言葉が見つからない時には

先日、常連の方を見舞いに有明まで行ってきた。その方からは3週間ほど前に直接LINEを貰い、病状の進行が思いのほか早く、もう余命がそんなに無いとの事だった。私は会えるかどうか分からなかったが、とにかく向かった。

3月の初旬頃、私は店であるイベントというか座談会を開いた。 “死を見つめることでより善く生きる”のようなテーマで、一般的にはかなりディープなテーマである為、日常的にそういった方々に関わっている友人にも手伝ってもらい、参加者8人程度で閉鎖的に行った。その中には冒頭の常連の方も含まれており、私は病気の事はもちろん知っていたが、色んな意味で怖さもある中で勇気を出してお誘いすると、快く参加して下さった。もちろんその時点では、私もその方もこんなに早く病状が進行するとは思っていなかったが。

その会の中で私はその方に、 “今回の病気の事があり、これまでと何か生き方は変わったか”と尋ねた。その方の答えは “特に何も変わらない。ダラダラする時はダラダラするし、相変わらず煩悩の塊ですよ”といったあっけらかんとしたものだった。それは紛れもなく真実の1つで、私はその言葉を聞いた時、普段から想像している事を含め、少し心が軽くなったのを昨日の事のように覚えている。現実には、余命があと僅かと言われようが映画やドラマのように生き方が劇的に変わる訳では無い。逆に言えば、何気ない時に人の価値観が劇的に変わる事もある、という事だろう。それは端的に言えば、人間こそが一番不確定な要素だからだ、と私は思う。私は、その方から上記の言葉を聞けただけで、会を開いた意義があったと感じている。

それともう1人、身近な所で似た状況にある人がいる。私の父だ。父は病院でほぼ寝たきりの状態になっており、現実的に退院が出来る見込みは無く、あとはその時期が来るのを待つ、という状況だ。ここ5年ほど、私は実家に帰る度に “今回で会うのはこれが最後になる”という覚悟を持って帰る。祖母の死の時もそうだったが、今回の父も私に “心の準備期間”を数年間与えてくれている。これは、子孝行であり、孫孝行だな、と私は楽観的に捉えている。

最期を迎える人に会う時、私はその人にかける言葉をほとんど持っていない事に気付く。ただ、全身で対峙し同じ時を過ごす、という以外に私に出来る事は無い。そんな時、励ましたり、心配したり、元気付けたりしようとするのは、いつも私では無く、あちら側だった。そして、実際に勇気付けられたりもした。

人間は死者ともコミュニケーションが取れる、と実感するようになったのはいつ頃からだろうか。少なくとも、所謂一般的に大人とされる年齢は遥かに過ぎた頃からだったように思う。またその頃から、現在自分が生きているのは、当たり前でも何でも無く、ただ幸運なだけに過ぎない、ともどこかで感じるようになった。父やその人や最期を迎えようとしている人と、私との間に何か違いがあるのだろうか。実は何も無い事に気付く。当人が今現在、どういう心境なのかは、私は当人では無いので分からないが、出来れば “死にたくない”と最後まで思っていて欲しいと願うし、私自身もまた最後までそう思える様に生きたい。彼らから身を呈して教わっているのはきっと、 “存在の全肯定”の様なことだと感じている。

“また来ます”と言って、私は病室を出た。

#生き方 #店主 #生死について


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