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平成最後の試練に生きる意味を思う

4月15日、月曜日の早朝。腹部の激痛で目が覚めた。
「救急車を呼ぼう」という夫を説得して、車で救急病院まで行った。

これから書くのは、病院嫌いのわたしが経験した2週間の出来事です。
このエッセイで言いたいことは、ただひとつ。

健康診断に行きましょう。

これだけ。


1軒目:救急外来

朝の5時前という微妙な時間のため、受付の方も、当直の医師も、検査技師も、みんな寝ぼけ眼で三々五々集合。
申し訳ない気持ちでいっぱいになりつつ、熱を測って尿をとって、問診を受ける。

「高熱じゃないから盲腸ではないね。結石かもしれない」

というわけで、生まれて初めてCTの機械に入ることに。
待合室で退屈していた夫は、“尿管結石”をググって治療方法を教えてくれた。

(いや、先生に聞くから。いまそれどころじゃないから)

と、心の中でつぶやくものの、口から出てくるのは「うー、うー」しかなかった。

CTのデータができたところで、再び診察室へ。
モニターには、素人のわたしが見ても異様な画像があった。

わたしがイメージできる「腹部の画像」といえば、肋骨と骨盤の間に空間があり、胃からウニョウニョと腸が続いているものだ。
が、わたしのお腹の真ん中には、「ブラックホール」としか言いようがない、真っ黒な「ボール」が写っていた。


先生はひとつひとつの影を指しつつ、これが胃、こっちが肝臓で、これが腎臓と説明してくれた。

「残る臓器で、これだけまん丸になるものは卵巣しかないんです。恐らく卵巣嚢腫が腸を押して便が詰まったの。それがねん転を起こして、この激痛になっているみたいだね。ここでは手術ができないから、婦人科の手術ができる病院に今すぐ行ってください」

「病院は、自分で探せと?」

「そうそう。紹介状は書いてあげるから」


盲腸から結石の疑いになって、今度は卵巣。おまけに腫瘍。この時点で、なぜか腹痛が治まってきた。痛みを上回るショックだったから、だろうか。おまけに、病院探しという緊急ミッションまで課されてしまった。

医師から聞いた話をそのまま夫に伝えると、さすがに顔色をなくしていたが、出てきた言葉は「ぼくは会社に行く」。キミ、さすがだなと思いながら夫を駅まで送り、わたしは一度自宅に戻ることにした。


家に着いた途端、なぜか便意がきた。そして学んだ。


ウンが出れば腹痛は起きない!


という旨を夫にLINEで送ると、

「いますぐ! 元気な間に病院を探せ! そして、病院までたどり着け!!」

という返事が来た。なかったことにしたかったのに。


次々に敵が現れたりタスクが増えたりするあたりは、RPGゲームのようだった。現実感のない状態のまま、手術ができる病院を探す。

予約して1か月後に来てくださいって、ムリムリ。駅からの距離は? タクシーを呼ぶ? あ、会社に連絡しないと。整体の予約もキャンセルしなきゃ。考えることが多すぎて、今度は不思議にハイになってくる。


2軒目:総合病院

2軒目の病院にたどり着いた時には、完全に通常モードで、とても“元気”だった。こんなに健康体なのに病院に来るなんてと申し訳ない気持ちになりつつ、診察室に入る。

「卵巣腫瘍ですね。ここまで腫れて大きくなると、手術しかありません。内視鏡になるか、開腹手術になるかは、良性か悪性か次第です」


悪性。つまり、ガン。


次々と検査のスケジュールが組まれ、次の診察日が決まる。

「あの、今はおさまってますが、また痛くなったらどうしたらいいですか?」
(鎮痛剤をください)という希望を込めて質問。

「運ですね。次に痛くなったら開腹手術です」

ウン? 運! そうか。そんなもんなのか。
次に痛くなったら内視鏡では間に合わない可能性が高いから、問答無用で開腹手術になること。手術まではできるだけ安静にしていることを言い渡される。

