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東京オリンピックという”問題解決プログラム”が僕らと未来にもたらすもの

人の挑戦を愛する人間、SHUZOです!
今回は色々な意味で注目を集めている 2020東京オリンピック について、勇気を出して僕の考えを書いてみます。

もしかしたら僕の勉強不足により間違った情報を発信している可能性も0ではありません。その場合は、どうか愛のある指摘をお願いします。

ただ、最初に伝えたい事として、この記事が誰かを攻撃したり、意図的に不快な思いをさせて、何か他の目的を達成しようとする事(いわゆる炎上マーケティングの類)を目的にしている訳では無いことは断言します。

例えば、僕および僕と関係の近い人にスポーツ関連または行政の仕事をしている人はいません※し、もちろんその関連のスポンサーもいません。僕がこの記事を書くことで、僕が直接的になにかしらの利益を得ることはありません。

あくまで、僕個人の自発的な、言い換えれば自己満足でやっている事です。その点では特定のバイアス(思惑)なしに、一人の人間の客観的な意見として受け取ってもらえると幸いです。

※僕の職業/肩書が「プロ・コーチ」となっていますが、皆さんが知っているスポーツのコーチではなく、「ライフ・コーチ」という、人さまの生き方、もしくは働き方にまつわる支援を行う仕事をしています。

なお、誰かの考えに対して根拠なく否定をしたり、自分の感情をぶつけることを目的に反論することは、トータルで良い結果を生むとは考えていませんので、その事に合意いただける方のみ、以下の記事を読み進めてくださいますようお願いします。

オリンピックもまた完璧ではない|あえて光に目を向ける

東京オリンピックの開幕まであと2ヶ月を切った今、連日のように関連ニュースが流れている。大手メディアでも開催の是非について様々な人々の声を交えて紹介している。

思えば今回のオリンピックは、招致が決まった時から色々と影の部分が顕になって来ていて、それでなくても反対意見を持つ人が元々いるが故に、悪い意味でも注目を集める”平和の祭典”になってしまった。

実際、僕自身もオリンピックが非の打ち所が無い素晴らしいイベントであるとは思って無いし、十分に多くのモノがある東京にいくつも新しい会場を建設することにも懐疑的な意見を持っていた。SDGsが注目される昨今、大規模にヒト・モノ・カネを投入するオリンピックは少し時代遅れ、もしくは途上国向けの「経済/文化のブースター」と捉えていた。

そのため、ボランティアの募集にもエントリーしなかったし(正確には任務を全うできない可能性があり断念した)、観戦チケットの獲得も早々に諦めた。そうしてオリンピックの当事者から外れた僕は、開催地に暮らす事以外は、他のオリンピックと同じく、いち視聴者になるつもりだった。

ただ、その認識が変わった。影の部分ばかりを見ていた僕自身に変化があった事もあり、徐々に光の部分も見るようになっていった。

また、それをさらに加速させる出来事として、Twitterで「#オリンピック開催中止を求めます」というワードがトレンド入りしたり、水泳の池江璃花子選手への出場辞退を求めるメッセージが波紋を呼んだりと、人々の意見/行動が感情的になってきているように思えた点がある。さすがに影の部分が増幅され過ぎてはいないか?と。

確かに、オリンピックは利権渦巻くビッグイベントの側面もあると見てるし、招致以降のプロセスにも疑問を感じる点はある。また、これまでの政府/行政のコロナ対策に大いに課題/不満がある事も理解できる。それでも、選手には決して非はないし、日本に来ることを楽しみにしていた海外の観光客にも罪はない。彼らも僕らと同様にこの事態に翻弄された人なのだ。

オリンピックにおける影の部分が、権力者や大手企業の利害関係、また環境への負荷であるならば、光の部分は、市民レベルでの世界の人々のつながりではなかろうか?人種や国家の分断が目立つ昨今において、むしろこの重要性は増しているとは考えられないだろうか?

