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発光

セミゾンビ。
セミフランケン。

外皮はわりと広範囲に
白  ですねー

腕ってね、超絶やりにくいんですよ。
特に最後。
「包帯をテープで留める」
ここです。難関です。

包帯をね、ちょっと押さえておいてくれたら「ピッ!」いくわけですよ。
1箇所キマれば勝ち確です。
押さえておいて…
そう。
押さえておいてくれるのは
マイハンドです。
テープを留めるのも
マイハンドです。

集中力が鍛えられますよ
アクロバティック&スピーディー
そんな中、痒みの波も来たりしてね
精神力の鍛錬もぶち込まれますよ
そしてタイムアウト。
終了です。
無。

外出となると
準備に必要な時間
その設定、概算?

そこね
今が「非日常」としてですよ
全てがスムーズだった日常の
クオリティが露呈です。

「非日常」になったから
『 無 』
が訪れたのではなく
そもそもが
そもそも。


「非日常」
その言い方。位置付け。

そこにこだわってる。
「こだわってる」
ことにも

なんで
「こだわってるのか」
そういうのもね
露呈しますよ。
明るみに出る。

ゾンビとかフランケンが
明るいとこに引っ張り出されたら
なかなか薄汚れて
白じゃないとこだとか
包帯が甘いとことか
まあ色々見えますね。

一瞬。
「やめろ!!」
ってなりますが
ゾンビやフランケンにとっての
「光」
そのチカラ 破壊力たるや

薄汚れや甘さより

「お…思ってたよりゾンビ」
「だいぶフランケン」

いやいや
「 非日常 」よ?

ん?
その実
人生半分くらい
「非日常」なんじゃ?

それって「非」?




アスリートの日常

「日常」?
いや、漠然としかイメージできませんけどね。

おそらく
自分の慣れ親しんだ「日常」
とは違う。

意図的に
たぶん結構な量とバリエーション
そんな あらゆる「非日常」を
「日常」にしてますよね

それが
「アスリート」
だとしてですよ。

病気とか障害がある本人
またはそのケアを
「日常的に」しているご家族

不特定多数
正確な数 不明
所在 不明

見えない人々
彼らは

見えないアスリート


アスリートの中で
目立つアスリートと
そうではない方がいるように

見えないアスリートの中にも
目立つ方もいる

ただ
決定的な違いは
見えないアスリートの数の方が
おそらく圧倒的に多いだろうと
思われること。

見えないアスリートは
ほぼ
開始も終了も
全てがコントロール不可。
トレーニング内容までも
オートトシステム。

自分が無意識に
すがりつこうとしている
こだわっている

「 セミ 」


もとい

「 日常 」

アスリートの方々が
意図的に取り入れ
どうにか
「非日常」の方を「日常」にすることで、得ようとしているもの。

見えないアスリートの方々が
想像を絶するほどの
心身を維持安定させるべく
考案、改良、継続している
「非日常」的「日常」



包帯を留めるテープを
サクサクカットして
並べて20本くらい。

洗濯したら必ず巻いておかないと
装着時に手間取る包帯と
カットしたガーゼ。

滲出液を吸い取らせるための
ガーゼ上に配置する
経費削減の古いTシャツをカットした布切れ数枚。

その他諸々の入浴にまつわる準備。

「人生半分くらい」

だから、一日も早く
こんなことしなくてよくなりたい。
こんな状態、直視したくない。

『 無 』
になって
チーン
みたいになってた時に
ふと、なんか
ちがう風に見えたんですね。

なかなか美しい光景だなと。
諸々が配置された光景も
ちょっと引いて
遠くから見た
包帯巻き巻き
テープサクサクカットの自分も。

「人生半分くらい」

だから、自分は
せいぜい半分。

でも、見えないけど
信じられないくらいの数の人が
きっと
信じられないような光景を
「日常」にして 存在している。

地上に煌めく星みたいに
感じましたよ

そこには
アスリートのような
個人的な意図は
実感がなかなか難しいかも知れないけれど

もっと
深くて 強い
個人を超えた
意図。


今夜も

もし
見ることができるなら
世界そのものから
闇を追放するくらい

まばゆく
発光してますね
きっと。


いや
あの
半分ごときが
スミマセンデシタ






















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