薬はくれなかった。今は痛くないから当然だ。ただ、いつまた、あのキョーレツな痛みに襲われるかは分からない。すべてはウンと運しだい。


ちょうど一年前、わたしは親しい友人をガンで亡くした。その彼女の最期が目に浮かんだ。

彼女が呼んでいるのなら仕方ない。

少しのパニックの後、彼女のことを思うとなぜか納得して腹をくくることができた。いや、まだ病名が決まったわけではないし、くくるんじゃなくて開けるんだけれど。


ちなみに、医師や看護師はとても親切だが、みんなとても忙しい。テキパキ進めてくれる代わりに、メモを取るヒマもない。
「心配事や気になることはありますか?」と都度たずねてはくれるが、何が分からないのかも分からない。とにかく、目が回っているだけ。次はどの検査室に行くのかだけ教えてもらう。

話しながらスマホやスケジュール帳に書けばいいじゃんと思うかもしれない。が、それを取り出すまで待っていてはくれない。そして何か聞いても、すぐに忘れてしまう。たぶん、動揺しているのだろう。
次回の診察日は明細書に書いてあることを教えてもらった。仕事の予定が詰まっていたけれど、優先順位はどう考えても検査だった。

検査漬けの日々の始まり

翌日。
生まれて初めてMRIの検査を受ける。お腹の中が撮影しやすいように“チャプチャプ”にしておくように言われる。ようするに、2時間前からトイレ禁止でお水をせっせと飲まなければいけない。おまけに造影剤を入れるための注射を打たれる。


MRIは、「2019年、宇宙への旅」で「未知の痛みとの遭遇」感の漂う装置だった。

変に興奮しているせいか、マンモグラフィとの違いに感動する。
数年前、初めてマンモをやったとき、

「人類が火星に行こうという時代に、この原始的な検査はなに!!!」

と、腹が立ち、1週間くらい怒っていた。わたしの胸は、協力しあって台に乗せなければならないただの物体で、人間性を捨てなければ到底できない検査だと感じたのだ。
対してMRIは、拘束はされるが、ベッドに寝ているだけ。部屋がちょっと寒いくらいだ。

「音がうるさいので、ヘッドフォンを付けますねー」

と、被せてくれたヘッドフォンからはエンヤが流れていた。リラックスできるようにという配慮なのかもしれないが、いざ検査が始まったら、本当にうるさくて何も聞こえない。

だったら、QUEENを大音量で流してくれた方がうれしい。いまなら「We will, we will rock you!!!」と大声でシャウトできるのに。
また来ることがあればリクエストしようと心に決める。たぶん言えないけど。


検査が終わってヨロヨロしながら受付に戻ると、

「あらー、なんだかスッキリした顔してるわね」

と、看護師さんに言われた。
そりゃそうだと思う。どれだけ痛いことをされるのかとビビっていたのだから。終わってみたら、なんてことなかった。ただ、早くトイレに行きたいだけだった。


検査の結果

検査の結果が出たのは1週間後の23日。
朝から心の準備をしていた。

どんな病気であっても受け止めよう。おちつけ、わたし。残りの時間はいちおう聞こう。友人があの世から話し相手を呼んでいるのなら、行ってあげよう。仕事の引き継ぎよりも、家のことを知らない夫への引き継ぎの方がメンドーだな。母にはどう説明したものか。

診察室のモニターには、わたしのお腹の「中」の画像が映し出され、先生がマウスのホイールをカリカリしながら拡大・縮小を繰り返していた。
その横に開かれたエクセルファイルが目に入る。

[悪性所見は認められず]

と記入されていた。
振り向いた先生も、

「奇形嚢腫ですね。脂とか溜まっちゃうんですよねー。手術しかないから、日にちを決めちゃいましょう」

え? こんな感じ? なの? 偶然、自分で確認するって??? え?
もっとドラマだと、ほら、「ドドドドーンッ」とか、「キラキラキラキラッ」とか、あるんでは。

医療ドラマを見慣れた目には、リアルの病院はとてもドライに見えた。でも変に気を使われるより、その方が気楽だと分かる。


ラッキーなことに手術室に空きが出たため、いきなり1週間後と決まった。今度はそのための検査で大忙しになった。再び血液検査、レントゲン、その他の検査にグルグル回る。

初めてやった呼吸の検査は、肺活量を測るものらしく、深ーーーーく吸って吐く検査と、勢いよく吐く検査をやった。緊張していたせいか、うまく吸えない。吐き出す息が震える。

