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中編小説「青臭いフェイクと味気ない真実」8

何気ない日常や青春にSNSや過去の記憶が浸透し、青臭さが暗く肥大化したとき、惨劇が起きる。そして登場人物の真価が試される。「今を生きる人々誰もが無関係ではいられないテーマ」の小説!第八弾!


前回までのあらすじ;大学生の「俺」と友人トオルは、ある場所を目指し、長い東京散歩をするが、やがてトオルの裏の面を見て彼を見下ようになる。そして「俺」は久しく会っていないミキやヒカリの事をしょっちゅう思い出し、前者を軽薄な存在、後者を何でも言い合える人と決めつけている。

散歩も終盤、「俺」はミキが楽器を再開した話をトオルから聞く。そしてトオルと別れ一人歩くところにヒカリから電話が来る。昔計画して立ち消えた旅行をまた計画して実行したいという話。そしてユウタからも電話が来て、ヒカリと会っていたこと、そして色々な人を見下した事への反省を彼は口にした。ユウタの言葉にどことなく違和感を覚える「俺」だったが……

  巨大な影が、俺の周りの全てを覆いつくす。いきなり雨雲が来たかのように、辺りが暗くなる。ニコライ堂の背後に、大きな黒い怪獣が立っている。いや、正確に言えば、真っ黒なパーカーを着てフードを被った、巨大なヒカリが立っている。フードの中の顔はじっとこちらを見つめた後、用心深げに辺りを見渡し、そのまま真っすぐ一点を見つめたまま静止した。


 ヒカリが静止したまま三日が過ぎた。騒ぎが起き、少し離れたところで人だかりができ、やがて全員、遠く離れたところへ避難した。ヒカリはゆっくりと活動を再開した。もう一度、用心深く首を回し、周囲を見渡す。少し安堵した表情。三日前と同じように一点を、今度は鋭く睨み、口を大きく開けた。赤白く光る熱線が口から出て、街を破壊し尽くした。太陽より眩しい。思わず目をつむる。顔を腕で覆い、膝を地面に付けてしゃがみ込む。しばらく経って、辺りが静かなことに気付いて恐る恐る目を開ける。何も変わらず、傷一つ付かず、歴史と威厳を見せて立っているニコライ堂。少し離れたところに、大きな黒い背中。ゆっくりと去っていくヒカリ。


俺は振り向く。根こそぎにされ、削り取られた大地が果てなく続いている。茶色の大地と青空が、地平線で交わる。向き直れば教会。俺は全てのわだかまりが無くなって、すっきりする。比べ合うことも、空気を読み合うことも、他人を下げることも一旦忘れてしまった人たちが、再び大地に戻ってくる。畑、村、街。再び血管が通るように、活気が戻る。日々生きて生活して、かつて他人と比べ合ったりしたことを思い出さない人たち。

頭の中の映写機が止まる。モヤモヤしたことを吹き飛ばして欲しかった。
後ろを振り向くと、もちろん街はそのままある。大小様々なビル、整然とした道路がどこまでも続いていく。紫色の空。遠くのビル群は黒い点のようだ。日が暮れる中、夜に溶け込む準備をしているかのよう。
上着のポケットの中で鈍い振動。ヒカリからの着信。


「もしもし」
「リク」
「悪い。まだ返事してなかったな。参加の方向で考えてるけど」
「ごめん。急用ができた。呑みはまた今度にしよう」
 一瞬の沈黙。冷たい風が耳に当たる。
「リク。最近、ミキと会ったり、連絡したりした?」
「してないし会ってもないけど」
「そっか、分かった」


 電話が切れる。
 黒い布が被さるように、少しずつ街が夜に沈んでいく。紫と藍色の中間のような空。速足でニコライ堂の敷地を出る。携帯が鳴り、道端で立ち止まる。今度はユウタからだ。


「リク。ミキのこと、ヒカリから聞いたか? ミキと連絡が取れないって話。それでさ、SNS今確認したらさ、今日に限って更新されてないんだよ。今まで毎日してたのに。とりあえずリクさ、大学に……」
「ちょっと待って」


 電話は切らずに、SNSを見る。赤い丸が出ているお知らせを、半ば無意識に押す。知らない名前からの、投稿へのコメント。数日前のものだ。普段は誰も反応しない。長い書評記事へのコメント。軽く流すつもりで表示ボタンを押す。記事本文よりも何倍も長い、改行の無いびっしりのコメント。名前はアルファベットと数字の羅列で、プロフィール写真も設定されてなくてただの灰色だけど、これが誰かは分かる。この文体は前にも見た。


「ミキ……」


 おい、大丈夫かリク。もしもし? 耳から携帯を離してても聞こえるユウタの大声。携帯を耳に当て、ああ、悪いと言いながら、宛てもなく速足で歩いた。緩やかにカーブする、緩やかな坂を下っていく。片側二車線ずつで、人の両目のような白と赤が無数に行きかう。規律正しく並ぶビルの半分は闇に溶け込み、もう半分は四角いデキモノをボツボツ光らせ、難破船みたいに存在をアピールしている。闇に溶けるビルは眠っているようで心地よさそう。明かりが灯るビルは働く人間に更に働かされて可哀そう。ビルだって本当は沈黙したいはずだ。俺達だって。


ミキから書評へのコメントが付いたのは何日か前だけど、いつから連絡が取れない状態だったんだろう。冷たい風が吹いて、風が行く先に、深くて広い夜の海を思い浮かべる。海はきっと眠ってる。波は静かないびき。でもそれが本当の海の言葉。ミキも昔のミキに戻りながら、沈黙から豊かに言葉をすくい出して、俺に送ってくれたんじゃないのか。喋ろうと思って喋るだけが自分を表す訳じゃないよ。喋れば喋るほど自分を見失うこともある。


 だけどミキは今、自分で沈黙を選んだのだろうか。いや、選んでないにしても、自分の沈黙を、意識しているだろうか。石は自分の沈黙を意識しないだろう。手すりもそうだ。階段もそうだ。坂もそうだ。本もそうだ。屋根もそうだ。橋もそうだ。息してない人間もそうだ。そうだ。そうだ。勝手に気持ちを溶け込ませてた真っ暗なビルが、夜空に浮かぶ得体の知れないものに見えて来て、冷たい夜風が鳥肌を立たせる。そしてこれまで無かった気持ちが、胸の中でにゅっと現れた。
 ミキの声を、聞きたい。(続く)

 

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