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以心伝心

身の回りの介助を要する義母は認知症で、一日のうちでも気分が上がったり下がったりする。
ご機嫌がよろしくない時は「イヤッ」「キライッ」とこちらの介助を拒否。
心の中で(ハイハイ、お嬢様~)と言いながら執事になりきる私。

ある日、「銀行に行ってからスーパーで買い物しようね」と車椅子を押して玄関まで出たところで、義母が、

「馬車は来ないの?」

心の声を漏らしたつもりはないのに、お嬢様になりきる義母。

というか、これまで一度でも馬車に乗ってお買い物に出かけたことはあるんか~ぃ!?

私たち夫婦は子供がない。一度は妊娠したけれど死産だった。
私はその一度の経験に打ちのめされ、次に妊娠することが怖かった。
また同じことになるかもしれないなら妊娠はしたくなかった。
亡くなった子供は、自然淘汰されてしまったのだと自分を納得させた以上、不妊治療を受けるのは自然の摂理に反する、と都合のいい理由を自分に与えた。

ただ、処置を受けたのは、義母が以前勤めていた産婦人科医院だったので、そのまま通い続けるように言われるだろうと思い、正直に話さなかった。

ある日、近所の人が、不妊治療で有名な病院を教えに来てくれた。
だが義母は「もし、通ってもできなかったら、ムッちゃんが傷つくやろ?そんなんかわいそうやから私は行かさへん。」と答えていた。

そして私に「子供はおってもおらんでも、どっちでもええ。あんたが元気やったらそれでええ。」と言った。

私は救われた。すごく楽になった。

義母には何でもお見通しなのだ。
それははじめから、今でも。






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