「わー、すごく上手に吐けましたねー!」

と褒められて、ようやく少しコツがつかめた頃に終了する。もっと練習させてほしい。そうすれば記録を出せた気がするのに。

待つ・検査、待つ・検査を繰り返し、ヘトヘトに疲れたころにようやく解放された。


あとはウンのみ

あと3日、ウンと運が続くことを祈るのみになった。風邪をひかないように厳命されたのに、今日は霧雨の中を歩いて帰ってきた。

あぁ、これが、生きてるということか。

手術が終わったら。
退院したら。
日常が戻ったら。

わたしはきっとこの感動を忘れてしまうだろう。そして、まただらしない生活を送るだろう。
でも、まだ若い人やそこそこ若い人たちのためにひとつ言いたい。

1年に1回は、健康診断を受けましょう。
女性は婦人科オプションを付けましょう。

わたしは40歳になるまで婦人科健診を受けたことがなかった。医師からも、「健康診断を受けてれば発見できたはずですよ!? なぜ受けなかったの!!!」と激しく叱られた。

もっと早く受けていれば、エコーをやっていればと考える人もいるだろうが、病院嫌いのわたしはそうは考えないタイプだ。なぜなら。

あのイスに座る抵抗感の方が、はるかにはるかにはるかに強いから!!!

マンモ含めて、婦人科の健診には改善の余地がいっぱいあると思う。

たとえば、健診のシステムだ。
会社員なら割り振られた日時に行くしかないが、フリーランスや専業主婦は自分で予約しないといけない。お役所からご案内は来るが、病院嫌いで電話が面倒で日々忙しい人が、自ら予約するのはかなりハードルが高い。それを含めての「自己責任」なのだけれど。

だから、言いたい。

1年に1回は、健康診断を受けましょう。
パートナーにも薦めましょう。

もちろん、健診で見つけられる病気もあれば、そうでないものもある。それでも、「明日は健康診断だー」と思えば、お酒を止めたり甘いものを控えたり、自分の身体に意識が向く。それが、予防医学の一歩なんだと思う。


健診では、どんなことをされるのか分からない不安もある。やってみれば意外とこんなもんか、と思うが、それは経験者の結果論でしかない。わたしも、検査の結果がでるまで「卵巣嚢腫」という言葉をネット検索できなかった。

わたしの右卵巣は腫れ上がって、最大直径が6センチを超えていた。5センチを超えるとブルンブルン、グルングルンと揺れるようになるため、ねじれて腹痛を起こしやすくなるらしい。いま考えると、よく右の下腹が痛くなり、「盲腸か?」と思っていた。それでも病院には行きたくなかったのだ。

だからこういうテーマのnoteには「おかしいな?と感じたときのチェックリスト」や、「もしかして?という症状」について書く方が親切なのかもしれない。

だけどわたしはあえて、自分が体験したことだけを書くことにした。素人が何か書くことの方が危険だし、わたしが知ってほしいと思ったことは、「健診で受ける検査自体は想像よりもなんてことないから、怖がらずに病院に行くこと」だからだ。


さよなら、平成とわたし

急に手術が決まったせいで、ここ数日は術前検査のためにとても忙しかった。「安静にしてください」なんて言葉が嘘のように、毎日病院まで通って、検査室をウロウロした。何度も注射を打たれ、たくさんの書類にサインをした。こんなに大変な思いをしたのに。

恐ろしいことに、試練はまだ始まってもいないのだ!

全身麻酔で手術をして、終わって5分で目が覚めるのだという。その瞬間から激痛に耐えないといけないと聞いた。今から怖くてたまらない。

こんなことなら、日々健康に気を使って生活しよう!と思う人もいるのかもしれない。

けど、だいたい3日くらいで飽きませんか?

なんてことのない毎日をどう過ごしても、病気になる人もいればならない人もいる。であれば、できれば「好きなこと」を優先して暮らしたい。だから何度でも言う。

1年に1回は、健康診断を受けましょう。
女性は婦人科オプションを付けましょう。

自分の身体を守れるのは、自分しかいないのだから。


平成最後の日に、わたしは長年連れ添ってきた身体の一部に別れを告げる。全然、大切にしてあげられなかったし、こんなことでもなければ一生目を向けることはなかったかもしれない。いまさら「ありがとう」を言ったところで、「けっ!」と言われるだけかもしれない。それでも、感謝は伝えておこう。

そして手術を終えて目覚めたら、わたしの新しい人生が始まる。そのとき。


What a wonderful world‼︎


と言えることを願っている。

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画像は書道の師範をしている母の書。

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