「言ってくれてありがとう」
僕はその言葉に感動したし.自分もそういう感覚を持たないといけないなと感じました。
これは我が家の小学2年生の次男に.食事中のマナーに関して僕が注意した時に返してきた言葉です。
何かを指摘された時に、その現在の状況でしか物事を考えなければ「ありがとう」なんて言葉は出てこないはずです。
今ここで指摘されなければ出先で、或いは学校で同じことをしてしまい.周りからマナーが悪いと思われてしまうところだった、という指摘されなかった場合の未来の状況が思い浮かぶからこそ出てくる言葉だと思います。
僕自身が子供だった頃、親からなにか指摘されたとしても「いちいちうるさいな」とか思いながら「はーい」とだけ返事していたし、うるさいから親が見てる前では言われた通りにしとくか.くらいにしか考えていませんでした。
そして自分自身がそうであったように子供なんてのはそういうもんだとも思っていました。
しかしそれは、相手から学ぶべきものがあるか、そして学ぼうとしているかという話なのかなと感じました。
つまり子供の頃の僕にとって.親は行動規範を学ぶ対象ではなかったという事です。
そして僕が規範としていたのは、僕と同じ子供.つまり学校の友達や少し年上の男の子たちだったのです。
それは僕が「子供」で「男の子」だったからです。
人は自分と同じ特徴を持つ人から立ち居振舞いなどを学ぶと考えられます。
だから僕は「大人」で「異性」の母親という存在の話しを参考にはしないし.学ぼうともしなかったのではないかと思います。
でもそれは自分の中のカテゴリーのサイズによるんじゃないかと考えられます。
つまり自分自身を「人間」という大きな括りで考えていれば、同じ「人間」のいう言葉は全て学ぶべき事になるんじゃないかと思います。
少なくともうちの次男にとって「大人」と「子供」という分類は存在していなくて、相手が大人であっても自分にとっての学ぶ対象であったという事なのかも知れません。
自分自身が大人になってからの事を考えても、やはり無意識の内に自分の中でのカテゴリー分けをした中の.自分と近しい人からしか学ぼうとしていなかったかも知れないなと感じました。
次男のあの時言った感謝の一言で、僕自身も自分とは立場や価値観、考え方などの違った人からの言葉に「言ってくれてありがとう」と伝え、そして学ぶチャンスにしていける人になりたいなと思いました。
以上でーす。
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