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たまごに愛された男

誰もいないキッチンから、「ぱさっ」という音がした。
あぁ、またか。
想像したくないけど、きっとアレに違いない。
渋々、音のしたほうへと歩いていくと、悪い予感は当たっていた。

ふきん掛け(吸盤式)の落下。

ゆうべ洗ったばかりのふきんが、シンクで水を吸ってへたっていた。

落ちたふきん掛けとふきんを手に取り、なんか言ってやりたい気持ちになる。

ものにも心があるならば、言霊的にはけっして言ってはならない言葉だが、もろくもブチ切れた私の堪忍袋は収まりがつかず、捨て台詞のようなクレームを、吸盤に向かい声に出して言っていた。

「もう、吸盤なんか絶対に信じない。二度と使わない」

その日から、全吸盤を敵に回したと思う。

汚れたふきんは洗い、別の場所に干した。

仕事から帰った夫に、落ちたふきん掛けを見せ、もう吸盤式のはやめよう、すぐ落ちるし、と訴えると、

「そうは言っても2年ぐらいもったじゃない。拭けばまたくっつくようになるよ」
と、夫はどこまでも吸盤擁護派だった。

落ちた吸盤部分をきれいに洗って乾かし、壁を拭いて、吸盤の可能性を気長に信じ続ける夫は、またふきん掛けを元のように壁にくっつけた。

きっと、私がつけてもすぐ落ちるだろうけど、
夫がつけたなら、しばらくもつのかもしれない。

ふきん掛けとの攻防は、ひとまず様子見ということになった。

***


ものとの相性とは。

夫を見ていると、たまにそんなことを考えさせられる。

たとえば夫は私が知るひとのなかで、最高の卵使いだ。

時間なんて計らない、火加減もテキトウ、なのに絶妙なとろみ加減のゆで卵を毎回作ることが出来る。
だし巻き卵もふわふわに焼けるし、目玉焼きもちょうどいい固さ。見た目にも美しく仕上げてくる。
普段料理はしないのに、卵の扱いがすごく上手い。

卵を愛し、卵に愛された男。

「玉子王子(たまごおうじ)」と名付けて、わが家の卵料理を担ってもらっている。

私はと言えば、「ゆで卵をおいしく作るコツ」などの裏技をネットで検索し、その通りの時間や火加減で作ったとしても、妙に固かったり、殻がうまくむけなくていびつな仕上がりになったりする。
卵焼きにおいては、きれいに焼けたためしがなく、作る前からクオリティを放棄している情けなさ。

私は卵料理が大好きで、愛しているつもりなのに、どうやら卵からは愛されていないようだ。

夫のような、気長に丁寧にものを扱える種族のひとを卵は好きなのかもしれない。

吸盤式のふきん掛けが落ちたからといって、ブチ切れて決別宣言などしない、ものへの愛情のあるひとを。


身の回りに、卵料理が得意なひとはいるだろうか。

そのひとは、大らかで丁寧ではないだろうか。

この仮説、気長に検証してみたい。





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