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手がかかるんだから、せめてお金のかからない子どもでいようと思ったはじめての日のこと

自分が「障害者」であることに気づいたのはいつ頃か?と聞かれてもはっきりしない。だが、自分が「今以上周囲に世話をかける存在になってはいけない」という気持ちは幼い頃から強く感じていた。

特に家族への負担に対してはすでに敏感にアンテナをはっていた。診察に、毎週の遠方へのリハビリ、そこで出会う障害のある同年代の子達。幼稚園での周囲との差。

自分は手のかかる子供なのだ


と自身で認知するようになった。

特に覚えているのは、5歳くらいの頃。
地元で1番大きな2階建てのデパート。
買い物のついでに、ファンシー小物売り場に祖母がつれていってくれた時のことだ。
祖母は孫を甘やかしたかったのだろう。「何でも買っていいよ」と文房具コーナーにつれていってくれた。きれいな色のペンに、メモ帳、匂いのする消しゴム。レターセット。ぷくぷくのシール。

かわいいものがたくさんあった。でも私は選べなかった。私に「嗜好品」はもったいない気がしたからだ。それに、私に余計なお金を使わせるのは申し訳ない、と子供ながらに感じたことを今でも強く覚えている。

最初は「だいじょうぶ」と言った。祖母は思いがけない反応に残念がった。私があまり嬉しそうではないように見えたのかもしれない。

そのようすを見て、私は「祖母を喜ばせること」を優先する選択をした。レターセットの中で一番安いコロコロクリリンのレターセットを選んだ。祖母は「それでいいの?」と何度か確認した。

そのレターセットは、20年以上たった今でも当時作った「だいじなものいれ」の中に入ったまんまだ。

小学校から大学を卒業するまで、そして経済的に自立しても、この「自分にお金をかけてはいけない」という意識はずっと私の言動に影響を与えるようになった。

当時の小さな私に会えたら、どんな言葉をかけるか考えたが、うまい言葉は見つからない。まだ私の中に、"自分にお金を使うことの罪悪感"は残っているのだ。

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