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元教授の Apple コンピューター歴(その1、Apple前):定年退職9日目

コンピューター歴といっても大それたものではありませんが、コンピューターの発展とともに自分自身も成長してきたなと感じています。年寄りの昔話として、軽い気持ちで読んでいただけるとうれしいです。


私が初めてコンピューター(いわゆる計算機に毛が生えた程度ですが)に出会ったのは、大学の学部3回生の頃でした。それまで四則計算ができるものこそありましたが、関数が使える計算機が大学生協で売られるようになり、私たちは大喜びで購入しました。主に学生実験の結果を整理するのに使っていましたが、当時は先輩達は持っておらず、ちょっとした自慢でした。


大学4回生に進み、研究室に配属されました。そこで見つけたのは、驚くべきことに手回し式の計算機でした(さすがに使ってはいないようでしたが)。研究室では(合成系だったこともあり)、まだコンピューターは導入されておらず、論文を書く際は手書きでしたし、完成すると秘書さんにお願いしてタイプライターで打ってもらっていました。大学院に進んだ頃には、IBM製の自動タイプライターに変わりましたが、自動と言っても打鍵部分が電動になっただけでワープロではなく、一文字でも間違えるとそのページは全て打ち直し(涙)でした。


ちなみに学部時代、本格的にコンピューターを使うときは、大学の端にあった全学の計算機センターに行き FORTRAN というソフトで(BASIC が出る前)、穴あきカードにデータを打ち込んで計算をしてもらっていました。朝早く行かないと席が埋まってしまうので、急いでいる人は皆センターの開館前に並んでいました。私も先輩の代わりに並ばされた覚えがあります(私が最も好きな作家の森博嗣さんの作品の中で、特に愛している小説「喜嶋先生の静かな世界」にもほぼ同じ状況が描かれているのを見つけて、とても嬉しくなりました)。


そんな研究室のある日、コンピューター好きの後輩が現れ(シンディー・ローパーも初めて教えてもらいました)、大学のお茶部屋に持ちこんだ NEC の PC-8001を夜中に触らせてもらいました。驚いたことに、ただの計算だけでなくプログラムまで作れるのです(と言ってもブロック崩し程度のゲームくらいでしたが)。HDDはすごく容量が小さかったので、(それはワープロとしても使えたのですが)確かソフトはカセットテープに入っていて、一文字打つたびにテープが動いて漢字変換されていきました。今振り返ってみると、ちょっと幼稚な感じ(失礼)もありましたが、それまでのIBMタイプライターでは英語しか打てませんでしたので、私にとっては神様のような存在でした。


そして私も博士課程の学生になり、博士論文をまとめる時期がやってきました。その頃にはやっと研究室にもコンピューターが導入され、日本語と英語のワープロソフトも買ってもらいました。先輩方には申し訳ないですが、私の世代からこれらが使用可能になりました。当時の記録媒体は、プラスチック円盤の入った5インチの大きな磁気フロッピー(いわゆるプラスチックケースのものでなく)でした。


当時の研究室には、クーラーのついた部屋が一部屋しかありませんでした(ある装置を一定条件に保つために設置されていた)。コンピューターはその部屋に置かれていたので、装置のためのその部屋で私も快適に、夏休みの間、コンピューターで博士論文を作成することができました。


その後幸いにも別の大学で職を得ることができ、当時全盛期だったNECの98シリーズを買いました。初めてのボーナスが出た週末、秋葉原に行き喜んで購入しました(その日はその後、隣駅の御徒町でゴルフセットも買って、一日で初ボーナスを使い切りましたwww)。


まだまだ、Appleまで辿り着けるのはこの数年後になります。Appleマニアの方は、次回をお楽しみに!

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