例えば、台湾は東日本大震災の際にも真っ先に援助を申し出てくれた親日国である事は周知の事実であるし、しかもそれが国家レベルではなく市民レベルの自発的な行動だったのだが、それもこの「つながり」がもたらした事だと言える。

「つながり」というのは、行動の積み重ねによってできるもので、台湾の例でいうと、戦中戦後の統治および支援活動がそれにあたる。中でも統治時代の日本人技術者による農地開発の功績は、多くの台湾の人々に影響を与えた出来事とされている。

台湾のケースは長い年月によって築かれた特別なものかも知れないが、オリンピックという括りでも、諸外国とのつながりは生まれている。長年、国際協力を行っているJICAでもその活動の様子と外国でのプラスの影響が発信されている。

自然災害や国際政治的リスクが少なくない日本が、今後ピンチになった時に助けてくれる「つながり」を大切にしたり増やしていく事は、最大の安心材料になるのではないだろうか。

コロナ渦で不安がある中、オリンピックの影の部分に関する情報が多くなることでさらに不安が大きくなるのは、人間の心理として自然な反応なのかも知れない。それでもあえて光の部分にも目を向けてみて、もう一度フラットにオリンピックについて考えてみること自体は価値があるのではと思う。

今の日本に必要な「ほうれんそう」|国家を超えた人のつながり

もちろん、多くの人の命を危険に晒してまで、前項で触れたような副次的な光の側面を追求する必要はないが、国際社会の一員として正しくあること、あろうとする取り組みはやった方が良いと思う。

少なくとも開催国として自ら手を挙げた者として、海外の関係者や楽しみにしている人たちに納得のいく説明と然るべき行動を起こす必要がある。そしてそれは国/行政だけではなくて、僕ら国民/市民も当事者として参加していくことで、その説得力はさらに上がることは想像に難しくない。

この事は、プロテニスプレーヤーの大坂なおみ選手がコメントした「議論をしていく必要がある。」というものにも表れているし、同時にこれが海外の方から見た、今の日本に対するとても率直な意見のように思う。

つまり、僕らは十分に考え抜いているのか、当事者として行動に移せているのか?困難な状況ではあるけど、それでも最後まで「どうしたらできるのか?」という事に目を向けて取り組めているのか?
というメッセージにも僕には感じ取れる。

これは、最後まで諦めないスポーツ選手ならではの視点とも言えるが、それ以前に人として当たり前の感覚でもある。できない理由を並べて「僕(たち)は悪くない」と自分の正当性を言い放つ人より、大変な状況の中でも諦めずに行動している人を応援したいと思うのが人の心だろう。

それに、例え同じ結果になろうとも、そういったプロセスが見えるのと見えないのとでは、その後の関係に大きな差が生まれると思う。いわば、今の日本の姿は、仕事の現場で言われる「ほうれんそう」のうち、「報告」しかできていないのかも知れない。もっと現状を共有して、場合によっては相談や助けを求めても良いと思う。

今、国/行政はコロナ対策で手一杯に見えるし、既に色々と国民にお願いをしている立場だから、さらなる協力を求めたり、上記のような旗振りをする余力は無いのかも知れない。

であれば、僕ら国民/市民が主導してそういった取り組みをやっても良いのではないか。僕ら日本人はまじめだから、開催国として責任を持って取り組まなければならないと思っているけど、この責任というのは、決して「国/行政だけ」でもないし、もっと言えば「日本だけで」何とかするという事でもないと思う。

もし、開催都市契約の条項とか、IOCとの取り決めの内容が今のイレギュラーな状況に合わないのであれば、市民レベルでその穴を埋められないか、挑戦する価値は多いにあるのでは。
逆に、オリンピックに市民発の協力が入る余地が無いのであれば、オリンピックの精神(憲章)に矛盾するし、もはやそれでは影の塊になってしまうとさえ思う。

東京オリンピックという”問題解決プログラム”|先人たちが成し遂げたこと

このように、もはや今回の東京オリンピックは、お祝い的なイベントではなく、割とハードな問題解決プログラムになっているとも言える。ただ、オリンピックが大きな課題とセットなのは今回が初めてではない。

1964年の東京オリンピックでは、戦後の焼け野原から立ち上がった日本が初めて主催する国際イベントとなり、色々と足りない状況での開催だった。
その結果、多くの競技場(旧国立競技場、代々木体育館、日本武道館、駒沢公園など)や交通網(首都高、新幹線など)、宿泊施設(ホテルオークラ)など、最新インフラの普及が一気に進んだ。

また、インフラ以外の無形のシステムも発明され、今日の生活にまで影響を与えているものがある。「セントラル・キッチンシステムと冷凍食品」は、今の食産業の中核を成す仕組みと言っても良い。

海外から来訪する外国人選手や関係者への食事を大量かつ迅速に用意する必要があったが、一般市場の食材流通量への影響=価格上昇や調理の効率などが課題になっていた。この課題を解決する方法として、民間企業のニチレイの協力のもと、当時まだ一般的ではなかった「冷凍食品」の技術を進化させたことでピンチを脱した。

冷凍食品/技術は現在の飲食業、一般家庭での食生活にも大きく影響を与え、その後の女性の社会進出にも貢献してきたかも知れない。まさに今の開催都市の首長が女性であり、施設建設の騒動の際もオリンピックの「レガシー」を主張していた点とも何か繋がりを感じる。

