金木犀は咲かないし蝉もいない。

そんな土地に私は住んでいる。
同じ東北の中でこんなに違いがあるなんて思っていなかった。そのことに気がついたのはこの土地に住んで3年くらい経った頃だった。
仕事の都合で住む場所を転々としている私には帰りたい、住みたい場所がある。
生まれ育った場所ではない。私は子供の頃から親の仕事の都合で転校が多かったため地元と呼べる地元はあまりないように感じる。

5年前、これも仕事の関係で1年半だけ住んだ土地がとても肌に合い呼吸がしやすいと思った。夏には街中に七夕飾りを飾るその土地が。

最初に裏切ったのは私の方だった。突然彼に「結婚するから」と告げ仕事を辞めた。
彼に初めて会った時、きっと私は好きになっていたんだと思う。彼のことが頭から離れず、彼のことを考えるとずっと鼓動が激しくなった。
それまで25年間そんな体験をしたことがなかったから、これはきっと恐怖心からくるものなんだと思っていた。彼はただの憧れの存在で、私のような存在に興味を示すようなことなどありえるはずがないと、なぜかそう確信的に思っていた。今思えば本当になぜそこまで確信があったのかはわからない。きっと私は自分の考えを過信しすぎていたのだと思う。
自分が周囲にとってどのような立ち位置にいるのか、どのくらいの影響力があるのかより客観的に見られるようになったのはここ1年位のことだ。30年も生きてきてようやく。そのせいでおそらくたくさんの人を傷つけてきたに違いない。いちばん私のそばにいてくれている夫ももれなく。

私が結婚を期に仕事を辞めてから1年位経った頃か、彼に子供が産まれて結婚したことを知った。彼に付き合っている人がいることすら知らなかった、私達はそのくらいの関係性だった。
仕事を辞めてからも、彼を含めた仲のいいメンバーで時々集まったりしていて、その時も一切付き合っている人の話など上がらなかったから、ひどくショックを受けたことを覚えている。当たり前にあり得た可能性なのに、自分のことは棚に上げて、ひどくショックを受けた自分に動揺してしまった。
無自覚的に自分ばかり美味しい思いができていると思っていたが、そうではなかったということに対するショックだったのかもしれない。

正直に話すと、私と彼はずっと不思議な関係で続いている。私が仕事を辞めてからずっと、今日に至るまでほぼ毎日連絡を取り合っている。ある時期にはほぼ毎日1時間以上電話をすることもあった。あの日から今日までに、彼にはもうひとり子供が産まれた。

誰かの犠牲の上に成り立つしあわせは、幸せじゃない。綺麗事でもそう思う私はここから先へと足を踏み入れることはできず、一生この寂しさと生きていくんだと思う。

何度も自分が楽になるために彼との連絡を断ち切ろうとした。でもその度に、連絡が取れないのは寂しいと言う彼がかわいそうで断ち切ることはできなかった。
そして今では連絡をするのをやめようとすら思わなくなった。

時はどんどん流れていく。私の気持ちが前に進めなくても。
気持ちを前や後ろに動かして、答えを出さなくてもいいのかもしれない。その気持はそのまま、置いておいてもいいだろうか。

金木犀の花は咲かずに、蝉は訪れず、あと少しで冬が始まる。

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