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卒論は「外国人横綱」でした

私の大学の卒業論文は「外国人横綱」でした。

今となっては全くタイムリーではないテーマで、「何言ってんの?」と言われそうな題目ですが、当時は「外国人が横綱になるかどうか」は日本を揺るがすような一大事(と私は思っていました)。

私が学生だった当時、「小錦旋風」が吹き荒れていました。他にもミクロネシア出身の方が次々と土俵に上がっていて、その力強さは脅威でした。

私が幼少の頃は「高見山」が活躍していました。母親に言わせれば、「負けたときにコロンと転がるのがいいのよぉ」と言っていました。要するに「受け身のうまさ」がキレイでした。

高見山関はすべての敵を次々と撃退する感じではなく、「もろさ」も合わせ持っていました。高見山関が優勝した事もあり、その時は似たような「黒船」というワードも少しニュースに出たようですがあくまで「一時期」限定で、すぐ立ち消えになったようです。

小錦は違いました。当時の横綱・千代の富士を客席の2・3列目までふっ飛ばしたときには戦慄が走りましたし、大関まで上り詰めたため、間近に「横綱」があり、それまで一人も誕生していなかった外国人横綱を許していいのか、という問題がかなり大きくなっていたのです。


というご時世のなか、卒論を書くためにいろいろ調べた結果の結論。


「誕生するっしょ」(←もちろん論文上の書き方は違います。ニュアンスです)


理由=「大関が2場所連続で優勝すれば横綱になれる」という内規があるので。


至ってシンプル。

上記の理由に至るまで、論文中ではいろいろ書いたけど。

(余談ですが、相撲界って、世論にほとんど流されない世界です)

でも当時は、「えっ! まじでそんな事を言い切っちゃっていいの?」という空気がありありでした。


で、はじめて外国人で誕生した横綱が、曙関でした。


突き押しスタイルでなければお客さんの反応も違ったかもしれませんが、当時のスターだった若貴をふっ飛ばす姿は「ヒール」的な存在だったと思います。

でも、2場所連続で優勝したので、横綱になりました。

そのあと、武蔵丸関が横綱に昇進。さらにモンゴル勢が次々と横綱に昇進していき、国籍問題はすっかり「過去の事」になっております。

「外国人横綱」という大きな壁を打ち破ってくれた先駆者が、曙関だったのです。

若貴とのライバル関係という立場もあって、風当たりもかなり強かったはずです。

引退後は不遇な人生を歩まれたイメージがあります。


わが子の学校の卒業式で特別講演をしてくれたのが曙さんでした。

かなり前に撮影したものなので画像が鮮明でありませんが。

このあと、闘病生活を送ることになってしまいました。


若乃花を押し倒した直後に小さくつくったガッツポーズが忘れられません。

ありがとうございました。


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