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銭湯と暮らし

日曜の朝、思いがけず早く目が覚めたので、とある銭湯へ行った。
行き先は西小山の「東京浴場」。昨年一度休業した銭湯が、装い新たに生まれ変わって、7月19日に晴れて再開業を迎えたのだ。

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東急目黒線の西小山駅を降り、2-3分ほど歩くと塔が現れ、その直下に浴場の玄関ののれんがかかっていた。
銭湯界隈ではちょっとしたホットニュースとなっていた感があり、そのオープン早々ということもあって、5時の開店朝イチには行列もできていたようだ。自分も少々身構えて向かったが、到着した6時過ぎにはおさまっており、純粋に再開を心待ちにしていた地元の方々が聞きつけて集っているような、井戸端のような雰囲気が広がっていた。
入浴券を買って、浴室へ向かう。木造りのロッカーや鏡面広告など、街の銭湯として生きてきた証と基本的な造りを引き継ぎつつ、樽による水風呂追加による温水と冷水を行き来する「交互浴」の導入、細かいところでは水の勢いが強くなるのを防ぐための蛇口へのフィルターなど、いまに合わせてアップデートしている感じが造り手の愛を感じられて、ととのわせて頂いた。特に樽、すばらしかった。ちょうど肩まで潜れるようにつくられていて、発明か……と。

湯上がりにはロビーがあり、絵本やマンガがずらりと並んでいた。そのいくつかに手を取っていると、向こうで交わされる銭湯ずき同士、地元の人々同士の会話が聴こえてくる。
あぁ、こういうのがすきだなぁ、と想った。
ひとりで湯を浴びているうちにも誰かの感触があったり、ふとちょっとした会話が生まれたり。ひとりとみんな、なかとそとの人がゆるやかに混じりあう場と時の流れ。
よい街の銭湯にはそれがあるから、通いたくなる。そして、これまでのような密な接し方が叶わなくなってひとりの時間が増えがち、けれどずっとひとりでもいられない、そんな昨今にこそ、すうっと身に染み入ってくる。

だから、銭湯のとなりで暮らすことにした。
暮らすといっても、シゴトや住居を変えるわけではない。家ともうひとつ、暮らせる場所を持つことにしたのだ。

ところは高円寺の「小杉湯」。先ほども触れた「交互浴」をはじめ居心地のよい銭湯で、比較的近くでもありかねてから度々足を運んでいたところに、今春、「小杉湯となり」という銭湯の暮らしを感じるためのスペースがオープンした。(写真奥)

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そしてそこが時世にあわせたいくつかの紆余曲折を経て、会員制の「銭湯つきセカンドハウス」的な場として稼働されることになり(このあたりはこちらを)、この度6月半ば、その会員となったのである。
ちょうど目まぐるしく変わる生活にちょっと行き止まり感やさびしさが募っていた頃、オープン間なしに当初の湯あがり処として営業し通っていた頃のとなりの風景が思い浮かんだ。
「おかえりなさい」と声をかけられながらのれんをくぐると、知っている顔とはじめて見る顔、ひとりでお酒を嗜む人とワイワイと近況話に花を咲かせている人、そんな穏やかなにいろんなものが交ざりあう場所があった。あそこに「ただいま」できたら、銭湯のあのゆるやかなつながりとともに呼吸をできたなら素敵だな、そう想って入会を決めた。

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それから早1ヶ月、自分はとなりで大体は気のぬけた暮らしをしている。
2階の畳で寝そべったり、窓越しの銭湯の音色に耳を澄ませたり本を読んだり文章を書いたりしていると、次第に日が暮れてきて、下の階からはなんだか賑やかな声が聴こえてくる。誘われるように降りてみると、時に地域の店や小杉湯つながりの方からのおすそわけが現れていてそちらを頂戴したり、時に他愛もない話が繰り広げられていてそれに聞き耳をたてたり、そんな感じで心地よく過ごさせて頂いている。写真はそのごく一例である。

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いずれはこの空気を創る側になんらかで携われればと思ってもいつつ、この心地よさをまだ身体が欲しがっているうちは、まずはゆるりと過ごしてみようと想う。施されたら施し返す!なんて大それたことまでできなくても、このとなりで取り入れた空気を、まわりまわってどこかへ送り出すことができたら、それでもいいかな、と。
まだまだ不安な世の中ではあるが、身体や衛生に気をつけるべき点には気を留めつつ、でもささかやなあたらしい暮らしを楽しんで過ごしていければと想う。もしもそのなかでいまこれを読んでいる方とも縁があれば、それはそれでまた望外の幸いです。よろしくお願い申し上げます!


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