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私には下心があります



2023年の秋葉大祭は 
  --12月2日-- 



ところで

2019年の秋葉大祭では
和尚様の企てが語られています


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私には下心があります
それは

「寺町」

を作ることです



この福厳寺は
平安時代末期に出来たお寺なのですが
その少し後の時代
ミャンマーに
バガンという王朝がありました

このバガン王朝は仏教三大遺跡
として残っており
3,000ものパゴダという仏塔が立ち並ぶ
ミャンマーでも大変美しい祈りの町です



バガン王朝の初代の王様
アノーヤタという人がいました


彼は

国を国民を
どうやって治めるか

皆が仲良く
いい国にするには
どうするか

を考えました


人々が悪いことをせず
勤勉に働くようにするには

どうすれば良いか

ある一定数の人が集まった時に
良い人もいれば悪い人もいる

というよりも

食べる物もあり
寝る場所もあり
五体満足で
幸せである

なら

別に悪いことをする必要などない

でも

食えない
寝れない
思うようにいかない

となった時にやっぱり

社会のルールを破ってでも
自分だけでも
生き延びなければならない

という時があるのです


皆そうです

私だってそうです

こんな偉そうに説教をしていたって
世界に行き
苦しい人たちを目にすると
自分だって
その人たちと同じように
ルールを犯してしまうかもしれない

と思ってしまいます


そんな苦しい時でも

頭を使って智慧を働かせて
最低限の思いやりを忘れない

そんなふうにいられたら幸せです


人が悪いことをすれば
警察権という権力
によってによって裁かれます


どこの国でも
そのような制度を持つことが必要なのです

アノーヤタさんは

人が誰かに裁かれることには限界がある

と考えました


なぜ?

その権力の一番トップの人が
悪いことをしたら誰が裁きますか?

まさかという事があるのです

人間ですもの


ですから

彼は国王である自分を
トップに置かなかったのです


その当時も
色々な考え方や宗教がありました

彼は賢者たちを集めて
色々な検証をしました


そして仏教を採用したのです


仏教というのは

自分の努力で人生を切り開いていく

という
ある意味で厳しい教え
です

お祈りをしたところで
叶えて下さらないのです

そして

その仏教を広めるために
ある方策を採りました

何か?


巨大な“パゴダ”

仏塔を建てたのです


パゴダというのは「あの世の世界」

を表しています

一番下が<地獄>
「六道」と言い
悟りの世界まであります
(<餓鬼・畜生・修羅・人間・天道>)

あらゆるところに仏塔が建つことによって
常に人々の目に触れるのことになるのです

それを見て

「自分はこのステージにいるな」
「もっと上に行きたいな」

というモチベーションになるのです

そうしてパゴダをたくさん建て
お寺をたくさん建て
お坊さんを養成したのです

なぜ?

仏教は自分に対しての戒めを持ち
そして勤勉に働きながら
智慧を付け
思いやり(慈悲)を持ち
社会と調和して生きていこう

という考え方なのです

これを教育しなければいけない

悪い事をしたら捕まえますよ
そして何年の刑にしますよ
最終は死刑ですよ

ということではない

権力によって裁かなければならないこと
も必要かもしれないけれど
それを食い止めようとなさったのです


アノーヤタさんが素晴らしいのは

3,000も立ち並ぶ仏塔全てを
王族が建てたわけではない

というところです

そのうちの30くらい
と言われています

残りは誰が建てたのか

一般庶民です

その仕組みは

王族が国民から税を徴収します

集めた税によって
巨大なパゴダを建てるのです
国家事業です

そして国民の労働力を募集して
給料を払うのです

今でいう建築屋さんです

その中から儲かる社長が出てきます

その社長たちが

「王様が自らパゴダを建て
教えを広め
良い国を創ろうとしている」

だから「自分たちも
そういう活動をしなければいけない」

今度は王様が創ったものより
もうちょっと小さいパゴダを建てるのです

そうすると
その人たちが
また
別な人たちを雇って
お金を分配することになります

そうやって分配されて
裕福になった一般市民が
さらに小さなパゴダを建ていく
という
循環ができるのです


国民から集めた税を還元し
仏教を広めることによって
(悪い事をする人は出てくるけれども)
少しでも多くの人が

自分の

「良心を養い」
「慈悲の心を養い」
頭を使って
「智慧をつけ」
自分の力で
這い上がってきなさい


これが
アノーヤタさんが目指した

「仏教による国創り」

なのです

このバガン遺跡には
旅人の碑文が残っています


[これほど人々が幸せな顔をした
豊かな国は見たことがない]



私は
「お坊さんになりたくない」
とお寺を飛び出して
様々な国を回りました


その中で

華やかじゃないけれど
このアノーヤタさんの

「国創り」

を聞いて
心がシビれました


「私が成すべきことはこれなんだ」

と思いました



私はお寺から給料をもらっていません
皆さんのお布施は入らないのです


幸いなことに
私はお寺を飛び出して起業しました

そして
その役員報酬を運用し生きています


残りの人生をどうするか?

