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映画へGO!「悪は存在しない -Evil Does Not Exist-」

(※ネタバレあります)
全然異なる設定や題材ではあるのですが、観終わった直後には処理し切れない余韻を残し、心がざわつくのは、「ドライブ・マイ・カー」と同様の感覚でした。
これは濱口監督が狙う、観客との距離感なのでしょうか?くせものですね・・。

前段は、過剰なまでにスローなペースで展開される、舞台となる田舎エリアでの生活風景の描写。
それは、淡々と自然と向き合って生きている主人公とその家族や仲間たちの独特の時間感覚を、意図的に観客にも同じテンポで与えているのだ、ということに後から気づきます。

そして、都会の芸能事務所が補助金目当ての新規事業としてグランピング場開発を進めるための地域住民説明会が始まる辺りから、人間社会として起きる物語の進行にドライブがかかり、ようやくそこからなんらかのヒューマンドラマがまとまっていくのかと思いきや・・・衝撃的かつ観る者を戸惑わせるラストに唐突に辿り着くのでした。

そして茫然としてエンドロールが流れるのを見つめているうちに、「悪は存在しない」という映画のタイトルの意味が、うっすらと自分の心の奥底から湧き出て来る。そんな後味の映画です。

人・自然・社会・・など世界を構成する要素。確かにそれ自体に悪意は存在しないのかもしれない。
が、それらが出会い、ぶつかり、複雑に関係が絡み合っていくことにより、時に不可逆で、受けとめるのも難しいくらいに予期せぬことが起こり得る。それが私たちが生きている世界なのだということを感じました。

ラストシーンは人によって、受け取り方が分かれると思います。
いろいろな伏線、エピソードそして予感までもが、そこにつながっているのですが、私の解釈は以下の通りです。

「鹿が人を襲うことは決してない。唯一の例外が手負いの時だけだ」という主人公の言葉。猟師に銃で撃たれた手負いの鹿と出会った主人公の娘は、その鹿と向き合いながら、恐らくは愛着を感じ、敬意の証として自らの帽子を取った上で鹿に近づいていきます。
それを息を呑んで見守ろうとする主人公。一方で都会からきたグランピングの開発リーダーは、大声を出して止めようとする。そして激しい揉み合い。
結果気がつけば、娘は鹿に襲われ動かなくなってしまったのでした。

主人公は娘を抱きかかえて、森の中をひたすら走ります。ただし、主人公や娘はスクリーンには映り出されません。聞こえるのは主人公の息づかいと、地面から見上げた森とその先の空だけ。
それは冒頭の森のシーンとぴったり重なっているのですが、娘がその後どうなったのかはわからないまま、映画は終わるのでした。

ただし残酷なようですが、娘さんがその後どうなろうと、この映画のタイトルは変わらない。
私はそれもひとつの監督のメッセージなのではないかと感じたのでした。

個人的評価:★★★☆☆
エンディングに向けては、だんだんどうでもいい話になっていくのですが、グランピング開発に走る芸能事務所のくだりは、なかなかリアリティもあって面白かったです。
芸能事務所社長・コンサルタント・心変わりが進んでいく開発リーダー・介護士から転職してきた良心的な女性担当者など、どれも芸達者でいい味出してました。







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