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バカリズムの脚本だとなんか観ちゃう

誕生日に腐れ縁の友達からもらったスタバの700円チケットを手に、どう使い切るかを店員さんと相談しながら注文したスタバラテ。ベンティサイズのクソデカサイズになった。「ショット」「ホワイトモカシロップ」「ブレべ」「キャラメルソース」という、苦いのが好きなの?それとも甘くしたい?チョコ?それともキャラメル?みたいな、めちゃくちゃ優柔不断で決めきれない結果邪道なヤツみたいなチョイス。・・・飲んだら超うまい。これメモとっこ。

この世のものとは到底思えないほど可愛くて仕方ない罪なマイプリンセスベイビーをこの世に生み落としてから、早5ヶ月が経とうとしている。もう新生児期も終了。首も座り、寝返りもお任せあれと言わんばかりにころころ(けど逆回転はなぜかしない)、抱っこして縦に着地させると足を伸ばし、立つように床に突っ張るようになった。「おとなみたいだねえ」と言うと、ケタケタ喜んでいる。
なんか話していること、理解しているような気がするんだよな。
いま観てるブラッシュアップライフじゃないけど、人生数回目なのかしら、うちの子。

そうすると、わりかし増えてくるのが自分の時間。旦那やジジババに預けて、どこかに出かけることも、新生児よりは気持ちが楽になってきた。
もしくは、マイプリンセスベイビー(罪なヤツ)を連れて、友達とランチにもでかけてみたり。外に一緒に行くことへのハードルも下がった。

なんだか少しずつ、あの子の母親ではない「自分」というもの、を思い出す作業をしている気がする。

産前は、わたしどういう服が好きだったっけ?
メイクとかどうしてた?まつ毛とかさ、眉毛とか
仕事ってどういうことをそもそもやりたかったんだっけ?
家族との時間の過ごし方は?
ともだちとはどんな話をするのが好きだっけ?

「こどもがいるから」難しいこともある。長い爪とか、数日に及ぶ旅行とか。
どうしても、誰かと会った時の会話の中心はこどもになる。それも自然なことだろう。変わっていくことはケセラセラ。それもそれだ。それは進化。そう捉える。
ただ、それ以外でも取り戻せる感覚はまだまだあるはずだ。
ブラッシュアップされたわたし。こども、という力を手にしたわたし。
大人になってから、シーズン3に突入なのだ。

残りの育休期間。およそ半年。
大切な限られたこの時間。とってもしあわせな時間になることはもわかっている。1歳までの成長著しい、なんとも言えない愛おしい時間を彼女と共に最高の思い出にすること。

そして、自分と向き合えるこの瞬間に、シーズン3の自分をどう生かすか考え、行動すること。世では「リスキング」なんて言うけど、学び直しってよりは、ちゃんと自分自身がこれからを「どう過ごしたいのか」「どうすればしあわせと感じる総量が増えるのか」を大真面目に考えたい。

きのう、ジジババをうちに呼んで、100日をとうに過ぎたお食い初めと初節句をした。そこでお義母さんが言っていた「母親にストレスのないことが結局はこどもにもいいことだから」という言葉。

きっとわたしがわたしらしく生きていることが、こどもにも伝わり、
そこで何かをかんじてくれたらいい。
わたしは、母親になっても自分自身を忘れたくない。
いつだってちゃんと新しいことに挑戦して、失敗したりうまくいったりして、一喜一憂する姿をこどもに見せていきたい。

なんだかめっちゃ「ブラッシュアップ」って言いたい人みたいな文章になっちゃったな。けど、事実昔から好きです。刷新していく。より良く磨いていく。
それがわたしの「味」だから。そんな自分をより良い人にしていきたい。

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