と言った時に

お坊さんになり
「小さくてもいいから寺町を創ろう」
と思いました


世の中に
行き場所がない人

が沢山いる

色んな所でぶつかって
上手くいかない

でも

誰にでも

磨けば光るもの

を持っているのです

あることはダメでも
あることは得意

そういう人は沢山いるのです

私の尊敬する
野球のイチロー選手だって
野球を取ったら何もないですよ

ただの理屈っぽい兄ちゃんだと思います

みんな自分の輝くところをみつけ
磨いて生きていくのです

そうやって
しぶとく生きていくこと

を仏教は奨励しています

昔の仏教教団は
社会であぶれた人生を
そのまま丸ごと面倒を見ていました

それが出家です

出家というのは
世間から離れて
山の中で座禅をして
世間とは関係ありません
としている事
ではありません

自分が生きてこられなかった世間
から
自分を投げうって
飛び込んだ世界

上手くやっていく智慧

皆と仲良くするため

慈悲心を養っていく

それがお釈迦様の教団
なのです

自分の弟子もそうです

社会にそぐわなかった
そんな彼にも必ず

光るもの

があるのです

そこを磨いて

思いやりの心と
智慧を付けたら

必ず
上手くいくのです

それを証明する
のが

私の「寺町構想」
です


仏教を中心とした寺町を創ろう
というのが

私の下心です

小さくてもいいから
美しいものを創ろう

そこに世界中から
人々が集まって
人と人とが触れ合い
新しい事が生まれていく

という循環が生まれていったら
いいと思っています





日本は戦後
マッカーサーの政策によって
信仰が解体されました

日本政府も喜んで
信仰を捨てて行きました

さて
日本もグローバルな時代になっています

世界の人達は日本人にはない
2つのこと
に長けています

一つはコミュニケーションの力です

言葉がペラペラと話せることではなく
自分の思っていることを
表明することが出来る


そしてもう一つが
信仰です

東北の震災があった時に
自衛隊よりも早く駆け付けた人

それは日本人じゃないのです

日本に住む
イスラム教徒の友人です

普段は名古屋で事業をしている
その人は
震災のニュースが流れた瞬間に
お兄さんに自分の妻と子供を頼んで
近所の工務店からトラックを借り
カレーを買いあさり
そのまま東北道を突き進みました
警察の阻止をかいくぐって
仙台に向かったのです

「あなた達はこれから多くの人達が
死んでいくのを見捨てるのか」


そうして
一早く炊き出しを始めたのです


なぜそんな行動力が彼にあるのか?

彼の答えはシンプルです


コーランに
「人が苦しんでいたら何をおいても
その人を助けなさい」
という教えがあるからです

「怖い」とか
「恥ずかしい」とか
「私が?」とか
「放射能が」とか

そんなことを彼は考えないのです


世界の信仰を持った人たちは
それほどの
行動力を持って生きています


何かを押し付ける気はありませんが
それが古臭いとかいうことではなく
これからグローバル化する時代において
このコミュニケーション力と
何かに対しての
自分の信心・信仰


がとても大事だろうと思っています




信仰というものの中に
神様とか
仏様とか

がいます


これは私たちの
お父さんとお母さん
の役割をするのです

私達は必ず
お父さんとお母さん
が必要です

お父さんとお母さんが
いるとかいないとか
ではありません

心が何も迷わず 
何も恐れず
すべての事に対して
大いなる安心感を持って
人生を歩んでいますか?

答えは
NO
だと思います

私たちはいくつになっても

人間であるという限界

があるのです

そんなに強い生き物
ではありません

どこかで
お父さんやお母さんを求めている


この「秋葉大祭」の主人公である
秋葉三尺坊大権現は
不動明王の化身です

お父さんと思ってください

怖い形相をしていますが
決して脅かそうとしている
わけではないのです

その心の中に

皆さんの弛んだ心を叱咤し
皆さんの迷いを打ち砕き
皆さんの弱った心に
勇気を与えてくれる

というのが
父である
秋葉三尺坊の役割なのです


そして
福厳寺のご本尊は
観音様です

お母さんだと思ってください

何があっても
抱き止めて下さる懐を持った
優しさと慈悲

私はその
お母さんのような観音様の
慈悲と
お父さんのような秋葉三尺坊の
厳しさ

(昔は恨んでいましたけれど…)

両方を得て育てたことを
本当に感謝しています







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