出だしがもっともらしくない

 先月、ある本の校正をいたしました。

 表紙に、すごく間抜けなことが書いてあります。そこだけ見ると、なさけない校正者のようです。しかし、内容に入ってみると、私はすごくまともな校正者だとわかるようになっています。

 私の特徴として「出だしがもっともらしくない」というものがあります。これが発達障害のどの特性に当てはまるものかはわからないのですが…(この文章自体も「出だしがもっともらしくない」?)

 数年前、ある、司法試験合格のための塾の塾長さんの弁護士さんの講演を聴きました。私は、質疑応答の最初にあたりました。私の質問の最初のほうは、意味不明だったと思いますが、最終的に私の言わんとすることが通じたときは(三権分立や地方自治の存在意義について聞きました)、講師の先生は「たいへんいい質問をいただきました。その通りです」とおっしゃいました。しかし、そこへ至るまでの私の説明は惨憺たるものでした。「講演会の質疑応答」という、途中でさえぎられないものだったので、最後まで聞いてもらえて、そこまで評価していただけたのでした。

 これは25歳の病気よりも前からそうですので、やはり(精神障害ではなく)発達障害に由来する私の特徴なのでしょう。修士論文のアイデアを指導教官に説明するとき、先生は私の話を聞きながら「おいおいだいじょうぶかよ」という感じで聞いておられましたが、私の話を聞き終わるころには「その腹ぺこくんが作った複体は、とてもよいものなのでしょうね。修士論文としては十分ですが」と言われました。

 要するに、私の話は、最後まで聞いてもらわないと、わからないのです!「出だしがもっともらしくない」からと言って、私の話を途中でさえぎられてしまうと、もう私は本領を発揮できません。

 ある、私を受け入れてもらえる場で「(腹ぺこさんは)こんなにおもしろいのにね。なにか、その才能は役に立たないの?」と言っていただけました。私は「受け入れてもらえたら、発揮できます。受け入れてもらえなかったら、まったく発揮できません」と申し上げました。私の才能はそのようになっています。さきほどの弁護士さんの法律の話でも、ある別の(そんなに有名でない)弁護士から「(その町には)腹ぺこさんがいるからだいじょうぶだあ~」とまで言われたことがありますが、そんなわけがありません。私に世論を動かす力はありません。

 これも25歳の大病前、あるお金持ちの子の家庭教師を頼まれたことがあります。1か月でクビになりました。私の話は、最低でも半年は聞いてもらわないと私の真価は発揮できないのですが、世の中はとにかく短気です…。

 というわけで、私は出だしがもっともらしくなく、受け入れてもらえないとまったく発揮できません。困ったものです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?