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【歌】時を経て… 〜或る二度惚れの記〜

ときをへて
きよらましますくわんおんの
かくれがにこそまよいいりつれ
   

◇・・*・◇・*・・◇

一目惚れの相手に再会した。

再会の場は、東京国立博物館。
会期終了間際の「聖林寺十一面観音〜三輪山信仰のみほとけ」展に駆け込んだのだ。

◇・・*・◇・*・・◇

さて、ここにひとつの黒歴史を告白する。
冒頭の一首は、その昔、私が初めて人目に晒すことになった歌。
…実は、ほぼ初めて詠んだ歌だった。
そんな無謀な行いをさせたのは、本日再会した奈良のお寺の観音さまである。

春先に修学旅行で訪れた聖林寺で、国宝・十一面観音に出会った。
生徒たちを詰め込んだ何台もの大型バスが不似合いに思える田圃道。すぐそこに山を望む、長閑な風景の中に、こじんまりと、聖林寺の門はあった。
その長閑さと、そこに隠されていた仏像の迫ってくる美しさの、ギャップに圧倒された。

修学旅行前に、日本史の教師から廃仏毀釈について教わった。
国の都合に翻弄された可哀想な仏像たち。その時はそう思っていた。
でも十一面観音を目の当たりにして、そんなイメージは吹き飛んだ。

金箔の残る正面には威厳が漂い。横顔を見上げると、口元に微かな笑みが浮かぶ。
金色が失われて漆が覗く腕や指先には、優しさが匂う。

観音が意志を持っている、と感じた。
時の流れと人々の信仰を浴びて、金一色からさらに複雑な美しさに進化する。そこに観音の意志があり、この先もさらに美しさを増すための隠れ家として、観音自身が聖林寺を選び、移ることを望んだのだ、と。

奈良と京都を巡る旅で、たくさんの美しい風景を見て、美しい仏像に出会った。忘れられない仏像は他にもある。でも歌を詠んだのはこの十一面観音だけだ。
宿題で出された旅の感想文に、真っ先に聖林寺と観音のことを書いた。
所定の字数に数行足りなかったため、深く考えずに、推敲もしていないこの歌を添えた。

約1年後。年度初めの旅の作文は、毎春我が校の国語教師達が大変な情熱を傾けて編集刊行する、学校文集に掲載された。
この一首のために、校内で「歌人」と揶揄される羽目になると知っていたら…嗚呼。
もしこの観音と出会わなければ、私は〈歌+文〉という表現をすることなく大人になっていたかもしれない。

◇・・*・◇・*・・◇

さて、トーハクに話題を戻す。
「いつかまた行きたい」と願い続けていた聖林寺から、お出ましになった観音さま。期せずして叶った再会。

相変わらず、お美しかった。
しかし、聖林寺の観音というより、三輪山大御輪寺の観音さま、としてのご出座。
特注ガラスケースに収まって、ライトを浴びて。三輪山の風景写真と、大神神社の三ツ鳥居を背負ったお姿は、記憶の中以上に神々しく。
かつて以上に圧倒された。そして、初恋の人が遠くに行ってしまったような、胸の痛みを覚えた。

何遍もケースの周りをぐるぐると歩いて、その姿を目に焼き付ける。
かつて目を奪われた指先や、二の腕のラインを目で辿る。眼差しを、笑みを追う。そんな自分をストーカーみたいだな、と小さく嗤う。
コロナが治らなければ、もう2度と逢えないかもしれない。そんな想いがよぎって、なおさら去りがたくなる。
と、同時に、強く思う。
「三度惚れをしに、奈良に行かなくては」

去り際、展示室出口に設置された「聖林寺改修工事のための募金箱」にそっと手を触れて。いつか、さらに進化した美しいお姿を奈良の地で拝めますように…と願掛けをして来たのでした。

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