形状の変化」を指します。昔はガラスの瓶に入れられていたプリンですが、運搬の際に非常に脆い(割れ易い)状態だったはずです。そこで登場したのがプラスチック製の容器です。割れ難い技術革新による新たな容器は、形状変化を防ぐ強さを手に入れました。

しかし、強い容器になったところで、中身はもちろん商品価値は一切良くなりません。運良く割れるなどの形状変化(悪)が起こらなければ(良くても)そのままの(良くならない)状態、もしくは、運悪く形状変化(悪)が起こっても(悪くても)そのままの(良くならない)状態に過ぎないのです。

この例で反脆さを持つのは、森永製菓の「ウィダーinゼリー(現:inゼリー)」に代表されるラミチューブ容器です。これこそ、これまで悪とされてきた「容器の形状変化」を歓迎する状態、つまり、形状変化という悪が起これば起こる(押し潰せば潰す)ほど(悪ければ悪いほど)便利になる(良くなる)反脆い状態です。

また、タレブ氏は、間違いを嫌うのは脆い状態、間違いを単なる情報として扱うのは強い状態、(犯す間違いは小さいので)間違いを愛することこそが反脆い状態だと言及しています。彼の思想もまた、アジャイル組織を別の視点から推奨しています。

補足『Collective Genius(集合天才)』

ひとりひとりは凡人でも互いに協力し
各々の能力を活かす事ができれば良い
価値あるコトを世に送り出す時に
ひとりの天才の出現を待つ必要はない
Thomas Alva Edison
ひとりのカリスマのひらめきよりも
人々のコラボレーション
故に、まずはアイデアを支援する
社風を創造すべき
Linda Annette Hill

VUCAが益々加速する現在、アジャイル組織やティール組織といった新たな組織論の有用性が解かれていますが、それらにも共通するのが「集合天才」という思想だと思っています。

それは、かのトーマス・A・エジソンを発端に、二十一世紀を席巻中のGAFAなどの巨人たちが登場する以前の先駆者である「General Electric」で推奨されていた革新的イデアで、最新版は「Thinkers 50」にも選出されたリンダ・A・ヒル教授によって更新されています。

ここで求められる組織のあり方やリーダシップの理想は(そうであるに越したコトはないが)ビジョナリーであるコトはマストではなく、むしろ、必要最低限として『ソーシャル・アーキテクト(集団の雰囲気をつくる人)』であることでした。なぜなら、才能ある人々は誰かに付いていこうとは思わないので、一緒に未来を創り出したいという自発的な集合体を目指すべきだからです。

革新の源泉・組織成長の中心を現場へ移行し(逆ピラミッド型)、実践の中で日常的に起こるイノベーションの質と速度を向上する。リーダーとしての役割は『場を創り出す』コトで、一人のスター社員(天才)の出現にフォーカスするのではなく、大多数を占める才能ある凡人の「天才の片鱗」を解き放ち活かせる組織形成の為の雰囲気づくりを最優先すべきです。

これは「アジャイル組織の正体」とも言い換えることができる思想でありシステムです。「PDCA」ではなく「DCAP」というサイクル。机上の空論ばかりを長時間交わすのではなく、まずは実際に動いてみる「天才バカボン」であろうとすること。失敗できない規模の大きな企画ではなく、素早く小さく始めることが肝要です。

VUCA(変動や不安定・不確実性・複雑性・曖昧や不明確さ)な世界で『数を撃てば当たる』という戦略は、もはや悪ではありません。むしろ、リーダーはどうやって数を撃たせられるか?を考えなければならないタームにまで来ています。小さい規模ゆえに安価な予算で、ただし、社会に実装をして、その価値を問い、その反応をもって事実的に実践的に修正していくという、非常に民主的なシステムが求められているのではないでしょうか。

数を撃つのが下手な鉄砲撃ちなのではなく、数を撃たねば上手な狙撃手にはなれないのが世の常です。下手な鉄砲撃ちになるか、上手な狙撃手になるかは、組織が用意する実践練習環境が整っているかに懸かっています。

「DACP」の過程においては「失敗」と「成功」いずれも非常に重要な成果であり、貴重な情報源となります。成功は有益で失敗は無益というような考え方はあり得ません。「失敗を恐れない」や「失敗は成功の素」という言葉の真意はここにあります。だからこそ、失敗の際に誰も何も傷付けないという倫理や美徳やコンプライアンスが非常に重要視されています。このように失敗さえも歓迎できるシステムこそが「集合天才」であり「アジャイル組織」です。

そんな組織においてリーダーとして、最も重要な役割は、場の雰囲気を創り出すコト(空気感の醸成)。一人のスターの出現にフォーカスするのではなく、個々人の「天才の片鱗」を解き放ち活かす能力の有無が問われます

「1人のカリスマのひらめきよりも人々のコラボレーション。故に、まずは、アイデアを支援する社風を創造すべき」と言ったヒル氏は、実は「民族誌学(ETHNOGRAPHY)」の学者でもあります。その学問は「フィールドワークに基付いて人間社会の現象を質的に説明する表現」=ビッグデータでは分からないことを見出す “芸術的な視点(※)” を持つ必要性を説いており、具現化としては数的データではなく物語(文章)を目指します。これはデザイン・シンキングに通ずる部分です。

(※)日本人の国民性を表す際、身長や職業などのビッグデータを並べた統計学的な数量分析では本質には辿り着けない。だから、民族誌学的には、日本に長期間滞在し書き溜めた日記(例:東方見聞録)のような文章化=シックデータを重要視する。

イノベーションは、レア(他にはない/これまでにない)だからこそ初めてイノベーションたるので、そもそもビッグデータの取り用がないものです。そういった測定不可能な世界では、無意識に測定可能なものを重視する「定量化バイアス(数的データ重視)」から解放された「シック(濃密な)データによる根拠」に基付き、その是非を判断されるべき開かれた性質が重要視されます。ヒル氏は、世界中のイノベーティヴな組織の幾つか(民族誌学的にはそれで十分)で長時間のフィールドワークを行い、共通項などをエスノグラフィックな観点で「シックデータ(文章)」=「ドキュメンタリー」として編纂し、最新版の「集合天才(コレクティヴ・ジーニアス)」として発表しました。

我々が「2ndFunction」という社内のファントム組織を「コレクティヴ」として実施する根拠として、これ以上の「エビデンス」はありません。彼女から「このアメーバどころか幻のような無形組織は有用だ!」と信じる勇気を与えてもらいました。

そして、その勇気こそ、このマガジンを通して、皆さんと共有していきたいと願っています。

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【 n e x t 】
1−2「既に起こった未来」


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