もちろん、一般市民の協力も多分にあっただろう。上記のインフラ整備のために、あちこちで騒音や通行止めなど、様々な我慢を強いられたと思われる。
さらに、1964年は天候不順により、深刻な水不足にもなっていた。最大50%の取水制限や救急以外の医療を制限するなど、当時の人々も、生活を節制していた記録が残っている。

このように、官民、市民がオリンピック成功のために、協力していたように見える。しかも、彼らは今のようにインターネットもスマホもなければ、注文した物が数時間で届くというような高度な物流も無い状況で、これらを実現したという事実は、今の僕らには無い何かが、当時の彼らにはあった事の表れであるとも思う。

僕らと未来にもたらすもの|大切なものは目に見えにくい

カタチある物はいつか朽ちてしまうけど、朽ちることがない、もしくは有効期限がとても長いレガシーがもう1つあると思う。それは人々の共通の成功体験という記憶と、それに基づく自信ではないだろうか。

1964年の東京オリンピックの後の日本の発展と躍進は、もはや語る必要の無いものである。その原動力の一部に、この「オリンピック開催成功」という多くの人々の共通の成功体験があるのではないか。少なくとも極東の敗戦国という劣等感の代わりに、先進国へと一歩近付いたという自信が生まれ、共有されたのではなかろうか。

当然、光に影は付き物で、その後の発展を含めた成功体験が逆に今の停滞の一因にもなっている側面もあるかも知れない。何事も増やす事を前提としているところや、大きな組織でトップダウン的に物事を進めようとするところ、完璧主義なところとか、マンパワーを過信してITが苦手なところとか。

一方で、平成以降の時代を長く生きる僕らの世代は、バブル崩壊後の経済縮小・鈍化のトレンドを経験してきていて、主だった共通の成功体験は無いような状態だ。

代わりに、インターネットをはじめとした各種テクノロジーと距離が近く、海外の情報・人との距離感も近いためか、ある特定の分野にとても強かったりと個性豊かになっていると思う。故に上から一律に指示される事に違和感を持っているとも考えられる。

そんな価値観の多様化または顕在化の時代だからこそ、「共通の成功体験」の作り方も、アップデートした方が良いのかも知れない。一方的に指示するのではなく、アイディアを出しながら一緒に作っていくというのがFitするように思う。しかも、国や文化を超えたオープンな方法で。

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そうやって、オリンピックという世界規模のコンテンツを通じて、今の僕らが持っている強みで人々が繋がり、困難な中でもできる限りの事をやり遂げることができたら、その後の何かが変わっていくのではないだろうか。今後を生きる人々にもたらすものがあるのではなかろうか。

世の中には、二度と取り戻せないものが3つある。

・過ぎ去った日々
・発せられた言葉
・失われた機会

僕らは失っていく日本を長く見てきた。僕ら個人はあまり強力なパワーは持ってないかも知れないけど、これ以上失うのは見たくないし、傍観者でいたくない。

今、僕らや若い人たちは、入学、卒業、就職というライフイベントだったり、友達や家族との思い出作りは思うようにはできないけど、代わりにオリンピック開催国の市民として問題解決プログラムに参加するという、世界レベルでもレアな”機会”の中にいるとも言える。

1964年には無かったテクノロジーや個性がある僕らなら、この困難を乗り越える事ができると思うし、いかなる結果になろうとも、挑戦することの意味はあると思う。

少なくとも、僕はこの先、今回の東京オリンピックの事を思い出したり、誰かに話す時に「とても残念な大会だった」と他人事のように扱って終わらせるのではなく、「困難が多かったけど、それでもできる範囲のことはやろうとしたし、良い経験になった」と言いたい。
 もっと言うと「今の○○が生まれるきっかけになったんだ」と、当事者として語れるようになれたら最高だ。その方が自分が後悔しないし、カッコいいと思う。

その第一歩を、こうやって上手くない文章で書いてるし、さらに「どうすれば安全に開催できるか」の具体的な提案をしようと考えている。それはまた別記事で書くとして、まずは今の考えを表明してみた。


ということで今回は、東京オリンピックついて僕の考えをまとめてみました。
もし、僕と同じ考えを持っていたり、共感できるところがあるならば、何かアクションを起こしていただけると幸いです。誰かと東京オリンピックについて話すでも良いですし、この記事をシェアしてもらえたら嬉しい限りです。

それでは最後まで読んでくださりありがとうございました。皆さんの挑戦に幸あれ!

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